第17話 山羊頭

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第17話 山羊頭

「!?」  突如として後ろに現れた反応にアルマがすかさず飛び退()けば、今し方(いましがた)消滅したはずのヒト(まが)いが、体よりも大きな口を開けて通り過ぎてゆくではないか。であればもう1体――、と気配を探ろうとしたときには背後から強い衝撃を受け、床にもんどり打っていた。  仕留めたはずのケモノがなぜ突然背後に出現したのか。  頭の中が疑問で満たされても、ヒト(まが)いには関係のないことだ。四つん這いの姿勢から咬みつき、或いは踏み付けてアルマに執拗に攻撃を加えてくる。  (うめ)き声を漏らしながらも、ヒト(まが)いの数度の追撃をなんとか躱せば、タネも仕掛けも、否が応でもその眼に飛び込んで来ていた。  とても単純な話だ。2体のヒト(まが)いは、いつの間にか細く満遍なく床に張り巡らされていた蔓草(つるくさ)のような黒靄(こくあい)で山羊頭と繋がっていたのだ。つまり、ヒト(まが)いは別個のケモノのようでいて、その実、山羊頭の体の一部に過ぎないとアルマは結論付けた。  で、あればだ。ここで新たな疑問が湧いてくる。どこを斬ればとどめを刺せるのかと。  立ち上がって体勢を整えた彼女は、倒しても倒しても襲ってくるヒト(まが)いを次々と斬り伏せては、時折、山羊頭を見遣る。それは最初に()たときから動いておらず、変わらずベッドの(かたわら)からこちらを見ていた。なるほど、つまり、と迫りくるヒト(まが)いの間隙(かんげき)を縫って、山羊頭に右手の長剣を振り下ろす。と同時に、左手の準備もするが、山羊頭は実にあっけなく、砂の如く崩れてゆく。  ――おかしい、とアルマはすぐに違和感を感じ取った。振り返り(ざま)に長剣を薙げばヒト(まが)いの1体が切断され、同じようにさらさらと崩れゆく。  だが、どうだ。残る1体は山羊頭が消えてもなお、その動きに衰えを見せることなく、虚ろな顔で攻撃を仕掛けてくるではないか。先ほど倒した1体も混乱のうちに視界の端でみるみる形を成している。  この2体は山羊頭の体の一部ではなかったのか? 新たな疑念に頭を支配されながらも、形を成したばかりのヒト(まが)いを一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つと動き出す前に斬り伏せる。そうして十ほども砂にした頃だろうか。ふと床に視線を移したアルマはあることに気が付く。  一見、ランダムに張り巡らされたかのような蔓草(つるくさ)の如き黒靄(こくあい)。しかし、よく見ればそれは実に規則正しく床を這っていた。そう、山羊頭の悪魔の全身を描くように。  悪魔とはなんであるのか。ヒトを(だま)し、(あざむ)き、(そそのか)し、誘惑し、そしてヒトの魂を喰らう。何の事はない。あれらは最初から蔓草(つるくさ)の如き山羊頭の一部だったわけだ。  悪魔にまんまと欺かれていただけ。それだけのことだ。実に、それだけのこと。  そうと分かればアルマの行動は早い。未だに生成され続けるヒト(まが)いを片手間に斬り捨てながら、床に這う蔓草(つるくさ)を少しずつ、しかく手早く切断していく。やがて悪魔の頭と胴を残すのみとなった頃にはヒト(まが)いはすっかり生成されなくなっていた。 「う、ぅぅ、ぅーん……」  そして聞こえてくるドロテの苦しそうな声。それと合わせるように山羊頭が上半身を(もた)げ、徐々に床から這い出してきた。緩慢な動きのそれに対して、すかさずアルマは長剣でその頭部を切断するも、切断面からは黒靄(こくあい)が噴出するばかり。霧散しない結果に、滅獣の理の使用を強く示唆される。  ならばと長剣と短剣を胸の前で交差させて静かに二重に唱える。 「眠れ。ナハトルーエ(刻死)」  はらはらと解ける剣身に続き、淡く輝く神紋の立方体が今なお這い出し続ける山羊頭を捉え、途端に収縮すれば、箱の消滅と同時に山羊頭も消えていた。  だが、それは表出していた部分だけであった。黒々とした蔓草(つるくさ)は未だ消滅せず、山羊頭の健在を(ほの)めかす。  アルマが再び思索の海に沈もうとしたそのとき、変化は起こった。残っていた蔓草(つるくさ)がするすると一点に引き寄せられ、天井に伸びてゆく。それは最初の出現と異なる事象。注意深く観察する彼女の前でそれは複雑に絡み合いながら、瞬く間に山羊頭を形作り、そして口を開く。 「(えぐ)り獲れ。ファントムドーン」  その様子にアルマは耳と、そして目を疑った。  ケモノが声を出した。いや、それならばまだいい。ドラゴンの咆哮の例もある。紛い物の山羊頭と言えど、ヒトに近い形をしているのだ。人語を話すこともあるだろう。しかし、その右手はどうだ。まるで()える者が還魄器(シクロ)を具現化させるときのような二重(ふたえ)の詠唱。それに応える形で(ただ)しく具現化された、薔薇の棘の如く根本が膨らみ剣先の歪んだ細剣が握られていたのだ。 「う、ぅ、……ろさない…で……」  呼応するかのように(うな)されるドロテの声が漏れ聞こえる。 「さてもさても。まだ教会は我らの邪魔をするか」  薄暗い室内でそれは意志を持っているかのようにハッキリと喋れば、アルマも返す。 「残念ながら私は教会とは無関係よ」 「なれば、なぜ我を滅しようとする? 教会の人間ではないのであろう?」  山羊頭の疑問も(もっと)もだ。なぜ、と問われてすぐに返すことが出来る答えをアルマは持っていない。暫し睨み合いながらの沈黙。その間、山羊頭は不釣り合いなヒトの眼をずっと彼女のスモーキークォーツの瞳に合わせる。しかし、そこに揺らぎはない。考えれば簡単なことだ。 「あなたたちケモノはヒトを害するための存在なのでしょう? ならば私は、家族を、愛する人たちを守るために、只管(ひたすら)に滅するのみ」 「我らが本当はヒトを害する存在ではないとしてもか?」 「先ほどまで擬態し、私を全力で殺そうとしていた者の言う事を信じろとは、呆れて物も言えませんよ」 「ふはははは。それもそうだな。では、やるか」 「ええ。存分に」  そうして山羊頭は棘の細剣を前に出し、半身で構えた。左手は手の甲を左腰に当てている。対するアルマはいつも通り左手足をやや前に出す、ほぼ正面の構え。  先ずは急襲と、アルマは長剣で山羊頭の細剣を押さえつけ、短剣を眼前に突き出す。しかし、後ろにするりと抜けられ躱される。そのまま長剣、短剣と交互に、或いは連続して斬撃を繰り出すが、踏み込みが甘かったのか全て躱されてしまった。それでもどうにか山羊頭を壁際に追い詰めるも、今度は敵の攻撃が続く。  深く踏み込むでもなく、アルマの目線に合わせて自らの手の位置を調整し、剣先の遠近感を掴みづらくさせる巧みな突きの連続。それを両手の剣で何とかいなし、弾いてしのげば、今度はアルマの背に壁が迫っていた。  それでもなお、彼女のスモーキークォーツの瞳に焦りの色は見えない。それはなぜか? その答えはすぐにでも開示されることだろう。  慢心したのか、(りき)み過ぎか、はたまたヒトに語れぬ事情でもあったのか、最後の一撃とばかりに大きく踏み出された敵の突きは、それまでよりも遥かに鈍いものだった。  即座に反応したアルマは山羊頭の懐に踏み込み、先ずは長剣を右に横一閃して両足を切断。続けて短剣を敵の右腕に突き刺し、攻め手を無効化する。山羊頭も負けじと左腕でアルマを打ち払おうとするが、時すでに遅し。(かいな)が彼女のいたところを通過する頃には、その視線は彼女を見上げていた。 「眠れ。ナハトルーエ。……お前など兄様の足元にも及ばない」  そして、神紋の箱が消えれば、捨て台詞も残せずに山羊頭は完全消滅とあいなった。 「……アルマ? そんなに疲れてどうしたの?」  気付けば、ドロテがベッドの上で体を起こし、寝ぼけ(まなこ)にアルマを心配している。 「ドロテ様から良くないものを追い払えるように、稽古をしながらお守りしておりました」 「ふふふ。アルマったら変なの。……それよりも聞いて! 私、夢の中でお化けに襲われていたの。そしたら教会の人が助けに来てくれたのよ。でも、その人がお化けに倒されそうになったから、えい! ってお化けに体当たりして一緒にやっつけたの! 凄いでしょう?」  ああ、こんなに楽しそうなドロテ様は何日ぶりだろうと、アルマは思わず涙ぐむが、それを悟られまいと努めて冷静に会話を続ける。 「ええ。ええ。それはようございましたね。本当に、ようございました」 「泣いてるの?」 「いえ。……いや、色々ありました(ゆえ)」  そして小さな主は侍女に向かい、満面の笑顔で自らの良案を披露した。じゃあ、今夜は私が一緒に寝てあげる! と。
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