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白霧之吾 夜の空より紫黒に輝く②
私は思い出したように瞬きをすれば、巨大な月が浮かぶ満天の星空の下、リコリス・オーレアの鮮やかな黄金色の絨毯がどこまでも続く野原にいた。一瞬のうちに辺りの景色は一変していたのである。
既に霧はなく……、否。20メートルほどの距離にそれは居た。
甲冑を纏い、ツヴァイヘンダーを背負った髪の無い霧の人間。相変わらず目玉は無いが、白銀の月を背にじっと私を見つめている。
薄翅の双剣を手に、私は一歩、踏み出す。私の足元からは変わらず紫黒の光の粒が舞う。すると向こうも一歩。また一歩、相手も一歩。光の粒を散らしながら少しずつ近づくと、3メートルほどの距離となったとき、相手はツヴァイヘンダーを脇に構えて、静かに口を開いた。
「死合おうか」
「ええ、死合いましょう」
刹那、霧の男は間合いを詰め、左足を軸にして横薙ぎに剣を振るう。黄金色の花弁が一斉に揺れ動くが、私の体はそこにはない。基本に忠実な横薙ぎと見て、振りの初動を見るや、すぐに後ずさり、間合いを外していた。
相手は空を切った大剣をそのまま振り抜き、左脇構えの姿勢。そこからの2撃目も恐らく、素早く距離を詰めてからの横薙ぎではないだろうか。
予想通り、彼は左足を大きく前に踏み出し、初撃よりも更に鋭く詰めてきた。私は振り始めを見逃さず、すかさず間合いを空ける。だが、これは違う、そうではないと私の頭が否定する。
而して長い刃が右から左に線を描くが、それは最後まで振り切られることなく、やや手前で急減速した。かと思えば、次の瞬間にはその切っ先がすっと、一切の澱みがなく迫る。私は咄嗟に左に躱し、一時をしのいだが、攻撃の手は緩まない。足元の黄金色の花弁を舞い散らせながら、横に薙ぎ、そして突きへの変化も織り交ぜ、獲物を仕留めようと静かに、そして重く私を追い詰める。大剣を巧みに使う相手に隙も見つからず、手も足もでないまま、いたずらに時間が過ぎていった。
何か打つ手はないか。
攻撃を躱すのに手一杯で、じっくり観察する余裕もないが、これまでの攻撃から何か得られるものはないかと思考を巡らせれば、思い付く作戦はあの重い大剣を受け止め、或いは受け流す非現実的なものばかり。
だが、一つだけ違う案があった。それもどちらかと言えば現実的ではない作戦なのだが、このまま黄金色の花弁と共に運命を散らすよりはましと思えた。
相手は突きが終わった後、横薙ぎにつなげるまでに僅かに澱みがあるのだ。その隙を穿てば勝利は見える。方針が決まったところで、私には少し余裕ができ、相手の動きを前よりも把握できるようになった。少し、しかし大きな違い。お陰で先ほどよりも間合いをとることが出来た。あとは突きの動きを見逃さず、攻撃に備えるのみ。
そして相手は私の間合いの外から突きを繰り出す。見慣れた初動を見切り、ここぞとばかりに左斜め前に足を大きく踏み出し、一気に間合いを詰めて長剣を振るう。
だが、次の瞬間、私の体は地面に叩きつけられていた。
静剣のバルナバス。坊主頭のツヴァイヘンダー使い。彼ほどの剣の使い手が自らの弱点をそのままにしておくはずはない。それが霧の模倣品だったとしてもだ。
彼は、私が突きを避けて懐に飛び込むと見るや、即座にリカッソを持つ右手と柄を握る左手を強引に外に動かし、瞬時に大剣を横に振ったのだ。幸いにして刃ではなく剣身の面で、それも十全とは言えない勢いで叩かれたため、体を動かせないような事態にはならなかったが、不利な状況であることに変わりはない。
バルナバスを模した霧は地面に切っ先が付くように大剣を薙いでくる。まさしく這う這うの体で転がり、逃げ回り、ときに双剣を盾にして、黄金色の花びらが何度も舞い上がった。
必死の思いで避け続け、どうにか立ち上がりかけたそのとき、私の目にはすぐ近くでツヴァイヘンダーを頭上高く振り上げんとする敵の姿が飛び込んできた。
下策。実に下策。
私は霧の体に向けて低い姿勢で素早く踏み込み、体を起こす勢いを借りて長剣で彼の首を切り裂いた。その動きには一切の澱みがない。
「見事」
大剣を頂点まで振り上げたそのままの姿勢で霧が呟けば、刹那に世界は闇に染まった。そこには満天の星空も白銀の月も、黄金色のリコリス・オーレアも無い。一歩踏み出せば、そこから波紋の如く光の輪が広がり、消える。一歩、二歩と歩みを進めると光の波紋も一つ、二つと重なり広がる。
そこに在るのは私と闇と光の波紋。そして私を囲むような六つの大きな白炎ばかり。
「よくやった。アルマ・フォーゲル」
一つ声がすれば、輪唱のように五つ続き、響く。
「やったね」
「よくやったもんだ」
「大したものだわ」
「よくぞ成し遂げた」
「上出来だよ」
「あなた達は誰なの?」
私が訊ねると、私を中心に幾重もの光の波紋が暗闇に広がった。
「だが、違うようだ」
「あなたではないみたいね」
「お前じゃない」
「あなたではなかったのよ」
「お主ではない」
「君ではないみたいだ」
……返答はない。私の言葉を無視して白い炎は揺らめき続ける。
「私でなければ、なんだというのだ!」
このようなところで、訳も分からず否定する様子に私はつい声を荒げてしまった。光の波紋は先ほどよりも速く強い。
「お前は誰だ?」
「あなたは誰?」
「お前は何者だ?」
「あなたは誰かしら?」
「お主は何者か?」
「君はいったい誰なんだい?」
「アルマ! 私の名前はアルマよ!」
いよいよ光の波紋は力強く、十重に二十重に響き続け、至る所でぶつかり、反射し、反響し合い、増幅を重ね、いつしか白炎も見えぬほどに闇を埋め尽くした。
そして――
*
「――お嬢さん、お嬢さん」
御者の好々爺の声で私は目覚めた。
そこにはもう霧は無い。あるのは色と、声と、雑多な音と、草と木と花と土とヒトと馬が混ざったニオイ。
「すっかり霧も晴れたんで、出発しますよ」
御者が声を出せば、馬は察したのかゆっくりと歩き始めた。
ああ、そうだ。実家に帰らなければ。
悪い夢に囚われていたような気がするが、その記憶は霧がかかったように思い出せない。
しかし、私は私だ。
私の世界はここにある。
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