2023年1月9日(日)

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 クライアントの要求に対しては全力で応じるのがプロフェッショナルというものだ。ましてや、フリーランスの立場であれば手抜きは許されない。尻拭いをしてくれる組織があるわけでなし、一回一回が一度きりの真剣勝負。負けたら後はない……独立以来、そう思って頑張ってきたスローライフ演出家のエヌエスエヌ氏にとっても、今回の仕事は難事業だった。 ・魔族に滅ぼされた亡国の姫。彼女は仇である魔族の領地で、悠々自適に暮らしていて――? ・世界の管理に疲れた神様、仕事を減らしてスローライフ宣言。そのせいで世界は滅茶苦茶になって!? ・気まぐれに営業して不思議な道具を売る雑貨屋。店主である私の祖母は、実は異世界から来た大賢者なんだって!  この三つのスローライフを続けざまに処理しなければならなかったのだ。シーンによっては同時進行でコントロールする必要に迫られた。スローライフ・アーティストあるいはスローライフ・クリエーターと呼ばれる業種の中でもベテランの部類に入り、ビューティフルマインド・マネージャー兼ライフスタイル・プロデューサー兼アートフル&ハートフル・ディレクターを自称することが業界内で認められている感じがしなくもないエヌエスエヌ氏でさえも、細心の注意を払わねば完遂しないミッションだった。当然ながら、構成/演出にミスはない。クライアントは皆、満足した。  エヌエスエヌ氏もまた、完璧な仕事を終えた充実感を抱いて自分の世界へ戻った。浜辺で強い日差しを浴びながら、海水に浸る。光と塩が肌に沁みる感覚が、何とも心地好い。そんな彼を、友人たちは変わり者と呼ぶが、まったく気にならない。この刺激が次なる仕事への意欲を呼び起こすのだ。  両生類のエヌエスエヌ氏にとって、海水は必ずしも好ましい水とは言えない。皮膚が弱すぎる両生類に塩水は不適当であり、水浴びするなら淡水がベストだ。それでも彼は海水浴を好んでいる。強烈な太陽光を浴びて甲羅干しするのも――彼は亀ではないので甲羅はない。背中に翼の生えている有翼両生類だ――肌にストレスが掛かるので禁物だが、あえてやっている。  それもこれも、素晴らしいスローライフを実現させるためである。クライアントに素敵なスローライフを与えるためである。心穏やかな生活を手に入れるためには、艱難辛苦が必要なのだ。苦しみに耐え抜き、心と体の壁をぶち抜いたとき、平安が訪れる……のだが、クライアントに苦行を強いるわけにはいかない。楽な暮らしを楽しみたいと思っている奴らに、艱難汝を玉にす! なんて金言は豚に真珠というものだ。エヌエスエヌ氏は軟弱なクライアントに代わって自らに厳しい修行を課して心身を鍛え、夢多きクライアントに夢のようなスローライフを提供しているのだ……と書けば、もっともらしく聞こえる。実際は、自分が気持ち良いからやっているだけだ。ジムで激しいトレーニングをやった後にサウナへ入って汗だくになる、みたいなものだろうか(ちなみに両生類のエヌエスエヌ氏がサウナに長居したら、すぐに乾燥しきった干物になる)。  頭と翼と背中と尾が赤くなってきたので、そろそろ日光浴と海水浴を切り上げようかと思っていたら、沖合から海岸へ向かって何かがやってくるのが見えた。エヌエスエヌ氏は白浜の上に突き刺して広げたパラソルの下に入って、その何かを眺めた。真っ白なホタテ貝が口を開けて、こちらへ向かって海上を滑るように進んで来る。エヌエスエヌ氏はクーラーボックスに入れておいた冷えたジュース入りの水筒の蓋を開けた。帆にした殻に風を受けて進むホタテ貝は、エヌエスエヌ氏が水筒のジュースを飲み干す前に浜辺に到着した。  開いたホタテ貝の貝柱の横に、小さなヴィーナスが座っている。エヌエスエヌ氏は水筒を砂浜に置くと小さなヴィーナスを手に乗せた。彼女は手のひらの上で言った。 「別世界のお客様からお電話です」  異世界からの仕事の依頼電話だった。エヌエスエヌ氏は頷いた。ヴィーナスの口から「ガチャ、ツーツーツー」という電話の音が流れ、やがて男の声に変った。 「もしもし、私のスローライフの構成と演出を頼みたいんだが、予約の状況はどうなっている?」  手帳を開きながらエヌエスエヌ氏が尋ねる。 「いつ頃がよろしいですか?」 「早ければ早い方がいいね」 「混んでいますね」 「最短だと、どのくらいになるのだね?」 「これから演出予定の依頼主の皆さまが、私の創造するスローライフをどれくらいお望みになられるか、によりますね」  自力で実現したものなら、好きなだけスローライフを過ごせば良い。だが、他人の力を借りて現実化したものならば、自分の都合だけで決めるわけにもいかない。プロフェッショナルに頼んで作ってもらったスローライフならば、決められた時間以上の場合は延長料金が掛かる。夢のような生活を楽しむには、さらにカネが要るのだ。  電話の向こうで男は言った。 「君の評判は聞いた。魔族に滅ぼされた亡国の姫も、世界の管理に疲れた神様も、雑貨屋の孫娘も皆、とても喜んでいたよ」  エヌエスエヌ氏は言った。 「そう言っていただけますと、とても嬉しいです」  スローライフという夢の暮らしを、プロへ依頼して作ってもらうとしたら、それなりの金額が必要だ。クライアントの皆が皆、金持ちというわけでもない。短時間で望み得るスローライフを実現させられるか? エヌエスエヌ氏にような職業の者は、その手腕が問われる。上を望めばきりがない。スローライフにも妥協が必要なのだ。 「三人とも、あらかじめ決められた時間内で十分に満足できたと言っていた。今の予約客も、きっと大丈夫だろう」  男は楽観的に言った。エヌエスエヌ氏は返事をしなかった。男が例に挙げた三つのケースが上手くいったのは、運が味方してくれたところもある。  一例目は、こうだ。魔族に滅ぼされた亡国の姫は、仇である魔族の領地で悠々自適に暮らしていたが、不安定な立場だった。いつ魔族が彼女に牙を剥くか、知れたものではないのだ。現に、魔族の中には旧王朝の生き残りを根絶やしにすべしと唱える者も多くいた。亡国の姫は、快適なスローライフを守るために、防衛手段を講じなければならなかった。そこで異世界から召喚されたのがエヌエスエヌ氏だった。クライアントである亡国の姫が望む真のスローライフつまり、魔族を滅ぼし国を奪還して安全な王侯貴族の暮らしを取り返すため、有翼両生類は陰謀をめぐらし魔族の仲間割れを引き起こした。内紛で勢力の衰えた魔族を封印したのは亡国の姫で、その功績をたたえられ臣民から女王の地位に就くよう懇願された。要請を受諾し、彼女は王位を継承したのだが、そのおぜん立てをしたのはエヌエスエヌ氏である。だが何から何まで彼の力のおかげ……というわけではないことを、当人が良く知っている。彼も亡国の姫も、危うく死ぬところだった。最後は運だった。二人の運が強いため、首の皮一枚で勝利をつかんだのだ。  二例目は仕事に疲れた神様の仕事を肩代わりするか、手助けする片腕が求められていた。神様のスローライフ宣言で迷惑をこうむった、その世界の住人らの依頼を受けたエヌエスエヌ氏が臨時で神様の代行を務め、溜まりに溜まった仕事を処理したので、滅茶苦茶になっていた世界は秩序を取り戻したが、ずっと神様代行業を続けるわけにはいかない。他の適任者を見つけ出さねばならなかった。  そこで三例目の、不思議な道具を売る雑貨屋が浮上する。その店主の女性は異世界から来た大賢者であり、彼女をスカウトして問題が山積する別の異世界へ来ていただき、神様の仕事を手伝ってもらおうとエヌエスエヌ氏は考えた。しかし気まぐれに営業している雑貨屋の店主が、そんな面倒臭い頼まれ事を引き受けるわけがない。さしものスローライフ仕掛け人も進退窮まった! かと思ったら気まぐれ店主が「うちの孫娘にやらせてみては?」と気まぐれ発言。孫娘の方はといえば「そんなこと、私にできません!」と断るも、祖母とスローライフのプロから説得されて、まさかの神様代行始めました! 的な生活がスタート。最初はドジとヘマの連続で、どうなることかと思われたが、世界を滅亡させるほどの大失敗はしでかさず、祖母が段ボール箱に入れて送ってくれた不思議な道具の力を借りて頑張っていたら、その世界の住人たちや怠け者の神様から認められ、まさかの神様後継者へ! それは大賢者の孫なのに低偏差値な彼女を心配した祖母が孫娘に課したスパルタ教育だった……とホンワカな雰囲気になったところに、一例目の魔族が襲来。エヌエスエヌ氏によって前の世界を追放された魔族は、その恨みを晴らすため捲土重来して別の異世界にいた羽根つきオタマジャクシ野郎(魔族はエヌエスエヌ氏をそう罵っていた)を攻撃してきたのだ。  エヌエスエヌ氏、神様、不思議な道具を売る雑貨屋の女主人、その孫娘で神様の後継者の連合軍チームと魔族の戦いは一進一退の白熱した好ゲームとなり、前後半を終了しても決着がつかず、延長戦を戦い抜いても勝負は決まらず、サドンデス方式の再延長戦で最終決着! という場面となった。一例目に登場した姫がスタジアムで観戦するシーンとか観衆のウェーブとか雷が鳴ってフィールドの選手全員が屋内に避難するとか色々ありつつ、最後は神様のハンドによるゴールいわゆる神の手ゴールで連合軍チームが勝利した(魔族は主審に抗議したが哀れにも認められなかった)。  薄氷の勝利といって間違いないだろう。だからエヌエスエヌ氏としては、電話口の男の話に頷こうにも頷けなかったのである。 「申し訳ございません。現在の予約状況ですと、ご依頼をお引き受けできかねます。お急ぎでしたら、他を当たってくださった方がよろしいかと存じ上げます」  仕事を断るのはエヌエスエヌ氏の本意ではない。だが、現状の予約だけで手いっぱいだ。ここで予約を受けることは、客のためにならないと考えたのである。  それでも客は食い下がった。 「大した願いじゃないんだよ、簡単なんだよ」 「しかし」 「腹の中が読めない姫君は出てこない、しつこくて恐ろしい魔族だって出てこない。蒸発志願者の神様もいない、気まぐれな大賢者と不出来な孫娘もいない。ほんの些細なスローライフなんだよ」 「ですが」 「君は物凄い腕利きだと聞いた。どんなスローライフでも思いのままだと」 「それほどでもございませんよ」 「お願いだ、話だけも聞いてくれないか?」  それから判断しても構わない。これは事実だった。 「お話をお伺いしても、やはりお断りするかと思いますが、それでよろしいのでしたら」  優れたスローライフを作るためには無理は禁物だと、エヌエスエヌ氏は知っている。倒れるほどの過労は避ける。これは譲れない、絶対の真理だった。 「……分かった」  電話の向こうで男は話し始めた。 「実は、夢を見たんだ。スローライフを満喫している夢だ。その夢の中で描かれた世界、私が夢見たスローライフを再現したい」 「どのような夢でしたか?」 「系統だったストーリー性があるわけじゃないんだ。絵のような感じだった。温かみのあるイラストを眺めている気分がしたよ」 「どんなイラストだったのです?」 「緑の丘が連なっていた」 「切り立った断崖絶壁ではなく、急峻な山々ではなく、深い森や広がる林でもなく、丘の連なりですか」 「ああ、そうだ。緩やかな丘陵地帯という風に見えたなあ」 「緑のサバンナ?」 「野生動物はいなかった。牧歌的な風景だったよ」 「牧場かもしれませんね。家畜が逃げないようにする柵で囲まれていましたか?」 「見えた範囲に柵はなかった。柵はなかったが石垣があった。土留めのための擁壁(ようへき)に見えた」 「そこに牛や羊が群れていましたか?」 「家畜はいなかった。牧場だったなら、家畜を入れる家屋がありそうだが、そういう建物はなかった」 「何か建物は見えましたか?」 「見えた。櫓みたいな高い塔のある建物だった」 「ということは、お城ですか」 「それほど大きな建物じゃない。」 「先程おっしゃられていた石垣は、擁壁ではなく城塞を囲う石塁(せきるい)のようなものではありませんか?」 「その建物は石垣で守られていなかったさ。塔の横から小さな煙突が出ていたな。そうそう、建物の横に大きな水車があった」 「水車」 「ああ、あれは水車だったよ」 「その建物に水車があったということは、川か滝のような流れる水に面していたことになりますね」 「そうだな」 「そこに川か滝があって、水車が回っていた、と」 「滝はなかった。それから、水車が回っていたかどうか、それは分からん」 「と、申しますと?」  自分が見ていたのは静止画像だった、と電話の男は言った。 「動画じゃなくて、静止している一枚絵を見ていた気がする。その絵では何も動いていないから、水車が止まっていたのかもしれない。それに、その建物が面していたのは川ではなく沼か池か湖だったように思える」 「はっきり分からないのですね」 「うむ」 「水車が回っていたのか、建物が接していた水面が何なのか、それは置いておきましょう。その水面付近には何かありましたか?」 「あった! 髪の毛が赤茶色の、筋骨逞しい男が、上半身裸で水の中に立っていた」  その男は、赤茶色の髪を三つ編みにして、右肩に垂らしていた。そして大きな魚を両手で持ち上げていたという。 「腹筋はシックスパックに見えたな」 「シックスパック、と。他に何が見えましたか?」 「男は紐を結んでズボンが落ちないようにしていた」 「ベルトの代わりに紐、と」  エヌエスエヌ氏は男の説明をメモしながら次の質問をした。 「他に何が見えました?」 「木の桟橋に腰かけて、水面に足を浸して、水中に釣り糸を垂らしている女の子がいた。髪の色は、さっきの男に似ている。でも、こっちはボブだった」 「女の子はボブ、と」 「そうそう、男は捕まえた魚を高く掲げていたけど、それは女の子に見せるためだったと思う。男は大きな口を開けて、何か言っているように見えた。きっと、捕まえた! と叫んだんだ。女の子の方も、口を開けていた。歓声を上げるって感じだった。二人は知り合いだね」 「そこにいるのは男女二人だけですね」  男は笑った。 「違うんだ、そこにいたんだよ、君が」  エヌエスエヌ氏は当惑した。 「私、ですか?」 「君に瓜二つの有翼両生類が、水面に浮かんで釣り糸を見ているんだ」 「私が?」 「ああ、ホームページに君に写真が載っているだろう。あれを見たとき、驚いたよ! あの有翼両生類は、君にそっくりだった。あれは君本人じゃないか? まあ、夢の中の話だから、単なる偶然だと思うが」  自分が赤の他人の夢の中に登場するなんて、そんなことあるわけない――と思いつつ、エヌエスエヌ氏は男の話を書き留めた。 「今の夢のお話のようなスローライフを体験したい、ということですね」 「そういうことだ。大の男がファンタジーの世界に憧れるなんて正直、お恥ずかしい話だがね」 「それは違いますよ」 「そう言って貰えて、本当に嬉しいよ」  それはともかく、エヌエスエヌ氏は考えた。難しいスローライフではない。ストーリーの中にバトルや違法性のある事柄は出てこない。夢の中の風景や登場人物は無数にある異世界の何処かに必ず存在する。その平和な空間に男を連れて行ってやれば仕事は終わる。既に引き受けた予約仕事の合間に済むだろう。これならできる。  それに、エヌエスエヌ氏には別の考えがあった。 <2023年1月9日(日)>が締め切りの、スローライフのコンテストがある。このコンテストに、エヌエスエヌ氏が作り上げる男のスローライフを応募してみようと心に決めたのである。 「ご依頼の件、お受けします」  ヴィーナスの電話の向こうで男は大層喜んだ。日時や経費の相談を済ませ、契約を交わしたエヌエスエヌ氏は、男の希望通りのスローライフを製作し、それから<スローライフがテーマの物語を募集!>と応募要項に書かれたコンテストへ作品を投稿した。  だが、エヌエスエヌ氏は勘違いしていた。  コンテストの締め切りは<2023年1月9日(日)>ではなく<2023年1月8日(日)>だったのだ。締め切りを既に過ぎた<2023年1月9日(月)>に投稿されたエヌエスエヌ氏の作品は受理されず、誰の目にも留まらぬまま、ネットの闇の中へ消えた。
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