第1話 お侍さん、異世界に降り立つ

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第1話 お侍さん、異世界に降り立つ

「何処だここは」 見渡す限りの大森林の中、一人の男が誰にともなくポツリと呟く。 ふと気がつけば見覚えのない景色。 峠道(とうげみち)の道中、多くはないが周囲に人も歩いていた。 数瞬前まで町娘たちの(かしま)しい声も聞こえていたが、今はただ木々のざわめきと鳥の(さえず)りしか聞こえない。 先程まで遠くに宿場町が見えていたはずだが…… ぐるりと辺りに視線を巡らしてみると、樹齢百年はくだらないだろう大木が鬱蒼と生い茂っているのみで、ここまで半日歩いてきたはずの街道は跡形もなく消えていた。 「…………」 (つか)の間の棒立ちのあと、男は当てもなく歩み始める。 まぁ、いい。 ここが何処かなど知らん。 この先が何処に通じているのかも分からん。 だが別に、そんなものはいつものことだ。 見知らぬ森を躊躇(ちゅうちょ)なく進むその男の腰には、大小二振りのが差されていた。 5b133e37-3301-4348-b41f-81b8936fa344 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏ 黒須元親(くろす もとちか)(よわい)27歳。 武家の三男として生まれ、物心ついた頃には木刀を振り回していた。 ただ只管(ひたすら)に強くなれ、我こそが武士(さむらい)の中の武士(さむらい)であると胸を張れる(おとこ)になれと、武士道のなんたるかを叩き込まれて育てられる。 『朝が来るたびに死を覚悟せよ。静寂のひとときに雷に打たれ、火に炙られ、刀や槍で切り裂かれる様を想像せよ』 『武士とは、何の準備もなく暴風雨に(さら)されたとしても、ただ一人立ちすくせる者でなければ価値はない。どのような修羅場であっても慌てることは許されん。無様に怯え、逃げ隠れすることこそが恥と知れ。死すべきときは、ただの一歩も引いてはならん』 『命か誇りかを選ぶのであれば、命を捨てることに微塵(みじん)躊躇(ためら)いも持ってはならん。そのことさえ忘れなければ、武士はただ情熱を傾けて生きるのみ。何も恐れることはない。周囲に心乱されず、それを受入れ我が道を()け』 父から課せれた鍛錬は剣術だけに留まらず、槍、弓、杖、鎌、縄などのありとあらゆる武器術から、隠形術、組討術、水泳術、馬術まで多岐に及ぶ。 音を上げることなど決して許されない修行は過酷を極め、幼い兄弟が何度も死の淵を彷徨うほどに凄まじいものだった。 毎日血濡れで帰宅する兄弟を母は嘆き何度もやめるよう父に嘆願したが、その願いは聞き入れられることはなく、そしてまた、子供たちもその生活を日常として受け入れていた。 そんな日々を過ごすうち、末弟に武の才が開花する。 手足が伸びきる頃には兄たちを打ち負かし、既に近隣に並ぶ者は居なくなっていた。齢15にして己の剣に停滞を自覚した三男は、他領に繋がる山道に陣取り、自作した二本の木刀を持って通りがかりの武士に手当り次第に勝負を挑み始める。黒須三兄弟で最も武に貪欲な元親に、お家の領地は狭過ぎたのだ。 『あの山には恐ろしい天狗が棲みついているらしい。刀を持つ者は例外なく襲われるそうだ』 そんな噂が他領にまで広まった頃、喧嘩に明け暮れる暴れん坊はとうとう父から呼び出しを受けた。 女中が案内したのは普段家族が過ごしている屋敷の居間ではなく、謁見の間。 これは父親からの小言ではなく当主としての苦言だと理解した元親は、部屋の中央に置かれた座布団まで進むと居住まいを正して頭を垂れる。 慇懃に口上を述べる息子を上段から眺めていた父は、面を上げることを許すと早速とばかりに口火を切った。 「元親よ、何故そうまで荒ぶるのだ。世の時流は泰平(たいへい)に向かっておる。兄たちが剣より筆を握る時間が増えておることに気づかぬ貴様ではあるまい」 「……恐れながら、父上。泰平など泡沫(うたかた)の夢。たった一人の武将の心変わりで容易に崩れる砂上の楼閣(ろうかく)にございます。お家を(まも)るのが武士の務めでありますれば、時流がどうあれ己の研鑽を止める(よし)にはなり得ぬものと心得ます」 聞きようによれば傲慢とも取れるその発言に、父は不愉快そうに眉をひそめた。 「兄たちが間違っておると抜かすか」 「そうは存じません。武士とは己が信じる武士道に生きる者。歩む道は違えど、行き着く先は皆同じかと」 「(わし)は貴様らに同じ道を歩ませたかった」 「お言葉ですが、父上。元親は父上の御指南の通りに生きております。己が武士道を妨げる者を許すなと、信念を曲げるくらいならば死を選べと。どうしてもと仰せであれば…命懸けで親子喧嘩に臨む所存にございます」 ──瞬間 親子の視線が交錯し、火花を散らす。 急速に膨れ上がった殺気は両者の間の空間が歪んで見える程の濃度となり、広間の(ふすま)がビリビリと震え始めた。 「「………………」」 しばしの睨み合いのあと、先に折れたのは父親だった。 「はぁ……。貴様のその石頭は、一体誰に似たのやら」 天を仰いで大きなため息を吐く父に、それまで気配を消していた男たちが声を掛ける。 「ククク、間違いなく父上でしょうなァ」 「(しか)り。我ら三兄弟で最も色濃く血を継いだのは元親に違いありますまい。棘のような苛烈な性格が玉に(きず)ではありますが」 総髪を垂らして着流しを緩く着た男が笑い、髷をきっちりと結った生真面目そうな男が首肯して同意を示す。 背後にひっそりと控えていた兄たちの手はその穏やかな口調とは裏腹に刀の鯉口を切っており、もし元親が抜刀すれば即座に弟を斬り捨てる体勢だった。 「お前たちは構わんのか。末弟(まってい)に流派の真髄を継がせることに」 「長男としちゃ情けねェ限りですが、俺にゃあ剣の天稟(てんぴん)はない。だからこそ、涙を飲んで筆を取る道を選んだのですから。家督を受け継ぐ者として、領地領民を護る手段は剣だけではないと理解しておりますよ」 「私も異存ありません。剣の道を捨ててはおりませんが、(おの)が分は(わきま)えております。有為転変(ういてんぺん)は世の習いなどと申せども、黒須の剣は受け継がねばならない。一子相伝たる流派の後継を選ぶのなら、元親をおいて他にないかと」 黒須家の剣術は次期当主となる者ではなく、当代随一の遣い手に受け継がれる習いとなっている。 普段から屋敷を空けることの多い三男坊は知る由もなかったが、今回兄弟が呼びつけられたのは、実はこの後継を決めるためだったのだ。 長兄は謙遜して見せたが、三人の腕前はいずれも父に劣っていない。 お家に仕える猛者たちと比較しても圧倒的な力の差があったが、その中でも元親の才能は誰が見ても頭一つ抜け出ていた。 周囲から麒麟児(きりんじ)と持て(はや)される長兄と次兄が認めざるを得ないほどに。 父は真意を見極めるように二人の眼を見詰めると、神妙な面持ちで元親に向き直った。 「元親よ、お前に修羅の道を往く覚悟はあるか」 「是非も無く。もとより我が道は修羅道に通じております」 「よかろう、お前に秘伝を授ける。その後、免許皆伝を以て武者修行の旅に出よ」 「御意」 「よいか、黒須の剣はお前の肩に託される。これより先は無為に死ぬことは許さん!ひとかどの武士になるまでは家の敷居を跨ぐな!黒須の勇名を天下に轟かせよ!!」 「ははっ!」 父や兄弟たちには見えていなかったが、当主の命に恭しく頭を下げて答える元親の顔には笑みが浮かんでいた。 黒須家の剣術の後継者には、武者修行の(ぎょう)が義務付けられている。 これは周囲にお家の脅威を知らしめる示威行為であると同時に、家中の者を納得させるための習慣でもあったが、元親は後継に選ばれたことよりも外の世界に出られることがただただ嬉しかったのだ。 このご時世に剣術一辺倒の自分が家中の者から変わり者と揶揄(やゆ)されていることは知っている。 他家の武士を叩きのめす度に寄せられる苦情に、父上や兄上が頭を下げてくれていることも。 「ただなァ、元親。兄ちゃんはお前が心配なんだ。お前は融通が利かねェし、頑固だし、凶暴だし、かと思やァどっか抜けてるし。市井(しせい)ってのァお前が思う以上に不合理に溢れてる。まっすぐなお前がどこまで自分を曲げずに進めるか、俺ァ心配で堪らねェ」 「何でも剣で解決しようとするのはお前の悪癖だ、元親。まさか父上にまで牙を剥くとは……。人に(おもね)ろとは言わんが、せめて(おもんばか)れ。情け容赦を覚えねば、通った道がすべて血で染ることになるぞ。努々(ゆめゆめ)忘れるなよ」 腕は立つが型破りな所がある弟を兄たちは案じたが、当の本人は飄々として答えた。 「ご心配には及びません、兄上方。俺も近頃は随分と我慢強くなったと自負しております」 「……お前、先週何日かいなかったよな。ありゃあどこへ行ってたんだ?」 「当家の百姓を殴ったという武士が山向こうの村に向かったと耳にしまして、首をとりに参りました。命乞いする様子があまりに無様でしたので、首の代わりにこの刀を貰い受けた次第にございます。これがつまり、武士の情けと言うものでありましょう?」 「「………………」」 やたら立派な刀を持っているとは思っていたが…… 武士の魂とも言える刀を平然と奪ってきたと宣う弟に、兄たちの不安は増したのだった。 ・・・・・・・・・ 父から最後の手解きを受けた元親は、家族に見送られて旅に出た。 目的地もなく、町から町へとより強い者を求めて流浪する日々。 己と同じ武者修行の道を歩む者を見つけては勝負を挑み、天下一を(うた)う流派を聞きつけては道場破りを仕掛けた。 道中、近くで戦があると聞きつければ潜り込み、誰と誰の何のための戦かも知らぬままに向かってくる敵を斬りまくり、地獄のような戦場を走り回った。 立ち合った者の大半は口だけが達者な期待外れだったが、中には目を(みは)るような戦法を使う者や天賦の才を持つ者も少なからずいた。 砂を蹴り上げて目潰しを狙ってきた者や、鍔迫り合いの最中に含み針を飛ばしてきた者には肝を冷やされた。 斬るのではなく突くことに特化し、風のような速度で突進してくる流派の高弟には片耳を()られた。 どこの誰からの遣いかは知らないが、忍と思われる者どもに寝所を強襲され、短筒(たんづつ)で腹を撃たれて血を吐きながら戦ったこともあった。 だが、その全てを斬り、その全てに勝利してきた。 幾度も死ぬような目に会いながらも、死線を潜る血が沸き立つ感覚に、やはり旅に出たことは正しかったのだと確信した。 立ち会いのたびに新たな技、武具、戦法を学び、着実に腕の上昇を実感できる日々は充実していて楽しかった──── ・・・・・・・・ 家を出て、もう十年近くが過ぎただろうか。 楽しかったはずの旅も、最近は心躍ることが少なくなっていた。 己よりも強そうな相手を見つけること自体が徐々に困難になり、いざ立ち会ってみても相手が仕掛けてくる技や戦法は既知の物ばかり。 驚きや喜びなど感じるべくもない。 最早、この旅に意味はあるのだろうか? そろそろ家に帰ることを考えるべき時なのだろうか? 今の自分は、武者修行をやり遂げたと胸を張って誇れるのだろうか? 自問自答を繰り返す。 天下無双に到達したなどと(おご)るつもりはないが、既に凡百(ぼんびゃく)の剣士では遊び相手にもならない。 身に着けた技を、鍛えた身体を、学んだ知識を、磨き抜いた剣を、活かす間もなく勝負が終わる。 近頃では"黒鬼"などという物騒な渾名が広まってしまい、名を名乗るだけで逃げ出す者さえいる始末だ。 ────つまらない。 命を賭して全力で戦うことの出来ない日々に、苦痛を感じ始めていた。 闘争に酔っている間の昂奮と達成感が大きかっただけに、酔い覚めの退屈は耐え難いほどに味気ないものだ。 卑怯な手を使ってくれても構わない。 不意討ちでも、騙し討ちでも、闇討ちでも、大勢で取り囲んでくれてもいい。 旅の初めに感じたあの天高く引き上げられるような興奮を、全身の血潮が煮えくり返るような狂熱を、どうしても、どうしてももう一度味わいたい。 久方ぶりに見つけた"自称・天下無双"に逢いに行くため、峠道を歩く。 その道中、心の中にあるのは神仏への強い祈りだ。 嗚呼(ああ)、どうか今回こそは強い敵でありますように── どうか命脅かされるような達人でありますように── 願わくば、見たことも聞いたこともないような難敵と巡り逢えますように──
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