5 31日前(父に忍び寄る危機)

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5 31日前(父に忍び寄る危機)

 31日前 「部長、実際のところ、どうなっているんですか。」  新村は、吉岡のグラスにビールを注ぎながら、口を開いた。  週末の駅前の居酒屋は、仕事が終わって開放感に浸っているサラリーマンの話し声やコンパで騒ぎまくっている学生の笑い声や叫び声が騒々しく溢れ返っていた。  2階にもフロアがある居酒屋の店内の階段を、店員が飲み物や料理を手にして忙しそうにドカドカと昇り降りしている。  吉岡と新村のテーブルだけが、まるでエアポケットにでも入ったかのように重苦しい空気に覆われていた。 「……うん。実際のところ、そうだなぁ。」  吉岡はどうとも取れるような生返事をした。 「あのゴシップ誌の記事、政治家の辰巳に裏献金している企業って、うちの事ですよね?」 「ああ。」 「その担当者というのは……」 「私のこと、らしいな。」  新村の言葉を途中で遮り、吉岡は他人事のように言った。  新村には事実を伝えるべきだ。吉岡はそう決意して、新村をここへ誘った。 「それは間違いないんですか?」  新村は吉岡を真っ直ぐ見つめた。 「そうだ、事実だ。……私が資金を捻出している。」 「それがあの出金ですね?」  新村は合点がいったような表情になった。 「うん。君も薄々気づいていたろう?」  吉岡はグラスに入っていたビールを一飲みした。 「1年前の渡島組と競合した、高崎の体育館建設の案件。  見積やプレゼンの段階ではうちの方が不利だったのに、結局受注することができた。  あれ、私の目から見ても、何で受注出来たんだろうと思いました。  ……あの案件も辰巳の力が働いているんですか?」  新村は心に引っかかっていた事を尋ねた。 「ああ、あの案件も辰巳代議士の口添えがあった結果だ。」  吉岡は淡々と答えた。 「うーん、結局、鬼頭会長ですよね。」  新村は納得したように呟いた。 「結局?いや、全ては私の責任だよ……」  吉岡は達観したような表情をしていた。 「それはおかしいじゃないですか!」  新村は語気を荒げた。 「社のためにしたことですよね?」 「裏の献金を始めた当初は、創業以来のわが社の危機的な状況だった。何としても大口の仕事を受注しなければならなかった。  そんな時に鬼頭会長が懇意にしていた辰巳代議士を紹介された。  だからと言って、政治家を利用して利益誘導して良い訳はないが……。背に腹は代えられない状況だった。  それでも、私が個人的に始めた訳でも、私の一存で決めた訳でもなかったが。  ……まあ、今更何を言っても言い訳に過ぎないな。」  吉岡は一息のうちに説明した。 「はい……」  新村は神妙な面持ちで耳を傾けていた。 「すまんな。君を巻き込むつもりは微塵もないんだが、状況が状況なんで事実を伝えておきたかった。」 「話していただいて、嬉しいです。でも……これからどうなるんでしょうか?」 「事実が明るみに出たら、責任を取るしかないな……」 「責任を取る人間が部長である必要はないじゃないですか!  会長か社長、トップが取るべきじゃないですか?」  新村は手にしていたグラスでテーブルを叩いて言い放った。 「いつの世もどの組織も、責任を取らせ易い者に取らせるものだ。  そうして、組織は存続していく……そういうことだ。」 「まさか部長、辞職する気じゃないですよね?」 「……うん?ただ辰巳代議士が絡んでいるからな。そう簡単なことでもない気がする。」  吉岡はグラスに残ったビールを飲み干した。  新村もつられるように、ジョッキに入った烏龍茶を飲み干した。 「アルコールでなくていいのか?」 「はい、今日は休肝日なんです。最近、飲む機会が多くて……」 「すまんな。無理矢理連れ出してしまって。」 「とんでもないですよ。それにこの話題はシラフで聞いた方が良かったので。」 「じゃあ、もっと食べた方がいいんじゃないか?」 「そうですね。そうします。」  メニューをあれこれ眺めていた新村は、テーブルにあったチャイムを押して店員を呼んだ。 「牧場のアイスクリームをひとつ。」  現れた店員に注文した。 「アイス?」  吉岡が少し驚いて聞いた。 「はい。飲んでいないので、甘いものが食べたくなって……」 「ふーん。」  ……なんか新村らしいな。  吉岡もついでにビールのお替りを注文した。  この日の吉岡は飲むペースが普段よりも早くなっていた。 ◇  新村と別れた吉岡は家路を急いだ。  心に溜まっていたものを吐露したおかげで、少し楽になった気がする。程よくアルコールが回っていることも手伝っているんだろう。  そういえば、最近、しゅうとまともに会話していないな……  そんなことをつらつらと思い巡らしながら、大通りの交差点を渡って自宅へ続く路地をゆっくりと歩いていた。  大通りから住宅街へと続く路地は、街灯の間隔も広くなって、日が落ちてしまうと薄暗かった。  ふと、背後の気配に気付いた吉岡は、今歩いてきた道を振り返った。  すると、ヘッドライトを消した黒っぽい車の影が目の前にみるみる迫っていた。 「おいっ、うそだろっ!うわっ!」  吉岡は、自分の方に向かって来る車を避けようとして、慌てて脇道に飛び退いた。  その車は、止まる気配もなく、吉岡のすぐ横を何事もなかったかのように走り去っていった。 「はぁはぁ……」  地面に倒れこみ、肩で息をしていた吉岡は、ゆっくりと起き上がり、パンパンとズボンの汚れを両手で払うと、道端に放り出したカバンを拾い上げた。  反射的に辺りを見回したが、閑静な住宅街はいつもの静寂を取り戻していた。  一体何だ、あの車?  まさか、俺を狙っていたのか?たまたまか?それにしてもライトも付けていなかったよな……  疑心暗鬼になりつつあった吉岡は、自分の身の回りにだけ不穏な空気が漂っているような気がしてきた。  吉岡は、逃げるようにして自宅に辿り着くと、着替えもそこそこに書斎に上がった。  しゅうの部屋には明かりが付いていて、まだ寝ていないようだ。 「ただいま、しゅう……」  吉岡はしゅうの部屋に向かって声をかけると、しゅうの返事を待たずに書斎に入った。  気を落ち着けようと、天井を見上げて数回深呼吸してみたが、気持ちは高ぶったままだ。  机の上に無造作に置かれたゴシップ誌を見やりながら、自分の身にひたひたと危険が迫っているように感じて、嫌な胸騒ぎが治まらなかった。額には脂汗が滲んでいる。  椅子に腰掛けて、じっとしていた吉岡は、意を決したようにパソコンを立ち上げると、会社のサーバにアクセスした。  機密フォルダを開くと、慣れた手つきで辰巳代議士との一連の取引に関する会計帳簿のデータやメモの画像データをメモリーカードにコピーし始めた。  「ダウンロード完了」パソコンの画面表示を確認した吉岡は、メモリーカードを抜き取った。
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