甘酸っぱい香り

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甘酸っぱい香り

「蝶子さん、これ、どうぞ」  蝶子がシャワーを浴びて浴室から出てくると、菊川が赤い包装紙に包まれた四角い物体を手渡してきた。 「昨日、誕生日だったでしょ?」 「えっ、いいの?」  蝶子が包装を開けると、斑模様のバスボムが三つ並べられたボックスが出てきた。菊川は去年も蝶子の誕生日プレゼントとして、ルームフレグランスを贈った。蝶子がそれを自宅で使用しているのを見て、菊川はあからさまに喜んでいた。ちなみに、蝶子は菊川の誕生日を知らない。 「ありがとう。嬉しい」  蝶子が笑みを浮かべながら頬に口付けると、菊川は視線を逸らしてはにかんだ。  菊川は蝶子に対して、何かと尽くしたがるところがある。こういったプレゼントもそうだが、蝶子のワガママは何でも聞こうとする。蝶子が急に呼び出しても、大抵の場合は文句も言わずにやって来る。そして、常に蝶子の顔色を(うかが)うところがあった。  セックス(主にSM関係)の時も、基本的に蝶子がしたいことには何でも応じる。しかし、菊川から何かを強請られたことは一度もない。何を訊いても、「蝶子さんがしたいことを、したい」と言うだけだ。そのため、蝶子は何となく菊川が悦びそうなプレイを提案することが多い。正直、菊川の口からこういうことがしたいとかを言ってほしいとは思う。     蝶子は菊川から貰ったバスボムを一つ、湯舟に沈めた。しゅわしゅわと音を立てながら溶け、お湯がバスボムと同じ水色とピンクの斑模様になった。浴室内に柑橘系の香りが充満する。  湯舟に身体を沈めて、蝶子は「ふう」と息を吐く。バスボムの香りとお湯の暖かさで眠くなってくる。ぼんやりとしていると、なぜか天根の可愛らしく笑った顔が脳裏に浮かんだ。    蝶子が鼻歌を歌いながらドライヤーで髪を乾かしていると、インターホンが鳴った。慌ててドライヤーのスイッチを切って、モニターで確認した。そこには、藤間がいた。  藤間とは二か月近く連絡も取り合っていなかったが、蝶子は特別気にもかけていなかった。そして、突然アポなしでやって来ても、タイミングが少し悪いな、と思うくらいだ。  蝶子はすっぴんで寝間着姿のまま、藤間を出迎えた。 「久しぶりー、元気だった?」  藤間は無邪気な笑顔を向けてきた。 「何しに来たの?」  蝶子は仏頂面で言う。 「そんなこと言って、分かってるくせに。俺の顔見て、もうアソコぐしょぐしょなんじゃないの?」  藤間はニヤニヤと笑う。蝶子は彼のこういった品のない言動が未だに好きになれない。  藤間は初体験の時こそ紳士的だったが、本来はサディストらしかった。蝶子が慣れてくるとその片鱗を見せ始め、乱暴に行為に及ぶようになった。時に蝶子の腕を縛ったり、首を軽く締めることもあった。しかし、この男の強引なところは嫌いでない。菊川の前ではあんなふうだが、蝶子はやはりマゾ側の人間なのだ。  藤間は大学卒業後、そのまま推薦で大学院に進学した。蝶子と藤間は工学部であり、蝶子のように大学院に進学しない学生のほうが少なかった。  また、二人は研究室が偶然同じだった。藤間はどう思っていたか分からないが、蝶子にとっては最悪だった。研究室にいるとキャンパス内の多目的トイレでの行為に誘われ、極めつけは研究室の教授・院生・学部生全員の旅行だった。旅館での食事の後、学生たちが集まってゲームをしたり晩酌をしている最中に、無人となった男子部屋で行為に及んだ。今思えば、よく二人の関係が周囲にバレなかったものだと蝶子は感心する。    藤間は蝶子の唇を貪りながら彼女を室内に押し込み、ベッドに押し倒した。 「――ねえ、ゴムなしでヤっちゃダメ?」  藤間は蝶子の性器を解しながら訊いた。蝶子はその問いに対して、ぎょっとした。 「ダメに決まってるでしょ」  蝶子は今まで一度も避妊なしで行為に及んだことはない。 「君って変なところで真面目だよね」 「絶対いや。あんたなんかの子供、妊娠したくない」  蝶子はキッと睨みつけながら、語気を強めて言う。その様子を見た藤間はせせら笑う。 「――じゃあ、自分はどうなの?俺よりも大層な人間なわけ?」  藤間の言葉に、蝶子は胸がちくりとした。思い浮かぶのは、菊川と蓮水の顔だった。何も言い返せず、唇を噛みしめた。 「俺が欲しくて、涎ダラダラ垂らしてるビッチが」  蝶子の身体が無理やりうつ伏せにさせられ、腰だけが浮いた状態になる。後ろでベルトが外れる音がした。蝶子は嫌な予感がして後ろを向いたが、藤間はちゃんとコンドームを装着していたので、胸を撫で下ろした。  まだ藤間はやって来ていないのに、自然と腰が揺れてしまう。彼の言う通り、蝶子は自分をどうしようもないビッチだと感じた。  自責の念に駆られていたが、藤間に後ろから貫かれてしまうと、もうそんなことはどうでも良くなった。  両方の二の腕を掴まれ、手綱のように引っ張られながら、激しく何度も腰を打ち付けてくる。そして、藤間は後ろから蝶子の右の乳房を揉みしだいた。自分が玩具のように扱われていることに対し、蝶子は屈辱と快感を覚えた。腰を打ち付けられるたびに、蝶子は情けなく喘ぎながら身体を震わせた。  その時、蝶子はふと誰かのを感じて、きょろきょろと辺りを見渡した。  藤間の視線ではない。他の誰かの視線だった。しかし、ここは蝶子の一人暮らしの自宅で、他に誰もいない。 「どうしたの?急に締まり良くなって……」  襲ってきたのは羞恥心だった。恥ずかしい。こんなあられもない姿を第三者に見られているような気分になって、恥ずかしくてしょうがない。 「やだ……。やめて、やめて、おねがい……」  蝶子は懇願する。それなのに、押し寄せてくる快楽は止まらなかった。そして、――蝶子は身体を仰け反らせながら絶頂に達した。
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