最終話 暁天の蝶

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最終話 暁天の蝶

「闇に眠れ。ナハトルーエ(刻死)」  薄翅(うすばね)の双剣がほろほろと分解され、同時に、(ほの)かに紫黒(しこく)に輝く箱がクレーベを閉じ込める。そしてそれは瞬く間に縮み、彼に憑いたケモノを滅するはずだった。  箱の在った周囲には当然何もなく、しかし、クレーベは彼女の視界の片隅で、彼女が予測していなかった場所で、ジルケのツヴァイヘンダー(両手持ち大剣)に顔を貫かれていた。  アルマが記憶を遡行(そこう)するに、箱が形作られるが早いか、ジルケが年齢を感じさせぬ脚力であらぬ方向へ駆け出し、ツヴァイヘンダーを前に突き出したまま大きく跳躍。すると箱を避けたクレーベがそこへ現れ、見事、ジルケの一撃が命中した。  アルマが呆然としている中、ジルケがツヴァイヘンダーを引き抜き、その切っ先を桔梗色(ききょういろ)の天に向けて唱える。 「闇に眠れ。ナハト――」  しかし、凛とした二重(ふたえ)の声は中断された。顔を貫かれ絶命したと思われたクレーベが突如として獣の如く四つん這いになり、明後日の方向に顔を向けたまま、ジルケに突進したのだ。  その壊れた顔と心のままに相手を(ほふ)ろうとするクレーベの突進に対して、刹那のうちに剣を盾にしたジルケだったが、質量の違いにさしもの彼女も耐えることはできなかった。アルマの目の前で()ね飛ばされ、地面に強く体を打ち付け動かくなれば、同時に還魄器(シクロ)も消え失せた。  ――ああ、小母(おば)様は全て知っていたのだ。分かっていたのだ。こうなることを予測して私にナハトルーエを唱えさせたのだ。私を守ろうと、私を死なせまいと、一人で()()を打ち倒そうと。  ――実に、()められたものだ。  次の瞬間、アルマは駆け出していた。目指すは四つん這いの異形。衝突の後、()(むし)るようにして肉体としての頭を自ら捨て、黒い頭にヒトの眼を覗かせるそれに最早人間の面影は無い。 「ふ!」  素早く間合いを詰めたアルマが右、左と次々と双剣を繰り出せば、四つん這いのケモノは器用に躱し、或いはガントレットを使って身を守る。そして、隙を見て大きく後ろに飛び退くや、そのまま二本足で立ち上がり、二重(ふたえ)の声を重く響かせる。 「浄化せよ! グローサーヴァーゲン!」  (たちま)ちのうちにケモノの右手に現れたのは、月の明かりを(まばゆ)く反射して白銀に輝く、細身の長い直剣。剣身に等間隔に埋め込まれた淡く赤紫に光る七つの(ぎょく)が、一層その美しさを際立たせる、実にケモノには不釣り合いな剣だった。  だが、これでアルマは得心した。なぜケモノの形が歪だったのか。そんな思考をよそにケモノは白銀の剣を見て一人嘆く。 「ああ、我が王よ。どうしてご自害なされたのか。(それがし)があの時、お諫めしていれば良かったのでしょうか。命令に従わず、失敗した振りをして逃げ帰れば良かったのでしょうか。残されたのは下賜されたこの剣のみ。……グスタフも、そして我が王も死んでしまった。人間など簡単に死んでしまうものだ。それであれば、いつ殺しても構わない。ああ、そうだ。殺さなければ。我は殺したいのだ。簡単なことではないか。殺したかったのだ。壊したかったのだ。ヒトを、教会を、この世界を」 「あなた、もうどうしようもなく混ざっているのね」 「ああ、その通りだ。悲しみ、後悔、嫉妬、狼、エメリヒ・クレーベ、熊、そしてお前たちが悪魔と呼ぶ者。様々な感情や記憶が混在していて、煩わしいことこの上ない。だから」  ――早く殺されて楽になりたい。お前たちを殺して楽になりたい。  そう言ったケモノは緩慢な動きで四つん這いになったかと思うと、刹那に間合いを詰めながら白銀の剣を突き出す。虚を突いたはずのケモノの一撃。しかし、予想に反し、難なく横に躱してみせたアルマ。  だが、アルマが咄嗟に反撃を試みたときには、既にケモノは宙へと逃げていた。いつの間にかその背中に生えたコウモリのような羽を、しかし、コウモリとは異なり大きく羽ばたかせて宙に留まっている。  その束の間、アルマは思い出したかのように「ふぅ」と息を吐き、改めてケモノを、周囲を()る。大きな羽の生えたそれには山羊の如き角も生え、いよいよ悪魔が混ざっていることを確信させた。そして、吹き飛ばされたジルケを視界の端で捉えれば、彼女の黒い(もや)は未だ内にあり、(かす)かに胸の辺りも上下している。  ほんの少しの睨み合いは、ケモノがその羽を細かく羽ばたかせたことで終わりを迎えた。  ケモノは正面から飛び込んで剣を横に薙ぎ、躱されるのも、弾かれるのも気にせず、次々と一撃離脱を繰り返す。対するアルマは稽古によって研ぎ澄まされた反応速度と鍛えられた体幹により、己の側面や背後に回り込もうとする動きの(ことごと)くに反応し、全て正面で対応することが出来ていた。何よりもケモノの動き、攻撃がワンパターンだったのだ。少し慣れれば造作もない。  しかし、飛び回る敵に、アルマが未だ攻撃を合わせられずにいたことも事実。双方、決め手を欠いたまま持久戦の様相を呈し始めたところで、アルマが動いた。  上空から地面すれすれまで急降下し、その勢いを借りた急接近からの横薙ぎ。うんざりするほど対応したことにより、このときばかりはケモノの軌道が手に取るようにわかったのである。 「一つ」  予測軌道上にアルマが素早く移動し、水平に刃を向けて羽を1枚切断。 「二つ」  アルマは地面に墜落してもんどりうったケモノに猛然と駆け寄り、もう1枚の羽を切断。 「三つ」  追撃の手を緩めず、革のブーツでしか守られていない両足に刃を突き立て、切断した。 「四……」  だが、足を即座に回復させたケモノが間合いを取り、それ以上の追撃はかなわなかった。これも黒靄(こくあい)の立ち込める場所(ゆえ)か、通常は内部からの(もや)で欠損部を補おうとするが、内部と外部、その両方から体を形作っているようにも見えた。  間合いを取り、追撃を躱したケモノは今度は二本足でアルマに迫り、先端が歪に曲がった白銀に輝く長剣で斬りかかる。  ――先端が歪に曲がった?  そうだ。あれは繊細で優美で、真っ直ぐだったはずだ。それがいつの間にか、柄杓(ひしゃく)(ごう)のように、赤紫の(ぎょく)で曲がっている。  そしてケモノは羽を失った直後の無様な状況から一転、アルマの間合いの外ぎりぎりから、振り下ろし、横に薙ぎ、袈裟に斬りと、息もつかせずアルマに斬りかかった。狡知(こうち)にして巧手(こうしゅ)。アルマも躱し、いなし、弾いて応戦するも、見慣れぬ特異な形状の剣の前に、いたずらに生傷を増やしていった。  死。  アルマの脳裏に不意にその言葉がよぎった。そして、自身の死のイメージと共にある結論を導き出す。  ――ああ、簡単なことではないか。どうして今まで気が付かなかったのだろう。全ては導かれていたのだ。  次の瞬間、彼女はこれまでよりも力強く大袈裟に白銀の剣を弾き飛ばし、全力でケモノの横を駆け抜けた。すれ違いざまに放たれた苦し紛れの斬撃により、(もも)にやや深い傷を負ったが、今のアルマには些事である。  一心不乱に目的地――濃い(もや)が立ち込める中心部に辿り着くと、すぐに振り向きケモノを見据えた。そして、力強く双剣を地面に突き立てれば、二重(ふたえ)玲瓏(れいろう)と唱える。 「()け! トッド・シュメタリン(刻死蝶)!」  直後、薄翅(うすばね)の刃は無数の異形の黒蝶へと変わり、ケモノを喰らわんと纏わりつく。しかし、ケモノも俊敏な動きで蝶から逃げ、遂にはアルマを仕留めようと迫ってくるではないか。やがて薄翅(うすばね)が全て蝶に変わり、丸腰のアルマにケモノが突き出した白銀の刃が届こうとした、まさにそのときだった。 「ぬう!」  辺りに大きな金属音が響き渡り、ケモノが呻き声を漏らして()()った。 「はっはー! クレーベよ、あんた戦場(いくさば)だっていうのに随分と油断したもんだね!」  ケモノの刃を弾き、闊達(かったつ)に笑うジルケの姿がそこに在った。続けて追撃を仕掛け、チュニックの下のキュイラスとガントレットを変形させてゆけば、実に景気のいい声でアルマをけしかける。 「アルマ! 何か隠してるのがあるんだろ! さっさと使っちまいな!」  ジルケが言い終わるが早いか、アルマは刃の無い右手の長剣を突き出して、再び唱えた。玲瓏(れいろう)二重(ふたえ)に。 「喰らい尽くせ! エンドローザ・シュメタリン(万死蝶)!」  声が終わり突如として現れたのは、辺り一帯を埋め尽くさんばかりの万の如き紫黒の蝶の群れ。この世の終わりを思わせる異形の一団。動きの鈍くなったクレーベに、先ほどの蝶と共に四方八方、あらゆる方向から襲い掛かり、その体を構成する高密度の(もや)を無心に喰らう。  程なくして蝶が消えると、そこにはクレーベの兵装だけが残されていた。 「さあ、帰ろうか」  やがて空は東雲色(しののめいろ)へと変わり、(つわもの)のガントレットを染める。  そして、いつもと変わらぬ一日(いちにち)が始まった。
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