第6話 無心

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第6話 無心

「一つ、二つ、三つ……。ふむ、15はいるね。しかも私の近くに沢山出るとは、なかなか分かってるじゃないか。……アルマ! 9はこっちで持つ! 5はお前さんに任せた! 奥のデカブツは動く気配が無いから後回しだ!」  二人はいつの間にか現れたケモノの群れにすっかり囲まれていた。これが当初の予定とは異なる出来事であることは間違いないが、ジルケは慣れたもので、すぐにアルマに指示を出す。  私の敵は形の定まらない3頭の狼型と2頭の猪型だ。まさか複数のケモノと対峙することになるとは思わなかったが、小母(おば)様に任されたのだ。斬り伏せる他ない、と再び心を研ぎ澄ませるアルマ。  取り囲むように移動する狼型に対し、そんなこともお構いもなしに、猪型の2頭は横並びに正面から突っ込んできた。これをぎりぎりまで引き付けて身軽に(かわ)し、軌道上に添えた刃で1頭を上下にスライスする。もう1頭は少し離れたところでこちらの様子を見る事にしたようだ。  残り4頭。アルマの後ろに回り込んでいた狼型の1頭が、不用心に足を狙って噛みついてくるも、素早く足を引きながら(やいば)を切り返し、一刀両断する。  残り3頭。狼型の2頭が左右からほぼ同時に飛び掛かってきた。先ずは後ろに一歩、大きく足を引きながら右から来た1頭を袈裟切りにする。次いで、右前方に大きく踏み出し、勢い余って体勢を崩している1頭を素早く貫いた。  残り1頭。アルマの左後方から猪型が猛烈な勢いで突っ込んでくるも、それも難なく最小限の動きで左に(かわし)し、またも移動予測地点に振りぬいた刃で一刀両断に伏した。少しの間、その場に留まっていた(もや)も順番に消えてゆく。  死角から不意を打ったかに見えた攻撃も、オイレン・アウゲン(梟の瞳)を使いこなすアルマの前には無意味。  ジルケの方はと見れば、なんと既に終わっているではないか。どのような方法で9頭を滅したのか、気になるところではあるのだが、ケモノとの戦いはまだ終わっていない。ジルケがデカブツと呼んだ一際(ひときわ)大きいケモノが残っている。  アルマが大きな(もや)の岩、とだけ認識した濃密な(もや)の塊は、しかし、はっきりと鱗と分かる(もや)に覆われた表皮、丸太のように太い尻尾(しっぽ)、丈夫な4本の足、背から生えている大きな羽、胴体から伸びる太く長い首の先には頑丈な体とは不釣り合いに小さい頭もある。それが犬のように丸くなり横たわっていた。 「小母(おば)様、これってドラゴンですか?」 「ああ、どこからどう見てもドラゴンだ。とりあえず一人で頑張りな。……なんだ、心配してんのかい? 大丈夫、今のお前なら勝てるよ。」  そのとき、ドラゴンには似つかわしくないヒトの眼が開き、二人を見据えながらゆっくりと鎌首(かまくび)(もた)げ、体を起こす。全長15メートルはあるだろうか。 「来るよ。集中しな」  ジルケが離れていくのを見計らっていたかのように、ドラゴンはアルマの頭上90センチほどの高さで、木をもなぎ倒せるのではないか思わせる咆哮(ほうこう)を放った。  それは聞く者の体と心を滅するほどに(ふる)わせる凄まじい音の暴力。  しまった、とジルケは思った。しかし、直下(ちょっか)にいたアルマに動きが止まった瞬間はあったものの、咆哮の後も動きながら、間合いを図っているのを見て、胸を撫で下ろした。  だが、あのときアルマは確実に心を侵食されていた。正確な表現を期すれば、侵食されかけていた。竜巻のような咆哮により()がれた心の障壁。確信していたかのようにそれは首を下げ、目の高さを合わせてくる。気が付いたときには巨大なドラゴンの顔が心の窓一面を覆いつくし、今にもその巨体までをもねじ込まんばかりであったが、アルマは幼いままのアルマではない。  即座に(おの)が心に、薄く柔らかく、そして破れない強靭な膜を生み出し、トランポリンのように侵食を跳ね返した。  そして今に至る。  アルマは、初めて相対する、誰もがよく知る未知の生物――ケモノが生物に分類されるのかは学者に譲るが――の周囲を観察するように動き回り、攻撃の機会を探そうともがいていた。  そんなアルマに対し、ドラゴンは縮めた首を伸ばし、まるで蛇が獲物に()みつくときのような動きで牽制する。伸びきった首に斬撃を加えようとも思うのだが、ドラゴンは攻撃が外れたと分かると首を折り縮め、頭も首も、すぐに剣が届かない位置に逃れてしまう。  ならば、と首を伸ばしたタイミングに合わせ、全力で首元に駆け込み一撃するも、刃が通らず虚しく跳ね返される。  ドラゴンは左前足でアルマを蹴りにかかるが、その動作は重く、遅い。 「ふ!」  アルマは通常のステップで(かわ)すと、ここぞとばかりに足に斬りかかる。だが、その攻撃も跳ね返されてしまった。跳ね返され体勢を少し崩した好機を逃すまいと、ドラゴンは首を器用に曲げ、再び()みつこうとするが、そこはアルマの想定内。易々(やすやす)と頭の軌道上から逃れる。  だが、それで終わりではなかった。その太く短い前足を大きく右へ、そして後足を大きく左へ踏み出し、体を回転させたのである。その重量は予想外に俊敏で、周囲の木をなぎ倒し、土煙を上げながら、すぐにアルマのいる場所を通過した。  通常であれば巻き込まれ、五体バラバラに砕け散ったのだと思うだろう。だが、ジルケは微動だにしない。  彼女は知っているのだ。()ていたのだ。そのオイレン・アウゲンでアルマに内在する(もや)が無事であることを。  事実、アルマはドラゴンの回転軸を見出し、その腹の下に避難した。そしてドラゴンを倒す方法、滅する方法に気が付いた。それは、勘とも言うべく、脳裏に唐突として表れた。 「はあああああ!」  その手始めにドラゴンの腹を前から後ろにかけて深く切り裂き、そのまま腹の下から飛び出る。潜り込んだところ、腹の真ん中の(すじ)には脆弱な鱗しかないことが分かったのだ。だが、図体の大きいドラゴンはこれだけでは消滅しない。その切り口から大量の(もや)が溢れ、その切り口もじきに(ふさ)がれてしまうだろう。  故に、腹を切り裂かれ、無闇やたらに暴れまわるドラゴンを器用に避けながら次の手に移る。  ここまで戦っていて、アルマには分かったことがあった。目で見ているだけであれば、堅固な鱗で守られ腹部以外に弱点が無さそうなドラゴンであるが、オイレン・アウゲンを通して()れば実に分かりやすいものだった。(もや)の密度が薄いところがあったのである。それはヒトのイメージの限界かも知れない。  暴れまわってエネルギーが少なくなってきたのか、動きが緩慢になってきたところで、アルマは後ろ足からドラゴンの背に乗り、素早くその羽を一つ、二つと胴体から斬り落とした。羽を斬り落とされたことで、ドラゴンに気付かれ、頭が襲ってくるのもアルマの想定内。引き付けた頭を(すんで)の所で(かわ)しつつ両断、続け(ざま)のもう一振りで首と()かつ。  体から切り離された羽と頭はすぐに霧散した。途端にドラゴンがその場にへたり込むも、体に残る切り口からは相変わらず黒い(もや)が吹き出し続け、再びその体を構成せんとあがく。  が、それは未遂に終わった。 「闇に眠れ! ナハトルーエ(刻死)!」  優美な薄翅(うすばね)の剣を突き出し発した二重(ふたえ)の声に、その(やいば)はホロホロと崩壊し、同時に、柔らかに紫黒(しこく)に発光するシェストの神紋が現れる。それは頭と羽のないドラゴンの体を立方体に(あまね)く包み込み、そして急速に(しぼ)み、消えた。ここに巨大なケモノがいたことなど誰も気が付かないほどに、跡形もなく。  そして、背後から急速に近づく影に、未だ警戒を解かぬアルマは剣を振るう。 「アルマ! よくやった!」  それは満面の笑みを(たた)えたジルケであった。アルマの繰り出した剣を容易(たやす)(はじ)き、初陣の成果を(たた)える。 「あら? 終わったの?」 「そうだよ! 終わったんだ! もう警戒しなくて大丈夫だよ。お疲れ様だったね」 「あら……。あらあらあら……、私ったら小母(おば)様になんてことを!」  剣を向けたことを思い出し、アルマの顔がどんどん青くなる。 「落ち着きな。確かに人に還魄器(シクロ)を向けたことに稽古不足を思うが、ともかくお前さんは初めての狩りでドラゴンを倒したんだ。私の手も借りずたった一人でね。これは凄い事なんだよ! 新兵なんざ、普通は小型の獣を倒すだけで精一杯なんだからね。だからもっと胸を張りな!」 「は、はい! 小母(おば)様。ありがとうございます」  そうしてアルマを(ねぎら)いながら、茜に染まる木立の間を通り、二人で屋敷へと帰っていった。  ……誰に胸を張るのか分からなかったが、初めての滅獣(めつじゅう)の緊張感から解放されたことと、我が事のように興奮して喜ぶジルケを見て、この日はとても幸せな気持ちで眠りに就いたと、後年、アルマは仲間に語っている。
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