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 菊川はぐったりとした蝶子を抱きしめる。一方、蝶子は頭がぼんやりとしていた。 「蝶子さん、……僕、蝶子さんのこと、好き」  菊川は消え入りそうな声で、恐る恐る言う。  その言葉を聞いた瞬間、蝶子は反射的に菊川のほうに顔を向けた。菊川は顔を赤くして唇を噛みしめている。 「何?急に……。今更付き合いたいとか言うつもり?」 「……ち、違う。そうじゃない。蝶子さんを困らせたいわけじゃない。ごめん……」  菊川は慌てて取り繕おうとする。「じゃあ、何で言ったんだ?」と思ったが、蝶子は口に出さなかった。正直、「ごめん」の意味もよく分からなかった。 「……私なんかのどこが好きなの?」  蝶子は自虐的に言う。――こんなふしだらな女のどこがいいのか。 「……蝶子さんは、僕のこと『気持ち悪い』とか、悪く言わないから」 「えっ?そんなこと?」  蝶子は菊川の返答に面食らう。「気持ち悪い」というのは、菊川のマゾヒスティックな一面のことだろう。しかし、それは今更M男に対して、「気持ち悪い」など感じる純情さが蝶子に無いだけだ。それに、そういった男性を好む女性など、この世にごまんといるはずだ。 「……母さんにも、『出来損ない』って言われてた。……蝶子さんは、優しい人だからそんなこと言わない。だから、……好き」  菊川の表情と声色が物悲しげに感じた。 「……菊川さんって、結構チョロいんだね」  蝶子は薄く笑う。 「そう、かな?」 「うん、チョロいよ。そんなんじゃ、すぐ人のこと好きになっちゃう。……私なんかじゃなくても、もっと良い人見つかるよ」 「や、やだよ。蝶子さんじゃないと、嫌だ」  菊川は珍しく子供のように駄々をこね始めた。クールな風貌の菊川には似つかわしくない言葉だったので、蝶子はおかしくて思わず笑ってしまった。 「ふふっ、何その駄々っ子。変なの」 「い、嫌だった?」と、菊川は不安そうに問いかける。 「ううん、そうじゃない。ちょっと、面白かったから、笑っちゃった」  蝶子の言葉に、菊川は安堵の表情を浮かべる。 「でもね、菊川さん。私のことなんか気にしないで、彼女作ってもいいんだよ?私との関係なんか、勝手に切ってくれていいから」 「や、やめて。そんなこと言わないで。僕のこと、捨てないで」  菊川は泣きそうな顔をして、蝶子に縋り付く。まるで飼い主に捨てられそうになっている犬のようだ。蝶子は予想外の反応に、慌てて「ごめん、もう言わないから」と詫びた。  実際のところ、蝶子は菊川が自分の元からいなくなったとしても、一週間も経てば彼のことを忘れてしまうだろう。そして、菊川の穴を埋めるために、別の男を探すだけだ。こんなにも菊川は蝶子に依存しているというのに、蝶子の彼に対する愛着などその程度だ。そのことついて、蝶子は罪悪感を抱いてしまう。 「私の知ってるおちんちんの中だと、菊川さんのが一番好きだよ」 「えっ、ほんと?」 「うん、ほんと。クンニも一番上手くて、気持ちいいよ」  蝶子の言葉は本当だった。菊川は、あからさまに嬉しそうな表情を浮かべる。蝶子は思わず彼の頭を撫でた。 「……お母さん、厳しい人だったの?」  頭を撫でながら、蝶子は問いかけた。先ほどの「母さんにも、『出来損ない』って言われてた」という菊川の言葉が引っ掛かっていた。菊川は、また物悲しげな表情になり、目を泳がせる。 「両親も、高校の教師だったんだ。テストの点が少しでも悪かったり、成績が下がったりすると、叩かれた。『出来損ない』って、『産むんじゃなかった』って言われた。倉庫に閉じ込められたこともあった」 「……それ、虐待じゃない?」 「今思うと、そうかも。……でも、あの時の僕は、僕のことを思ってるから、母さんはあんなことをするんだと思ってた」  菊川は泣きそうな顔をする。  蝶子はふと、菊川とこんなふうに話すのは初めてであることに気づいた。普段は無口であり、いざ口を開くのは事後なので、蝶子は疲れ切っていてまともに相手をできない。 「――ごめんね、菊川さん。私、あなたの、恋人にはなれないと思う」 「そんなの、気にしないで。僕は、こうして蝶子さんに求められるだけで、幸せだから」  菊川の言葉に、嘘偽りはないように見えた。  もしも、蝶子が菊川を愛することができたのなら、恋人同士になれたのなら、彼女の心と身体は満たされるのだろうか。優しい菊川のことなので、本当の恋人になれば蝶子のことを今までよりも大切にするだろう。それは蝶子にも分かっていた。  しかし、恋愛感情を抱いていない相手と交際することは、相手を騙しているような気がしてできなかった。どれだけ肉体関係を結べる相手でも、それだけは罪悪感が働いてしまう。   「……菊川さん、何か、私にしてほしいことある?」  蝶子は菊川の気持ちに応えることができないことについて、詫びるつもりでそう訊いた。 「えっ、別に……」 「何でもいいから、言って。菊川さんがしてほしいこと、してあげたい」  蝶子の言葉に、菊川は顔を赤らめて口ごもる。 「……お尻、叩いて」  菊川は恐る恐る言う。 「お尻、叩かれるの好きなの?」  蝶子の問いに、菊川は恥ずかしそうに頷く。 「引いたりしない?」 「よく縛ったり、言葉責めしたりしてるのに、今更スパンキングなんかで引かないよ」  蝶子は「そう言えばスパンキングはまだやったことがないな」と思った。 「四つん這いになって」  蝶子は起き上がりながら言う。菊川は言う通り四つん這いになり、蝶子に向かって尻を突き出す。蝶子が菊川の尻に手を這わせると、彼は息を呑んで身体を震わせた。  そして、――ペチッと軽く叩いた。菊川は吐息を漏らして、身体をビクッと震わせる。 「もっと強いほうがいい?」  蝶子が尋ねると、菊川はこくんと頷いた。  今度は思いっきり、バシッと叩いた。菊川の尻は赤くなり、蝶子の手の平もヒリヒリとする。しかし、菊川は「あん」と喘ぎ、ビクビクと痙攣し始める。 「気持ちいい?」 「――きっ、きもちいいです」  蝶子は何度も同じように叩く。菊川はそのたびに喘ぎながら身体を震わせる。そして、菊川は「ごめんなさい」と、うわ言のように呟き始めた。気づくと、菊川は勃起していた。 「お尻叩かれて、勃たせちゃうなんて、悪い子ね」  バシッ――。 「ご、ごめんなさい。――たたせて、ごめんなさい」  徐々に涙声に変わっていく菊川だが、どこか悦に浸っているようにも聞こえる。  菊川がこんなふうになったのは、親の厳しい教育のせいだろうと蝶子は推測した。人の顔色を窺いやすい性分も、そのせいだろう。親のせいでこんな身体になってしまった菊川を、蝶子は「可愛い」と思った。しかし、この「可愛い」は「可哀想」に近い感情だ。 「もう、止めたほうがいい?」  赤く腫れあがった菊川の尻を撫でながら、蝶子は尋ねる。菊川はそれだけで吐息を漏らしながら、身をよじらせてしまう。 「いっ、いや――。やめないで。もっと、して」  珍しく強請る菊川を見て、蝶子は満足げに笑みを浮かべた。
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