蝶よ花よ

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蝶よ花よ

 蝶子の初恋は、小学校三年生の時、相手はクラスの担任だった。二十代後半の清楚で穏やかな女性だ。  教師は蝶子が書いた作文を読んだ時、「綺麗な字ね」と褒めてくれた。それがきっかけだった。まだ幼かった蝶子にとって、それだけで十分だった。  友達があまりおらず、休み時間に図書館に入り浸るような女児だった蝶子にとって、学校へ行くのは担任教師に会うためだった。  そのため、その教師が翌年に転任が決まった時、蝶子は部屋に引きこもって泣いた。  蝶子が自分の恋愛対象が女性であることに気づくのは、小学校六年生の時だった。夕方のワイドショーで、同性愛に関する特集が放送されていたのがきっかけだった。  蝶子は一人っ子で、両親に甘やかされて育った。もっと言えば、母親がかなり過干渉な人だった。  チヨちゃんには、この服が似合うわ。髪はツインテールのほうが可愛いと思うの。ピアノを習いましょう。あそこの家の子とは遊んじゃダメよ。――チヨちゃん、女の子はこんな破廉恥なものを観ちゃダメなの。  蝶子が強請れば大抵のオモチャは買い与えてくれる母親だが、恋愛物の漫画やドラマは禁止されていた。理由は、性的な描写があるからだ。ベッドシーンはおろか、キスシーンですら一瞬でも映ると、テレビを消された。  とにかく「性的なことは悪だ」と母親から教え込まれた。  そんな蝶子が性に目覚めたのは、中学一年生の春だった。  当時読んでいた小説に、ベッドシーンが書かれていたのだ。それまでは母親から児童向けの本ばかりを買い与えられていたが、中学生になってお小遣いを貰えるようになり、そのお小遣いで一般向けの小説を買った。  その小説はサスペンス作品だった。成人向けの小説ではないので、描写はかなり淡白だった。しかし、蝶子にとっては衝撃的だった。こんな本を読んでいることが母親にバレれば、きっと叱られてしまう。そう思う一方で、ドキドキする自分がいた。  その夜、蝶子は性行為をする夢を見た。相手は、人気の男性アイドルだった。夢の内容は、小説に書かれていたことをなぞるようなものだった。  朝起きた時、下腹部のむず痒さと下着が湿っていることに驚いた。  蝶子はその時、罪悪感で自己嫌悪に陥った。それと同時に、言い表しようのない背徳感を味わった。  その頃から、たびたび性的な夢を見るようになった。不思議に思ったのは、相手がいつも男だということだ。アイドル、俳優、クラスメイト、全く見覚えのない架空の人物……、夢に出てくるのは全員男だった。  普通ならそんなに不思議なことではないが、蝶子は同性愛者であるはずだった。実際、その頃にはクラスの女子に片思いしていた。しかし、その子が性的な夢に出てくることはなかった。夢に出てきたとしても、内容は二人でどこかに出掛けているとか、そんな可愛いものだ。  その年の夏、プールの時間に蝶子はその子の水着姿を見て、ぞわっと背筋に悪寒が走った。背が高くてお姉さんのような雰囲気の子だが、想像以上に発育が良く、胸が大きかった。すでにDカップはあるのではないかというくらいには大きかった。男子たちもチラチラとその子を見ていた。  蝶子は、その子を直視できなかった。恥ずかしかったのではない。「ふしだらな子だ」と思ってしまったのだ。つまり、嫌悪感が原因だった。  蝶子は徐々に、自分が好きな女の子に対して清廉潔白であることを望んでいると気づいた。性的な部分を見たくない。性的なことに興味を持ってほしくない、性的な話をしないでほしい、胸も、性器も、肉体すら持たないでほしい。そんな自分勝手な願望を抱き始めていた。  原因は、母親が性的なことを悪だと教え込んだからだ。性的なことをする人は悪人、汚れた人。好きな子は、悪人であってほしくない、汚れてほしくない。  その一方で、蝶子の性への興味は日々増していった。自分は好きな女の子に純潔を望むくせに、自身はどんどん汚れていった。  中学二年生の頃、蝶子は初めて自慰行為に及んだ。その時、すでに声変わりをして、肉体も引き締まり始めていたクラスの男子を思い浮かべた。その男子のことは何とも思っていなかった。何とも思っていなかったからこそ、その子が性的なことをしても何とも思わなかったのだ。  中高と、蝶子は夜な夜な自身を慰めた。行為による快感と、親にバレたらどうしようという背徳感が病みつきになった。しかし、行為が終わると、自分が悪人であると自己嫌悪に陥る。そんな日々を繰り返していた。  そんな中で、蝶子は自分の恋愛感情と、性欲が結びつかないことに気づいた。  大学に進学して、蝶子は一人暮らしを始めた。小学生の頃、ピアノを習っていた経験から、何となく軽音サークルに入った。  文化祭の打ち上げで、蝶子は一人肩身の狭い思いをしながら烏龍茶を飲んでいた。友人を作るためにサークルに入ったが、特別親しい相手は見つからなかった。  幹部の先輩から二次会に誘われたが、蝶子は断って帰ることにした。時刻は夜の十時だった。  一人で帰ろうとしていた時、「送っていこうか?」と同期の男の子に声を掛けられた。  藤間理緒(とうまりお)、同じ学部の子で、まだ中学生のような幼い顔立ちで、背も低い可愛らしい男の子だった。しかし、藤間には悪い噂が流れていた。複数の女子と遊んでおり、サークル内でもすでに三人の子と関係を持ったという。  本来なら警戒すべき相手だが、蝶子は淡い期待を胸に秘めて「じゃあ、お願い」と言った。  歩きながら、藤間に「どこ出身?」「どんな音楽が好きなの?」といろいろ訊かれたが、蝶子は上手く答えることができず、会話は弾まなかった。しかし、藤間は嫌な顔一つしなかった。  マンションの近くまで着いて、まだ期待を持ったままの状態で「ありがとう。おやすみ」と蝶子は言った。  すると、藤間は「ねえ、上がっちゃダメ?」と尋ねてきた。    部屋に招き入れると、藤間はすぐに蝶子にキスした。蝶子にとってファーストキスだった。想像以上に唇は柔らかいというか、湿っていると感じた。  ベッドに寝転がって、服を脱がされて、乳房を優しく揉まれた。  ――初めて?  突起を親指の腹で押しつぶしながら、藤間は尋ねてきた。蝶子は身体を震わせながら、素直に頷いた。  ――痛くしないから。  子供をあやすような口調で藤間は言った。藤間は同い年で、まだ少年のような顔立ちをしているのに、雰囲気は蝶子よりもずっと大人に見えた。  胸を揉まれ、舐められ、藤間の手は下腹部に下りていった。性器に触れられた時、藤間は「もう濡れてるよ?」とくすくす笑った。蝶子は恥ずかしくて顔を背け、藤間は彼女の頬に口付けた。  内部に指を挿入され、異物感と少しの痛みを感じた。しかし、想像していたよりも痛みは少なくて、蝶子は拍子抜けする。そして、今まで感じたことのないじんわりとした快感を覚えた。  藤間は指を抜いて、ズボンと下着を脱いだ。すると、赤くそそり立ったモノが蝶子の目に飛び込んできた。  男性が興奮するとこうなるという知識はあったが、実際に見るとなかなかグロテスクだった。幼少期に風呂場で見た父親の、ただ股にぶら下がっているだけの物体とは違う。  蝶子をはそれを見て、怖気づきそうになる。藤間はその様子を見て、「怖かったら、目閉じてて良いよ」と言いながら、ベッドの下に転がっていた自分のウエストポーチを拾い上げて、中からコンドームの箱を取り出した。避妊のことが頭から抜け落ちていた蝶子だったが、日頃からそんなものを持ち歩いてる藤間を見て、彼は噂通りの男なのだなと今更思った。  藤間に言われた通り、蝶子は目を閉じてグッと身構えた。  そして、――肉を割くような痛みが襲ってきた。  蝶子は悲鳴に近い呻き声を上げた。藤間は蝶子を抱き寄せてジッとしたまま「力抜いて」と言う。 「無理だ。耐えられない」と叫びたいが、出てくるのは呻き声だけだ。  しばらくそのままの体勢が続き、徐々に痛みが和らいでいった。それと同時に、藤間が動き始める。痛みと、あのじんわりとした快楽が押し寄せる。呻き声が、喘ぎ声に変わっていく。  女の子が、好きでもない男とこんなことをしてはいけない。そんな背徳感が蝶子をより一層興奮させた。  藤間が果てた後、性器が抜かれた。蝶子は絶頂を迎えていないので、少し名残惜しさを感じる。  藤間がしばらくの間ベッドに倒れ込んだ後、再び蝶子の性器に触れた。  ――イってないでしょ?処女くれたお礼。  そして、蝶子は文字通り藤間の手で果てた。  ――倉本(くらもと)さんって、結構ヤンチャなんだね。  蝶子の自宅の風呂場から出てきた藤間がバスタオルで身体を拭きながら、脱力感でベッドに横たわる蝶子を見下ろす。  ――こういうの、嫌がる人だと思ってた。初めては、好きな人としたくなかった?……もしかして、俺のこと好きとか?  藤間は小馬鹿にしたように、くすくすと笑う。  ――私、好きな人としたくないの。  蝶子は、処女を奪ってくれたお礼のつもりで、藤間に全てを打ち明けた。  笑われるかと思ったが、藤間は真剣な面持ちで蝶子の話を聞いた。  ――いいんじゃない?別に、犯罪じゃないんだし。  藤間はそう言ったが、蝶子は彼に対して共犯関係のような絆を感じていた。    蝶子が藤間を受け入れたのは、自分の欲望を満たしたかったというのが一つ。  もう一つは、性行為によって恋愛感情が芽生えるのではないかという期待だった。藤間は男性にしては、可愛らしい顔立ちをしている。女性に見えなくもない。  確かに藤間に対して男性の魅力を感じたし、また彼とセックスがしたいと思った。しかし、彼と恋人同士になりたいとは思えなかった。デートがしたいとか、お喋りがしたいとは思えない。――正直、肉体さえあれば、藤間がどんな性格だろうと興味はない。  ふしだらな女。  蝶子は頭の片隅で、絶対に自分のような女を恋人にしたくないと考えていた。
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