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「なんだったっけ」
ふいに海斗が呟いた。独り言だろうと流していると、コートの裾を引っ張られる。
「ねえねえ、お母さん。思い出せない」
目的語が足りていなさすぎて、思わず眉をひそめた私に、海斗はなおも言った。
「昔お母さんが、言ってたの。玲央菜ちゃんと初めて会ったときに、玲央菜ちゃんの顔について……。なんだっけ」
彼女が生まれたのはもう五年も前のことだから、碌に覚えていない。それよりも、玲央奈には、生まれてから四年間困らされた記憶しかなかった。
玲央菜とは意思疏通ができない。さらに、無神経だと寛人からも文句を言われ、海斗の世話もしなくてはならない。仕事に復帰してからは、出勤している間に何が起こるだろうと気が気ではなかったし、実際、帰ってきてからは地獄だった。
そのとき、急にずきんと頭が痛んだ。脳細胞が、はしっこの方でひとつだけ弾けてしまったような感覚。
不定期に、こういうことがある。何の前触れもなく、言葉通りの「ずきん」という痛み。海斗やら玲央菜やらが生まれる前はなかった気がするから、子供を持ってからだろうが、正確にいつからなのかははっきりしなかった。
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