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「それに、そろそろ支度しないといけないでしょ? 今日はお父上と宴に招かれてたはずだけど」
身分としては春風家の方が格上ではあるが、父が行くというのに息子である己が行かないという選択ができるわけなどない。わざわざ現実に引き戻してくる優に深くため息をついて、やれやれと弥生は重怠くさえ感じる身体をノロノロと立たせた。いかにも気乗りしないという様子の弥生に、優もクスリと苦笑する。
「まったく、せっかく美しい庭を見て現実逃避していたというのに、わざわざ引き戻しおって」
「眠らなくても明日が来るように、現実逃避したって時は止まらないよ」
まったくの正論を返してくる優に再びため息をついて、弥生は踵を返した。面倒だが、行かねばならないのならそろそろ身支度をしなければならない。
「まぁ、弥生の気持ちもわからなくはないけどね。あの大臣は好色だから」
男は皆美しく若い女が好きだなどと言うが、彼の場合は度が過ぎていると優も苦笑する。まるで城の主である将軍がもつ大奥かと錯覚してしまうほどに、彼には側室も多く、正室や側室の部屋子はもちろん、下働きの者でさえ女人と見れば見境なく手を出しているという乱れぶりなのだ。仕事や武勲で名を轟かせるならば武官の誉れであろうが、かの大臣が有名なのはその好色ぶりだというのだから飽きれてしまう。それでも家柄が良いから大臣の地位にあり、庶民には夢見ることすら叶わない大金を俸禄として貰っているというのだから世も末だろう。最近では見境も無くなったのか、弥生のことをジットリと嘗め回すように見てきて鳥肌が立つが、宴も仕事の内と考えるよりほかない。
早く失脚してくれないだろうか、などと少々不穏なことを胸の内で何度も呟きながら、優に促されて弥生は父と共に今日の宴が行われる松中邸へと馬を走らせた。
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