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 祖父の持っていた本を燃やして、僕たちは暖を取ることにした。別に室内を温めるには暖房をつければいいし、外で暖を取るなら焚き火やどんと焼きのように火を起こせれば良いのだけれど、祖父の遺した大量の本を手放すのにこれ以上のタイミングはなかったのでまとめて燃やすことにした。秋の終わりに祖父が亡くなったので、今年は久しぶりの喪中の正月だ。その前は祖母の亡くなった時だったけれど、それは僕がまだ保育園に通っていた頃で、もう二十年は前のことだ。それ以来血縁の近い親族が亡くなることもなければ、そもそもうんと年配の恩師などもいなかった僕は、身近な人が亡くなるということを初めて実感として経験したことになる。それは幸運のようにも、大事な経験をまだ知らないでいるようにも感じられた。  そういうわけだから今年は年賀状も来なければ、正月はお雑煮だけを食べてのんびりと過ごした。学生時代の友人とのグループメッセージでは誰かが新年の挨拶をして、他の友人が続けて同じように賀正の言葉を返した。友人たちともしばらく会っていない僕は、彼らに祖父の死や喪中のことやまだ祖父の書斎に大量の本が遺されていて、未だに整理できていないことを説明する気にはならなかった。祖父には失礼ながら、僕も当たり障りない新年の言葉を送った。それに続いてまた違う友人が『俺、今年喪中だわ、今年もよろしく』などと返す。初日の出は昨日の朝日とあまり変わらない。  「匠、持ってっても良かよ」父が煙草を咥えながら言う。父の吸う煙草は僕が東京で吸い始めたものと一緒だけれど、僕が煙草を吸っていることを父はおそらく知らない。でも僕だって、祖父の告別式の後に一人そそくさと煙草を吸っていた父が夏から禁煙しようとがんばっていたことは後から話を聞いて初めて知った。祖父の持病が悪化したこともほとんど手の施しようが無くなるまで分からなかった。大事なことはいつも知るのが遅すぎるけれど、取り返しがつかなくなって初めて分かるものならいっそそのタイミングで知ることこそが適切なのかもしれないとも思った。「狭かよ。そんなに置けん」と言いつつも、父が持つ紙袋からがさがさと音を立てながら本を探す。大きな紙袋いっぱいに入った単行本や参考書のような多くの本。純文学から五島列島の歴史の本や、経済学や民俗学や天文学の本が所狭しと並んでいて、そのどれもが経年の劣化で天地がへたっていたり、表紙が色褪せている。  どうして祖父がたくさんの本を持っていたのか、僕は知らない。確かに祖父は本を読むのが好きだったから自然と多くの本が彼のもとに集まったのかもしれないけれど、本当のところはやはり分からない。長年行きつけとしていた個人経営の書店の店員が古い友人だったのかもしれないし、去年までの自分のように自ら筆を取って小説を書こうと考えていたのかもしれない。僕の書いた文章は小説という体を成す前に物語の半ばで終わっていて、おそらくこのまま完成しない。人が死んでしまうことと小説が完成しないことは似ている。やがて記憶が薄れて生活の大部分が大丈夫になり始めた頃になって初めて夢の中に登場するような、そういう暖かさ。  紙袋から手に取ったのは『彗星の科学』という本は、紀元前のハレー彗星の話から天文学の歴史において彗星はどういう立ち位置にあるのかを記した本らしい。僕は天文学に興味があるというわけでもどうして祖父がこの本を手にしたのかに興味があるわけでもなかったけれど、理由を後付けするのであれば表紙の彗星が空に糸を引く写真がなぜか煙が空に昇っているように見えたからかもしれない。そう言っても祖父は嫌な顔をしないということだけは数少ない揺るぎない自信のあることだった。  田舎の端の町であるから火を焚いても騒ぎになることもなく、むしろ大変に風流のあることのように映る。本はあまりに数が多かったので紙袋ごと火の中に投げ込んだが、それでも紙袋の数を忘れるほどには多くの本を燃やした。煌々と煙は空に向かって一直線に登っていくが、やはり彗星とは幾分か見え方が違う。しかしどちらも、頭の中から今の今まで忘れていたものがふわりと抜けていくような感覚が似ている。  小説が僕の体の中から抜けていくにはとても長い時間がかかりそうだから、もしかすると明日には書き途中のあの小説が完成するかもしれない。完成したらきっと嬉しいと思うだろうし、誰かに読んでもらいたいと思うかもしれない。未来のことはいつも分からない。そうあってほしいと思うか、そうなるように手や足や心臓の奥の方をぐるぐると動かすかの二つに一つである。けれどこの小説を祖父が読むことは無くなってしまった。僕の周りで一番本に囲まれていた祖父は煙のように空になった。昼の日差しで星の見えない空の青さが、年明けを強烈に感じさせた。  東京はまだ浮き足だった気分が抜けていないような装いだった。僕は部屋の本棚に祖父の本を差し込んだ。祖父の書斎とはまるで異なる小さな本棚の中で、古い本の背が転校生のようにたたずんでいて可笑しかった。今年は良い年になると良かね。悪くなかったら良かとよ。仏壇のように本棚の前で手を合わせてみる。窓を開けてベランダに出ると、大掃除をさぼった埃臭い部屋に新しい風が入る。僕は煙草に火を付けようとして、もう一度祖父を思い出した。
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