第11話 ヒト形

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第11話 ヒト形

 そして2年が経ち、アルマは18歳になった。  ケモノの気配は相変わらず微々たるもので、月に1回、討伐することがあるかないかくらいの平穏な日々が続いている。執事長ヴィンツェンツには外出の都度、許可を求めに行っていたが、グスタフから何やら言い含められているらしく、眉を少しひくつかせながらも、いつも二つ返事で許可をくれた。  白炎(びゃくえん)と巨大な黒靄(こくあい)のことは、フォーゲル家との定期書簡と一緒にジルケ宛ての手紙を(したた)めて問うてみたが、白炎(びゃくえん)についてはジルケも全く知らないという。ただ、クリスタ・ホルツマン――井戸端の聖女と呼ばれる彼女に()えるのであれば、あるいは神の(たまわ)り物なのかも知れないと付言(ふげん)されていた。巨大な黒靄(こくあい)は『詳しくは知らないが、心残り、或いは行き過ぎた不安や欲求に心を支配されているような人間に多いような気がするよ。これも真実は分からないがね』とのことだった。百戦錬磨のジルケにも分からないことが、アルマに分かるはずもなく、故に観察を続けるしかないのだと。  ドロテは11歳になり、去年からインターナート(寄宿学校)にも通い始めた。そして、少しずつ大人びてゆく主の成長を温かく見守ることに、アルマは喜びを感じ始めていた。同時に、屋敷の使用人にすら会うたびに笑みを(こぼ)し、折りを見ては自ら作った花冠などを誰構(だれかま)わずプレゼントする(さま)を見て、『ああ、この子はずっと話し相手がいなくて寂しかったのだな、演技をしてでも私の関心を惹こうとするほどに』と思った自分を恥じた。寂しいからと言ってそのようなことを続けられる訳が無い。そこにあるのは、相手を喜ばせたいという想い、或いは純粋な奉仕の精神か。 「オスヴァルト君と一緒にツチダの状況を見てくるように。具体的なことはオスヴァルト君に伝えてあるから、彼の指示に従うこと」  春の花々の季節が終わり、そろそろ色の濃い季節になろうかという5月に入ってすぐ、グスタフの名でヴィンシェンツから指示があった。  ドロテが6月の終わりまでインターナートにおり、侍女のみのお役目で雇われたアルマは本来ならばその期間、お(いとま)となるのだが、グスタフはどうもフォーゲル家の者を屋敷に置いておきたいらしい。お給金を頂きながら、執事たちの補佐の他に、言われるがままに衛兵たちやインターナートが終わったランプレヒトとハインツの訓練相手をしていた。  臨時の剣術指南役、とでも言えばよいのだろうか。グスタフやダミアンでは技術的な指導は行なえるが、強すぎて実践的な訓練がなかなか難しいというのだ。ならば兄のオスヴァルトも、と提案したのだが、彼は強い上にトリッキーだから衛兵たちの相手としては不向きだとダミアンは言う。はて、そんなに個性的な剣筋だったかとアルマは思うのだが、何せ8年以上も前の記憶なのだ。その間に自分の道を作っていても不思議ではない。 「兄様、ツチダに(おもむ)く前に稽古を付けて頂きたく、立ち合いを所望いたします」  妹が何やら堅苦しくお願いをすれば兄の方は、 「いいよ。可愛い妹のためだ。胸を貸してあげようじゃないか」  と、至って平静である。  横で訓練していた衛兵たちもこれは見逃せない、とばかりに訓練用の武器を放り投げ、すぐに二人を取り囲む観衆と()けた。  アルマの得物はロングソード。  対するオスヴァルトの得物は左手に大型ナイフ、右手にはロングソードよりも少し小ぶりなスモールソードである。(もっと)もそれらは全て訓練用に作られた木製のもので、刃も無ければ切っ先も存在しない。  さて、ロングソードを両手で持ち、正眼に構えたアルマに対して、オスヴァルトは普段通りの立ち姿の如くに両腕を下げている。訓練とは言え、これから戦う者にはとても見えない。  仕掛けるのを躊躇(ちゅうちょ)する妹に対しても、 「どうしたのかな? かかっておいでよ」  と、兄の方は少しも変わらぬ至って平時の声色だ。  どうしたものかとアルマは思う。左手に握られた大型ナイフは、定石通りならパリィ(受け流し)用であろう。バランスを崩されてしまえば一瞬で勝負がついてしまう。それならばスモールソードを持つ右手側から攻めるが上策か。  思うや否やアルマは右足を踏み込み、相手の右膝から左肩を目掛けて素早く斬り上げる。  カン! と乾いた木の心地よい音が修練場に響き渡る。オスヴァルトがスモールソードで横から叩いたのだ。軌道が右に()らされた剣筋は当然の如く当たらない。しかし(もと)より当てる気のなかった振り。その後も、右から左に横一線、踏み込みからの逆袈裟、そこからの斬り上げなど体のバランスを維持しながら次々と繰り出すが、全て最小限の動きで兄に(かわ)される。 「お前の剣は相変わらず冴えてるなあ。これは私もうかうかしてられないぞ」  言葉とは裏腹のオスヴァルトの余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の表情がアルマの心を逆撫で、乱す。 「ふ!」 「ほい」 (落ち着け) 「えい!」 「危ない危ない」 (落ち着け、イライラしては駄目だ) 「せい!」 「うわ、今のは危なかったなあ」 (落ち着け、落ち着け私)  その後もアルマの繰り出す剣を息も乱さず、剣も出さずにオスヴァルトはひらり、ひらりと避け続けた。だが、オスヴァルトの涼しい顔が真顔に変わればアルマに言い放つ。 「ふーん。我が妹ならと期待したのだけど、こんなものとはね。がっかりしたよ」 「なんですって!?」 (乗せられては駄目だ。落ち着け、落ち着いて私。お願い)  だが、いくら平常心を(たも)とうと必死になっても、一度火が付いた体は止まらない。全身の筋肉が強張るのを感じながら、それでも(はや)く、(はや)く、あらん限り(はや)く。 「らあああああ!」  アルマは獣の如き声を発しながら、オスヴァルトに渾身の突きを繰り出す。やや前のめりに。 (いない!?)  アルマがそう思ったときには、首筋に冷たい木の感触が在った。 「……参りました」 「良い腕前だけど、精神面がまだまだだったな、アルマは」  完敗だった。グスタフやダミアンとは剣を何合(なんごう)も打ち合った末の完敗。しかし、オスヴァルトの剣には最初に弾かれて以来、ただの一度しか触れていないのだ。これ以上の完敗は無いかも知れない。才能の差というものはここまで残酷なものなのか。 「こういう言葉での駆け引きというものは、結局のところどれだけ慣れているかで変わるからね。それも鍛えて、剣も鍛えれば、アルマはもっと強くなれるはずなんだ。だから泣くんじゃない」 (私が泣いてる? そんな馬鹿な) 「あ……、本当ね」  悔しいのだ。どうにか心の中でケリを付けようと考えてみたが、やはりどうにも私は悔しいのだ。 「兄様、ありがとうございました。私、もっと強くなって兄様に勝てるようになります」 「ああ、そうだね。なれるよ、きっと」 「はい」  そうして立ち合いを終えたアルマの顔は実に晴れ晴れ(はればれ)とし、自身が強くなる未来を夢見ていた。  だが――
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