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第24話 エメリヒ・クレーベ
「アルマ、ケモノはあと何体残ってる?」
「……70ほどかと」
「4人なら楽勝だね。行くよ」
視界を埋め尽くしていた神々しくも恐ろしい巨大な光柱群は唐突に消え、辺りは再び満月のみが柔らかく照らす夜の世界。
確認が終わり、掛け声と同時にジルケが走り出すと、アルマも躊躇なく追従した。
「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……」
道中の取りこぼしに剣を振るい、或いは突き立てながら二人は闇夜を駆け抜ける。やがてケモノが密集しているエリアに辿り着けば、戦っていたのも同じく二人。一人は流麗な装飾の青いグレイブを振り回すベルタ、もう一人は無骨で柄の長いメイスを叩きつける線の細い女性。二人とも、いつかアルマがジルケから贈られたような色違いの上下を纏い、フードを目深に奮闘していた。
その二人ともが察したのか、まだ距離のあるジルケたちをちらりと一瞥。直後、ケモノの群れを左右から挟み込むように立ち回り、片やグレイブを水平に構えて捻りながら、澄んだ波紋の如き声で「閉じよ! ブラウス・ゲフェンネス!」と二重に唱えれば、忽ちのうちに仄かに水色に輝く無数の泡がケモノたちを包み込み、そして弾けた。
片やメイスを地面に叩きつけるような仕草で、そのまま力強く「焼き尽くせ! ローター・ザーグ!」と二重に唱えれば、地面に触れるその刹那にメイスはみるみる炎となり、幾筋にも分かれてケモノを包み、焼き尽くす。
「ボケっとしてんじゃないよ! こっちに来るよ!」
青と朱の鮮やかな色と共に瞬く間にケモノが消えてゆく、その様に目を奪われ、目の前の状況を把握していなかったアルマにジルケの檄が飛ぶ。気付けば20は下らぬケモノの群れが眼前に迫っていたのである。
「私はここで頭を押さえるから、アルマは左から回り込んで数を減らしな!」
アルマも慣れたもので、ジルケの指示に無言で従い、速度を落としたケモノの群れに側面から襲い掛かる。数が多いとはいえ、所詮は小型のケモノのみ。一つ、二つと確実に数を減らせば、今度はジルケから凛とした二重の声が聞こえてきた。
「ぐっすりお眠り。フィーレ・ナハトルーエ」
ツヴァイヘンダーを垂直に構えて唱えれば、現れたのは淡く天藍に発光する無数の箱。それは次々とケモノたちを閉じ込め、萎み、滅してゆく。
やがてケモノがベルタの周囲にいる5体となったところで、メイス持ちの女性がジルケに声を掛けた。
「先生、お久しぶりでございます」
「ああ、ソフィア。久しぶりだね。10年ぶりになるかね?」
「もうそんなになりますか。失礼ですが、そちらのお嬢さんはどなた?」
「こいつはアルマ。ベルタの姪っ子だよ。お前さんたちと同じく視える者で、私の最後の弟子さね」
「まぁ、そうでしたの。初めまして、アルマちゃん。うふふ、若くて羨ましいわ」
そう言って彼女はフードを外すと、アッシュブラウンの繊細なストレートヘアーが流れ落ちた。暗がりとは言え、艶のある髪と肌からは、アルマと歳が離れているようには見えない。
「ソフィア様、初めまして。お話したいのはやまやまなんですが、私たち、ここでこうしていて良いのでしょうか?」
「そうだな。ソフィア、用件を話せ」
「畏まりました。では現状の共有から始めましょう。先ずはこの奥、更に300メートルほど進んだところに黒靄が広範囲に広がっている地点があります。中心部にはヒト型か悪魔か、或いはケモノ憑きと思われる塊も感知できるため、そこが今回の禍の原因ではないかと考えています」
アルマとジルケが無言で頷いたのを確認してソフィアは先を続ける。
「問題はもう一つ。ここから南、お屋敷の方角へ100メートルほど戻った場所にも靄が集まっています。ですので――」
「あたしとソフィアで南を警戒するから、ジルケさんとアルマは北の方をお願いします」
ソフィアが何か話を展開させようとしていたが、ケモノ退治が終わったであろうベルタが割り込むように口を出した。まどろっこしいのは苦手だと言わんばかりに。
「北も南も、また大量発生するかも知れないんだ。エラとエリアスを下がらせて人手が足りないんだから、こんなところで喋ってないでさっさと行くぞ、ソフィア」
「分かった。そうするわ。それでは先生とアルマちゃん、また終わった後に」
まだ話し足りなそうなソフィアを引き連れてベルタが南に走れば、ジルケとアルマの二人は北に駆ける。目指す先はケモノがいつ大量発生してもおかしくはない靄の密度であったが、幸いにして二人の進路を邪魔するものは現れず、実にすんなりと辿り着くことが出来た。そして、木々の中でも一際太く大きな樫の前で、それは胡坐をかいていた。満月が照らす開けた場所で、まるでそう在るべくしてそこに存るかのような様で溶け込み、しかし、それでもなお違和感を放っている。
「あんた……、エメリヒ・クレーベだね?」
それに歩み寄りながらジルケが凛と響く声で誰何すれば、声の宛先は徐に立ち上がり、常人のものよりも大きい直剣を抜いて、その鞘を無造作に捨てる。そして狼のような、ヒトのような、或いは悪魔にも似た歪な黒靄が同時に動いた。
「左様。そちらはジルケ殿とお見受けいたすが如何?」
「私はその通りだが、王国の要職についているあんたが、こんなところで一体何をしているんだい?」
エメリヒ・クレーベと言えば、かつて王の命により王国宰相グスタフ・オダを殺害し、王国最強と謳われることもある王軍のトップだ。それがオダ家領内、しかもケモノ憑きが如くに黒靄を纏ってここにいる。そして、スカイブルーの生地にデザイン化された黒いセイヨウサンザシの描かれた長袖のチュニック、ガントレットの装いは、兜こそ被ってはいないが、ほぼ完全武装であるという異常な事態。
そのような人物が何故ここにいるのかと思考を巡らせれば、ケモノ憑き故の突発的な行動であろうとアルマは思ったのだが、視線の先で構える男から帰ってきた答えは、今まで幾度もジルケから聞かされたものと、そう変わらないものだった。
「手合わせを所望いたす」
「普段なら適当に叩きのめしてとっととお帰り願うところなんだが、自分で気付いてるかい? ケモノに憑かれちまってることに」
「なんと。某がケモノ憑きと申されるか。冗談は後になされよ」
「この状況で冗談など言うものか。あんただって心当たりはあるんじゃないか? 黒い靄のようなものや、見たこともないような動物が視えたり、夜なのに視界が明るかったり。それと、両手両足はちゃんとお前さんのものなのかね?」
「言われてみれば確かにその通りだ。身に覚えがある。それに手足も……、どうやら肉体がなくなっているようだ」
「……」
ジルケとアルマは、段々と瞳の輝きを失ってゆくクレーベを無言で見守っていた。否、真剣な表情で観察していた。
「ふむ。これがジルケ殿の視ていた景色であるか。これであれば戦場で縦横無尽に敵兵を斬り伏せていたというのも頷けるものだ。……さて、手合わせ願おうか」
「(アルマ、そろそろ来るよ。私が左手を上げたら、あいつにナハトルーエを使うんだ)」
ジルケの小声の指示にアルマが小さく頷けば、ジルケは再びクレーベと向かい合う。
「生憎、ケモノ憑きと手合わせする度胸はないんだ。お断りだよ」
「なぜだ? 某は闘いたいのだ。貴殿はケモノと闘う術を心得ているのであろう? 某はどうすれば良いのだ? どうすれば貴殿と闘える? 我は貴殿と死合いたいのだ。肉を斬り、骨を断ち、首を刎ね飛ばし、お前を殺したくてしょうがないのだ。ああ! 心を壊したい! 体を粉砕したい! 破壊したい! 殺したい殺したい! 我の敵! 敵! て――」
ジルケが左手をすっと挙げると、アルマは玲瓏として二重に唱える。
「闇に眠れ。ナハトルーエ」
薄翅の双剣がほろほろと分解され、同時に、仄かに紫黒に輝く箱がクレーベを閉じ込める。そしてそれは瞬く間に縮み、彼に憑いたケモノを滅した。
――はずだった。
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