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1.締め切りウサギ
「えっと、悩みって何ですか」
私はおそるおそるウサギに聞く。ありえない状況ではあるが、目の前のウサギは私に助けを求めているみたいだから、きちんと応えてあげないといけない。
「実はですね、締め切りが迫っていて、時間がないんですよ」
「締め切り?」
「はい。そうです」
ウサギは少しうつむき、ため息をつく。
いったい何の締め切りだろうか。まさか、このウサギも小説の新人賞に応募するのだろうか。
「そこで、一番困っていることは、紙とペンがないんです」
「紙とペンがない?」
「はい。そうなんです。お嬢さん、紙とペンをお持ちではないでしょうか」
「えっと」
私はズボンのポケットを確かめるが、何も入っていなかった。
「すみません。持ってないです」
「そうですか」
ウサギは残念そうな表情で、大きく息を吐く。
「お嬢さん、お時間を取らせてすみませんでした。それではこれで失礼します」
ウサギは海パンに手を突っ込んだと思うと、そこから水泳用と思われるゴーグルを取り出した。
「あのお、これから何をするんですか」
私は気になって聞いてしまう。ゴーグルをつけたウサギの顔がこちらを向く。
「これから水泳の練習をするんです。来週にカメと水泳勝負をする予定なので」
「カメと勝負?」
「はい。カメとの一騎打ちで、どちらが早くゴールできるかという勝負です。カメは泳ぐのが得意ですからね。私も負けないように練習しないといけません」
「それって、徒競走の勝負にすれば良かったんじゃないの」
「なんと!」
ウサギは両手を挙げて、驚いた表情を見せる。
「確かに、そうであれば私が有利でしたね。しかし、もう水泳勝負と決まってしまいましたので、私は泳ぎの練習をするしかありません。それでは」
そう言ってウサギは、目の前の川に飛び込む。そして、クロールでどんどん進んでいく。流れにも負けず、勢いよく進んでいく。私はその様子を呆然と眺めていた。やがて、ウサギは木々の奥へと姿を消した。私は一人残され、その場から動けなかった。
まずこれまでの流れを整理しよう。目が覚めたらなぜか森の中にいた。そして、海パンのウサギに話しかけられた。紙とペンがないかと聞かれたと思ったら、川を泳いでどこかに行ってしまった。何一つとして理解できない。私は一つの仮説を立てた。これは夢ではないか。
私は頬を思いっきりつねる。全く痛くなかった。髪の毛を引っ張ったり、膝を叩いたりしても、全く痛くなかった。
「なあんだ。夢か」
私はふうと息を吐く。かなり気が楽になった。そう、現実でこんなことが起きるわけはないのだ。ウサギが海パンをはいて人間の言葉を話すなど、夢以外にあり得ない。しかし、私は一つだけ気になることがあった。この夢は、どうやったら覚めるのだろうか。
これが私の、長い長い夢の始まりだった。
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