旦那様、それは殺意とどう違うのですか?

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「お嬢様、何もいま発たなくても良いではありませんか。婚礼衣装の片付けすら済んでいないというのに」  生家から嫁ぎ先までついてきた侍女のメアリが、脱ぎ捨てられたドレスを拾い上げながら、不満を隠さぬ怒り口調で言う。 (怒っているなぁ。よほど母上から言い含められてきたんだろう。必ずや初夜まで見届けるように、と)  すでに純白の婚礼衣装は脱ぎ捨て、その下の複雑怪奇なレースに彩られた下着も外し、代わりに遠征用の耐久値と防御力に特化した装備をすっかり身につけたシエナは、後ろ髪を手早く一本に結い上げつつ答えた。 「そうは言っても、旦那様は無理がたたって熱を出してしまわれたということで、結局今日は起き上がってこれなかっただろう。まさかメアリは、私に妻強権を行使し、寝込んでいる旦那様を襲いに行けとでも言っているのか? もし私が男で旦那様が女だった場合、『いいから足を開け、抱かせろ』などと高熱に浮かされているにもかかわらず迫ったと人様に知れたら、人でなしの悪評がとどまるとこを知らないぞ?」  くるりとシエナが振り返ったときには、すでに鎖帷子まで身につけた、戦士の姿となっていた。  シエナの母親と同年代のメアリは、眉間の皺がなおいっそう深くなりそうなほど眉を寄せ、「お嬢様」と苛立った口調でシエナを呼ぶ。 「せめて寝所に侍り、お加減がよくなるまで看病の真似事でもなさったらどうなんです。そのくらいなら、お嬢様にもおできになるでしょう? 実際の看病は他の者に任せておけば良いのですから」 「最初(ハナ)から豪快に諦めているくせに、ぐずぐずと私を引き止めるのはやめるんだ。だいたいな、メアリは私を天下一の不器用者だと思いこんでいるようだが、傷病兵の手当てならそれなりに上達した。傷口から鉄砲玉を抉り出すのも、腐りかけた手足をすぱっと切り落とすのも」 「お嬢様! 戦場でのお話は極力、極力持ち出さぬよう! ここは名門公爵家で、お嬢様はその跡取り様に嫁がれたんです! 皆様びっくりなさいますでしょう……」  くどくどくどくど。  聞き慣れた小言を、シエナは右から左にさらりと聞き流す。それでも頭の中にわずかに残った気がして、顔を床に平行になるまで倒し、とんとん、と片手で耳を軽く叩いた。  うるさいのうるさいの、出てけー。  メアリの顔が、いよいよ怒りの色に染まる。  不穏過ぎる気配にシエナはため息をついて、一応の反撃をした。 「そもそも、メアリもメアリだ。嫁いだ私をいまだに『お嬢様』だなんて。本来なら、公爵家の面々がぐうの音も出ないほどの完璧な侍女ぶりで、私を『奥様』と呼ぶ場面だと思う。ちょっと練習してみようか。はいっ」  パチンと高く指を打ち鳴らし、そのままメアリを指し示す。  ぴくぴくと表情筋を忙しく動かしていたメアリは、すぐさま吠えた。 「奥様! おふざけもたいがいになさいませ! あなたはもう旦那様のある身ですよ!! 今までのような無頼が許されるなどと、ゆめゆめ思わぬことです!! 返事!!」  ひゅうっと口笛を吹いて、シエナは満面の笑みを浮かべた。「はーい、わかりました!」と大変良い子な返事をしつつ、減らず口を叩くのも忘れなかった。 「さすがメアリ、一流の侍女だけある。ちゃんと『奥様』って呼ぶことは忘れなかった。でも惜しいな、この家の生え抜きの侍女さんの前で私をそんな風に怒鳴りつけたら、規律が乱れちゃうよ。こういった貴族のお屋敷組織は、結局のところ軍隊と同じだからね。上下関係は絶対、命令系統は厳しく。じゃないと、戦場に出たときに作戦をうまく遂行することができずに多数の犠牲を出してしまう」 「ここは戦場ではありません! すべて戦場に置き換えて表現するのはおよしなさい!」 「はーい」  二度目の返事は、ここまでついてきてくれたメアリが相手なだけに誠実に。けれどそっけなく。 (違わないよ、戦場と同じだ。それもメアリ以外は誰一人味方がいない。この家の誰も彼もが、私を憎み、認めてなどいない。もちろん、「生涯の伴侶」になった、旦那様でさえも)  結婚当日、結局顔を合わせることがかなわなかった相手を思い、シエナはそっと息を吐き出す。  冴えない顔を見られてメアリに心配をかける前に、出てしまおう。そう思い直して、シエナは笑顔になった。 「それじゃあ、長くても二週間くらいかな。行ってくるよ、戦場に。もしこの家の侍女に邪険にされるようだったら、メアリは家に帰っちゃって良いからね。どうせ私はこの先も遠征続きでこの家には寄り付かない。その方が、きっとこの家にも、旦那様にも都合が良いはずだ」 「何をおっしゃいます。旦那様、病気がちとはいいますけど、きっととてもお優しい方ですよ。お嬢様が出立なさったと聞いたら、気落ちされることでしょう。せめて無事にお帰りになってくださいね。可及的速やかに」 (メアリは結局、人がいいなぁ)  子供の頃から手塩にかけて育て上げた「お嬢様」のシエナが、決して惨めな思いをしないよう、全方位に気を配っている。その気持ちを無下にするのはさすがに心が痛む、と憎まれ口をやめて、シエナは笑顔のまま旅立つ。 「行ってきます。行き先あんまり良い場所じゃないから、お土産は期待しないでおいてね」  いつだって、無事に帰って来れるかすら、わからないのだから。  * * *
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