第5話 初心

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第5話 初心

 オイレン・アウゲン(梟の瞳)。  黒い(もや)、或いはケモノを感覚の眼で見つける異能をジルケはそう呼んでいた。何とも形容しがたいが、これを発動させていると今見ている景色とは別に、自分を中心に広がる真っ白い空間に黒いものが点々と見えるのだ。脳裏に浮かぶ、と言った表現の方が適切かもしれない。そしてそれらは、目を閉じることによって、より鮮明に、より遠くを感じ取ることが出来る。  13歳でジルケから新しい稽古を言いつけられて以降、内容は違えど、アルマはひたすらに地道な反復練習と、(つら)く厳しい手合わせを行なっていた。特に父のフェルディナントなど、普段、アルマの前では蚊も殺せぬような顔をしているくせに、手合わせとなれば鬼人の如く、容赦なくアルマを打ちのめした。だが、それもアルマの才ゆえに、本気を出さざるを得なかったのではあるが。  そんな肉体面でも精神面でも厳しい稽古を支えていたのは、自らに恐怖を植え付けたケモノという存在を倒してみたい、或いは己の力がどこまで通用するのかという好奇心。 「そろそろだね。アルマ、明日はケモノを狩りに行くよ。実地訓練だ」  それ故に、インターナート(寄宿学校)も無事に終わり、15歳の春を迎えた頃にジルケからかけられた言葉には、期待と高揚感を覚えた。 「狩りに行く前に、ケモノのことを説明しておこう」 「はい。よろしくお願いします」 「さて、お前さんは獣というと何を思い浮かべる? あっちではなくて普通の獣だ」 「獣? 兎、犬、豚、猪、羊、鹿、熊、あとは狼です」 「ま、そんなところだろうね。あっちのケモノもヒトのイメージによるものなのか、ほとんどその姿で現れる」 「兎だけじゃなかったのね」 「あのときは運が良かっただけさ。……何が出てきても私が守れたけどね。そのあっちのケモノだが、力が強い個体は、体のサイズが大きくなるんだ。より強そうな別の姿になるものもいれば、そのまま大きくなるものもいる」 「小母(おば)様、兎が大きくなることもあるのかしら?」 「もちろん。珍しいものだと熊よりも大きい鼠型のケモノも討滅例がある。ともかく大きければそれだけ強力だと覚えておけばいい」 「ええ、分かったわ」 「そしてケモノの姿についてもう一つ」 「はい」 「獣としてイメージされないようなものも、ケモノとして現れることがあるんだ。今までだと、ヒト、ドラゴン、悪魔。この3つの目撃例がある」 「ドラゴンとか悪魔って、あのお伽噺(とぎばなし)の? それにヒトって? 見分けは付くのかしら?」 「そうだ。あのお伽噺(とぎばなし)の、だ。見分け方なら簡単さ。前に()た兎だって、兎のような外観と動きをしていただけで、黒い(もや)の塊だったろう?」 「そうね。確かにそうだったわ。目だけがはっきりと……、ん? 小母(おば)様、もしかしてケモノの目ってヒトと同じ形なのかしら?」 「その通りだよ。恐い思いをしたのによく覚えてたね。いや、(むし)ろ恐い思いをしたからこそ、かな。動物の体にヒトの目のアンバランスさが不気味なのだろうと思うよ。……畢竟(ひっきょう)、あれもヒトが生み出したものなのかもしれないねえ。ま、私が説明するのはそんなところだ。あとは臨機応変に対応してもらうつもりだから、覚悟しておきな」  そして一夜明け、見慣れたいつもの屋敷の裏庭で準備をする二人には、春の柔らかい陽射(ひざ)しが降り注いでいた。家族には狩りに出ると言い含めてある。アルマを心配したフェルディナントとロルフも同行したがっていたが、「女同士の冒険についてくるだなんて無粋(ぶすい)な男たちだよ」と、ジルケらしい言葉で一喝し、諦めさせた。  一通り、革の鎧や予備の細剣、各種ナイフ、食料などの準備が終わったところで、ジルケが真剣な面持(おもも)ちで口を開く。 「今日の実地訓練だけど、私の感覚だとこの辺りには1匹しかケモノがいない。天気が良いから仕方ないね。だから、それを倒したら終了だ。まずは目を閉じてオイレン・アウゲンを開き、そいつを見つけてみな。見つけたら今度は目を開けて探して、お前さんの還魄器(シクロ)ナハトルーエ(刻死)で滅するんだ。もちろん、オイレン・アウゲンを開いたままね。どうだい? 簡単だろう?」  ジルケのような達人が言う簡単は、往々にして簡単ではないのだ。アルマにもそう思う節はあるのだが、そんなことは(おくび)にも出さずに、気持ちよく返事をした。 「いい返事だ。何かあったら私が手を貸すからね、それまでは一人で頑張るんだよ。では、オイレン・アウゲンで見つけるところからやってごらん」  首肯するとアルマは目を閉じ、一度深呼吸をした。彼女の頭の中に広がる真っ白な平原には見覚えのある(もや)が浮かび上がる。これはすぐそばにいるジルケのもの。同心円状に感覚を広げていく。  50メートル、背中の方に沢山の(もや)が浮かび上がる。これはお屋敷にいる家族と使用人のもの。前方には今にも消えそうな小さな(もや)(わず)かにあるだけ。  100メートル、200メートル、ケモノの反応はない。  300、400、500メートル、小さな(もや)ばかりだ。  600メートル……、ふいにはっきりとした黒い丸が浮かび上がる。 「小母(おば)様、これ!」  アルマは目を瞑りながらも、初めて見つけた感覚に興奮気味に声を出した。 「見つけたかい? どっちの方角にいる?」 「ここから北西、……いえ、やっぱり北北西。ここから600メートルくらい離れたところにいます!」 「上出来だ。それじゃ、目を開けてその方向に進むとしようか」 「はい! ところで小母(おば)様、ケモノって今日みたいなお天気の日は少ないの?」 「喋ってないで集中しな! オイレン・アウゲンが維持出来なくなっちまうよ」 「ご、ごめんなさい」 「ふん。さっきの質問の答えだが、どういうわけだが奴らは暗い方が発生しやすい。晴れより曇り、曇りより雨、昼間(ひるま)より夜中、と言った具合にね」  アルマは無言で(うなず)き、黙々と明るい木立(こだち)の間を歩き続けた。 「……もうそろそろだね。アルマ、還魄器(シクロ)を具現化しておくんだ。心は、言うまでもない」  アルマは一層、真剣な表情で(うなず)き、そして静かに、二重(ふたえ)玲瓏(れいろう)と唱える。 「響け! ドナ・フルーゲ!」 「貫け。ハーツアウスシュタール」  ジルケも続けて顕現させる。  そして獲物はオイレン・アウゲンの情報通りに、アルマの目の前に現れた。  目だけがヒトの黒い異形の狼。  否。狼を模したケモノ。存在をとっくに気付いていたかのように二人を見据え、ゆっくりと立ち上がる。大きさは普通の狼と同じだ。そしてケモノは、生気のない目でアルマのスモーキークォーツの瞳をじっと見る。けれど、目の前のヒトはケモノの目論見(もくろみ)通りにはならず、その距離は徐々に近づいていった。それとは対照的にジルケはアルマと距離を取っていた。アルマは振り返らずとも分かっている。オイレン・アウゲンによって。  ケモノがあと3歩で間合いに入る、そんな距離になったときアルマは前に出た。大きく、力強く、右手の剣を前に突き出しながら。しかし、ケモノはひらりと身を(かわ)し、反撃の好機とばかりに大きく上体を起こしてアルマに飛び掛かる。  大きい……とだけ、アルマは思った。なぜなら、次の瞬間には横薙ぎに振るった剣によって、真っ二(まっぷた)つにされ、霧散したからである。  あっけない幕切れに心を閉ざしていたことも手伝って、こんなものかと思ったアルマであったが、余韻(よいん)(ひた)る間もなく飛んできたジルケの(げき)に、今一度(いまいちど)気を引き締め直した。 「アルマ! 警戒しな! 次だ!」  終わったと思い込み、閉じてしまったオイレン・アウゲンを再び開くと、そこには―― 「一つ、二つ、三つ……。ふむ、15はいるね。しかも私の近くに沢山出るとは、なかなか分かってるじゃないか。……アルマ! 9はこっちで持つ! 5はお前さんに任せた! 奥のデカブツは動く気配が無いから後回しだ!」
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