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昨日は、私を元気付けたいと、義兄が鰻をご馳走してくれました。
父が鰻を食べたがっていたな……と思い出して少し悲しくなりましたが、義兄の気持ちが嬉しかったです。
義両親と4人でいただきました。
「いろいろあってお疲れでしょう」と義父。
母のことも心配されていました。
そういえば以前、義母に言われました。
母を、「横浜に連れていらっしゃい」と。
横浜の施設に入れば、名子さんがいつでも会いに行ってあげられるじゃないと。
最初に言われた時は、「嫌だ」と思いました。
母には、昔から酷い言葉をたくさん投げられているからでしょうか。心のどこかに母を拒否する気持ちがあったのだと思います。
でも、父の葬儀の前、母が娘に言った言葉が私の気持ちを変えました。
母「ゆっちゃん、名子ちゃんはお父さん子だでね。私じゃないんだわ、お父さんが好きだでね。
この子、落ち込んどるでね。ゆっちゃんが支えてやってね」
はっとしました。
たしかに私は、母より父を慕っていたかも知れない。
母は今まで、私の何気ない態度や言動に傷ついていて、それが私への酷い言葉に繋がったのかも知れない。
そう思ったら、心の底にあった母への蟠りが、少し取れたような気がしました。
また、私を気遣う優しさも、嬉しく感じました。
葬儀後、私は母に言いました。
「お母さん、これから1人でいるのは寂しいでしょう? 横浜に来てくれたら、私がいつも会いに行けるよ。
ゆっちゃんたちもいるし、一緒にお出かけしたりもできるし。どう?」
母と過ごす日々を思い浮かべ、幸せな気持ちになった私は、やはり母のことが好きなのでしょう。
しかし母は、さも迷惑そうな顔をしました。
「は? 横浜なんて無理だがね。この年になって知らない土地なんか嫌だわね。お母さんは名古屋がいい。心配せんでも、そのうち1人に慣れるでいいわね」
まあ、そうですよね。
慣れ親しんだ土地を離れるのは寂しいと思います。
母の言葉を義母に伝えたら、
「たしかに横浜の施設に入っても、周りに名古屋弁が話せる人が居ないとお辛いかも知れないわね」
そもそも母は、相変わらず施設には入りたくないと言っています。
父が亡くなってから、母の耳は聞こえの悪い状態に戻ってしまい、また足も急に悪くなったため、車椅子を手配してもらうことにしました。
それでも、「どこにも行かない、家にいたい」と語気を強めます。
いろいろ難しいですね……
ところで、皆さんのエッセイになかなか行けずにすみません。
また少しずつ読ませていただきますね。
よろしくお願いします。
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