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第3話 滅獣の理
還魄器。
それは内なる魂の外殻。
或いは、神が人間に与えた知性とも。
アルマは還魄器が発現してからというもの、来る日も来る日も、ひたすらに具現化を繰り返していた。ジルケから最初に説明のあった通り、これはイメージで形を成すものである。それは、イメージがぶれれば形が変わることを意味していた。刃の長さが出てくる度に変わっていたら、急に対処しなければならない状況でいつもより短い姿で現れてしまったら、それを十全に使いこなすことに、また特別な武の才能が必要になるだろう、とジルケは語る。
故に、発現に成功した者は、誰しもこの退屈な訓練を全うしなければならないのだ。初めて発現した、死を齎すもののイメージを頭に焼き付けるように。いついかなるときでも、己の刃でケモノを滅することができるように、刃を研ぎ澄ますのである。
「まだまだ形がばらばらだ。最初のイメージを思い出しな」
通常の剣の稽古は兄弟の数からジルケが付かないことも多いが、こればかりは付きっきりで見ている。ジルケ以外に教えられる人間がいないのだ。その技も、その恐怖も。
これは、二人きりの秘密の稽古だ。本格的な稽古を始める際のジルケの言葉に、アルマは心躍らせたものだが、それはとても地道で退屈なものであった。その退屈が1時間も2時間も続くのである。まだ遊びたい盛りの少女はときに歩きながら、走りながら、ときにくるくると回りながら発現させる。
その様を見ていたジルケは当初、驚いたような顔をしていたが、何も言わず、ただ見守っている。だが、そんなジルケも厳しくなることがあった。稽古による肉体的な疲れと退屈さによりアルマがどうにも耐えられなくなり、発現したまま寝てしまいそうになったときだ。
「ほら! 寝るんじゃないよ! 死にたいのかい!」
理由は説明してくれなかったけれど、刃物なのだから、それは当然、危ないわよね、とアルマは思う。大きくなって聞いたときには違う理由もあったのだが、今のアルマには開示されない。
さて、次、である。
「還魄器の形も安定してきたから、稽古を次の段階に進めるが、その前に……」
そう言ってジルケはアルマの頭を撫でまわし、話し続ける。
「少ししか教えてないのに、動きながら具現化させるなんて、本当にお前は出来が良いね。具現化の稽古は暫くないけど、毎日、欠かさず練習するんだよ。もちろん、周りに誰もいないところでね」
褒められたアルマは得意満面といった笑顔で、興奮気味に返事をする。
「はい! 小母様! 私、頑張る!」
「うん、良い返事だ。次の稽古だけどね、実は還魄器で斬っても滅することが出来ないケモノがいるんだ」
「滅することが出来ないケモノがいるのね! 分かったわ! ……え? 倒せないの? そうしたら、私、どうすれば良いの?」
先ほどまでの元気が、目に見えて急速に萎んでいくアルマ。
「これも、……そうだね。見せてから説明するのが早いか。いいかい? これからあそこにある木人をよく見てるんだ」
「はい」
ジルケが指さした高さ180センチほどの木人を、しっかりと見据えると、やがてジルケの声が聞こえる。還魄器を具現化する、あの声だ。
「貫け。ハーツアウスシュタール」
そして、切っ先を件の木人に向けて、続け様に声を発する。
「闇に眠れ。ナハトルーエ」
それはいつもより静かで、そして気迫のこもった二重の声。
するとジルケの大剣の剣身がいくつもの細かい四角形に分かれ、それぞれがばらばらに回転しながら消滅していく。同時に木人を包み込むように、大きな箱、淡く天藍に発光するシェスト教の6神紋で上下前後左右の面が構成された大きな箱が現れた。それは急速に萎み、そして消え、木人は何事もなかったように泰然自若としている。
「小母様、今のはなあに?」
「今のがケモノを滅する技、滅獣の理だ」
「木人には何も起こらなかったみたいだけど、本当?」
「ああ、本当だとも。滅獣の理はケモノにしか効果が無いんだ」
「だから、木人はそのままなのね」
「そうだよ。それでだ、滅獣の理にはいくつか種類があるのだけど、お前さんにはさっきのナハトルーエを教える」
「小母様。それはどうして?」
「ナハトルーエが基本で、そして最強だからだよ。よほどグズグズしない限りは、あの箱に囚われたケモノは抜け出せずにそのまま消滅するんだ。しかも箱の大きさもイメージ次第で変えられる。ただ、動き回るケモノにはなかなか難しいのだけどね」
「分かったわ。私、やってみるからやり方を教えて」
「やり方自体はとても簡単だよ。まず、還魄器を顕現させる。次に還魄器と同じく、ナハトルーエをイメージしながら、具現化するための言葉を言えばいいんだ。『闇に眠れ。ナハトルーエ』とね」
「動作はいらないの? 小母様は剣を前に向けてたけれど」
「いらないよ。あれは還魄器から力を送るイメージを手伝う補助的なものだ。だが、有ると無いとではイメージのしやすさが段違いだからね。もし、動作なしで発動できないのであれば、同じようにやってみるといい」
「分かったわ」
アルマはそう言って木人に向き合うと、還魄器を顕現させる。
「響け! ドナ・フルーゲ!」
次いで、そのままの姿勢で試みる。
「闇に眠れ! ナハトルーエ!」
しかし、ドナ・フルーゲは何も変わらず、木人の周囲にも変化はない。声も一重だ。もう一度試してみたが、結果は同じだった。
「闇に眠れ。ナハトルーエ」
今度はジルケと同じように切っ先を木人に向けて突き出してみたが、2面だけ、それも薄っすらと現れ、すぐに消えてしまったのだった。何回か同じように繰り返してみたものの、結果は芳しくない。
「流石のアルマも苦戦しているようだね」
ジルケはそう言いながら、近くのコブカエデに近づき、根本に落ちていた大きめの葉を拾ってきた。
「私としたことが、教え方を忘れるなんてね」
何をするのかと見ていれば、アヒルの水かきのような葉を器用に指で裂き、たちまちのうちに1辺が中指の長さほどの真四角の箱を作り上げたのだ。
「小母様、何を作っているの?」
手の中で着々と形作られるおもちゃに興味津々のアルマが思わず聞くと、小型ナイフで箱の表面を薄く傷付ける作業を続けながら、ジルケは答えた。
「これはね、アルマが成功するためのお呪いみたいなものさ。ほら、これが何か分かるかい?」
そう言ってジルケが指さした面には何やら模様が出来ている。
「これは神様の紋様ね。えーっと、この形はアイン神様のものだわ。私、知ってる」
「うん、正解だ。よくできました。……と、これで完成だ」
6面の全てに紋様を刻んだ葉っぱの箱を、潰れないようそっと手渡すと、アルマは色々に回転させながら楽しんでいるようだった。
「あ、分かったわ!」
「何が分かったんだい? 言ってごらん」
「この箱がナハトルーエなのね!」
「……その通りだ。それをよく目に焼き付ければ、上手くいくかも知れないよ」
「小母様、ありがとう! 私、早速やってみる!」
先ほどまで浮かない表情だったアルマの顔は瞬く間に輝きを取り戻した。そして瞬きもせずにじっとその箱を見つめた後、再び彼女は剣を突き出し静かに玲瓏と唱える。
「闇に眠れ! ナハトルーエ!」
出来た、アルマは二重に発せられたその響きに成功を予感した。
斯くして彼女の薄翅の刃は無数に分裂し、回転する。同時に、木人の周りにははっきりと、だが、柔らかく紫黒に発光する神紋の箱が現れる。
しかし、まだ完成ではない。
「縮ませるんだ!」
ジルケの声にはっとした。苦労の末に出来上がった箱ではあるが、お手本通り、今度は急速に萎む様を思い浮かべる。すると、実にあっけなく縮み、やがて箱は眼に見えなくなった。
そして剣は薄翅を取り戻す。
「1日目で成功させるなんて、アルマはやはり只者じゃないね。ただし、ナハトルーエが木人の2倍ほども大きかったことを除けば、ね」
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