1月21日

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昨日は、私を元気付けたいと、義兄が鰻をご馳走してくれました。 父が鰻を食べたがっていたな……と思い出して少し悲しくなりましたが、義兄の気持ちが嬉しかったです。 義両親と4人でいただきました。 4d260ef8-3bdb-4b4c-889d-f1f633b8ba0f 0d9edc9b-8c9b-47bf-8e2b-01ff665b4c54 「いろいろあってお疲れでしょう」と義父。 母のことも心配されていました。 そういえば以前、義母に言われました。 母を、「横浜に連れていらっしゃい」と。 横浜の施設に入れば、名子さんがいつでも会いに行ってあげられるじゃないと。 最初に言われた時は、「嫌だ」と思いました。 母には、昔から酷い言葉をたくさん投げられているからでしょうか。心のどこかに母を拒否する気持ちがあったのだと思います。 でも、父の葬儀の前、母が娘に言った言葉が私の気持ちを変えました。 母「ゆっちゃん、名子ちゃんはお父さん子だでね。私じゃないんだわ、お父さんが好きだでね。 この子、落ち込んどるでね。ゆっちゃんが支えてやってね」 はっとしました。 たしかに私は、母より父を慕っていたかも知れない。 母は今まで、私の何気ない態度や言動に傷ついていて、それが私への酷い言葉に繋がったのかも知れない。 そう思ったら、心の底にあった母への蟠りが、少し取れたような気がしました。 また、私を気遣う優しさも、嬉しく感じました。 葬儀後、私は母に言いました。 「お母さん、これから1人でいるのは寂しいでしょう? 横浜に来てくれたら、私がいつも会いに行けるよ。 ゆっちゃんたちもいるし、一緒にお出かけしたりもできるし。どう?」 母と過ごす日々を思い浮かべ、幸せな気持ちになった私は、やはり母のことが好きなのでしょう。 しかし母は、さも迷惑そうな顔をしました。 「は? 横浜なんて無理だがね。この年になって知らない土地なんか嫌だわね。お母さんは名古屋がいい。心配せんでも、そのうち1人に慣れるでいいわね」 まあ、そうですよね。 慣れ親しんだ土地を離れるのは寂しいと思います。 母の言葉を義母に伝えたら、 「たしかに横浜の施設に入っても、周りに名古屋弁が話せる人が居ないとお辛いかも知れないわね」 そもそも母は、相変わらず施設には入りたくないと言っています。 父が亡くなってから、母の耳は聞こえの悪い状態に戻ってしまい、また足も急に悪くなったため、車椅子を手配してもらうことにしました。 それでも、「どこにも行かない、家にいたい」と語気を強めます。 いろいろ難しいですね…… ところで、皆さんのエッセイになかなか行けずにすみません。 また少しずつ読ませていただきますね。 よろしくお願いします。
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