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第11話 お侍さん、街を見て確信する
アンギラの城門で受けた審査は、関所というには拍子抜けするほど簡素な検閲だった。
全身の黒子の数まで確認される日本の関所と比べれば、有って無いようなものだ。
こちらの顔をちらりと見るだけで、武器を携帯する者を大した吟味もせず歓迎するとは、驚きの弛みっぷり。もはや素通りである。
もしこれが日本で行われた怠慢なら、番士は横目付に張り倒されているだろう。
黒須は数年前に手形を雨にやられてから、たびたび関所破りを繰り返している。
武士の場合は素通りさせてくれる場合もあるため一度顔を出し、断られれば迂回路からの強行突破だ。
捕まれば打首獄門より更に重い磔刑という大罪になるとは知りつつも、『失くすこと罷り成らぬ』という父の厳命に反して再発行を頼むことの方が余程恐ろしく、常習犯となってしまっていた。
しかし、まさか手持ちの金が使えないとは思わなかったが、あのとき集落で拾った硬貨がこの国の金で助かった。
盗品と思われる物を勝手に使うのには若干引け目を感じたが、皮袋には名前など書かれていないのだ。
どの道、誰に返すことも出来なかっただろう。
窓口で台帳に記入を求められたが、そこには異国の文字。
フランツたちだけではなく門番や受付も流暢な日本語を話しているので、てっきり文字も同じと思い込んでいた。
話し言葉と書き言葉が違うとは、これ如何に。
おかしなこともあるものだ。
何にせよ、ようやく念願の人里だ────
両開きの立派な門を潜ると、そこには生まれてから目にしたことのない、圧倒的なほど美しい街並みが広がっていた。
門から真っ直ぐに続く目抜き通りは広く、余す所なく石畳が敷かれている。
両脇には小豆色の建物がずらりと並んでいるが、どれも石造りで二階建、三階建と背が高い。
どの建物も通りに面した窓を花で飾り付けており、街の景色を一層華やげている。
一階部分は商店になっているようで、商いをする商人たちが元気な声を張り上げていた。
眼前の広場には露店が賑わい、そこかしこから食欲を唆られる匂いが漂ってくる。
行き交う人々は活気に溢れ、皆がニコニコと幸福そうな様子だ。
これまで立ち寄った町との違いの大きさに、黒須は自分の予想が正しかったことを確信する。
見知ったものなど何一つとして無く、住民も日本人とは似ても似つかぬ者ばかり。
……決まりだ。矢張り、ここは異国。
フランツたちの言葉に嘘はなかった。
街までの道行で、彼らのことは信用に値すると思っていた。
素朴にして単純、気立てのいい連中だ。
異人とは人より獣に近い蛮族と聞いたこともあったが、あの噂は何だったのか。
全くの的外れ、勘違いも甚だしい。
黒須はこれまで誰かと旅を共にしたことはなかったが、彼らのとの同行を存外に楽しんでいた。
もし自分に友と呼べる者がいればこんな感じなのかもなと、似合わないことを考えるほどに。
「クロスのそんな顔は初めて見たな」
フランツの可笑しそうな声に我に返る。
どうやら、不覚にも間抜け面を晒したらしい。
「すまん、見蕩れてしまっていた。美しい街だな」
「気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。じゃあ、早速だけど冒険者ギルドに向かおうか」
フランツに先導されて街の中を進む。
店の前を通るたびに皆が挙って何を売る所なのか解説してくれるが、どれもこれも興味を引かれるものばかりだ。
八百屋に並ぶ野菜や果物は一見して毒々しい色や形をしている。
大きな声で客寄せをしている屋台が売っているのは魔物肉の串焼きらしい。
店の外にまで商品を並べている武器屋は、永く武の道を歩む黒須でさえ使ったことのない武具だらけだ。
これまで街を訪れた時には剣術道場や武家屋敷以外に意識を向けたことはなかったが、時間が空けば散策してみようと心に決める。
「この辺りに湯屋はあるか?」
「ユヤ?ユヤってなんだ?」
「銭湯風呂、功徳風呂、施浴場、沐浴場、入込湯。呼び方は何でもいいが、森で汚れたので身を清めたい」
黒須は風呂が好きだ。
武に関わること以外では、唯一の趣味と言っても過言ではない。
入浴中は無防備になるため武士には風呂嫌いが多く、家族でも父と次兄は『垢と共に張り詰めた備えまで湯に溶ける気がする』と決して湯船に浸かろうとしなかったが、黒須は旅の途中にもよく湯屋に立ち寄った。
武士は刀を預けてから浴場に入るのが風呂の作法なのだが、一度、阿呆な武士が刀を持ったまま入って来たのを見たことがある。
丸腰を嫌う気持ちは分かるが、刀を握った片手を濡らさぬよう必死に上に伸ばしたまま湯に浸かる姿に、笑いを堪えるのが大変だった。
裸の付き合いをした者に身分は関係ないなどと言われており、湯屋の二階には武士も町人も関係なく寛いでいたものだ────
「ふむ、どれも聞き覚えがないの。体を洗いたいのなら、そこらの井戸を勝手に使っても叱られはせんぞ?」
「値段の高い宿屋だと部屋に香油入りのお湯を運んでくれたりするらしいけど、この辺の安宿じゃ外で水浴びが普通だよ」
バルトとフランツの無慈悲な言葉に黒須は愕然とした。
異国の街並みを見たとき以上の衝撃だ。
「湯屋が……無いのか。こんな大きな街に」
"武士は食わねど高楊枝"
飯が食えずとも楊枝を使って見せるという、侍の清貧と忍耐を表した言葉だ。
黒須も飯など十日食わずとも平然と過ごす自信はあるが、風呂だけは別。
唯一の楽しみが叶わないと知り、外聞もなくがっくりと肩を落とした。
「ここがアンギラの冒険者ギルドですよ!」
パメラが指差したのは、周囲と比べて一段と大きな建物だった。
盾の前で斧と剣が交差するような意匠の看板が風に揺れている。
慣れた様子で建物に入っていく皆に続いて入口を潜ると、中も広々とした造りになっていた。
正面にはいくつかの窓口があり、その奥では多くの者が忙しげに働いているのが見える。
右手は食堂のようで、並べられた机で何組かが楽しげに食事中だ。
左手の壁には大きな掲示板があり、天井近くまで依頼書らしき大量の紙が張り付けられている。
その前では内容を吟味中と思われる冒険者たちが難しげな顔で話しているが、魔物と戦う仕事と言うだけあって、全員が何かしらの武器を携えていた。
都会に出てきた田舎者のように建物内を観察していると、フランツは窓口に近づき、座っている女性に話しかけた。
「お疲れ様です、ディアナさん。達成報告に来ました」
「おかえりなさい!フランツさん。依頼書の内容を確認するので少々お待ちください」
どうやら受付とは顔見知りらしい。
軽く挨拶をして森狼の耳が入った皮袋を差し出している。
「……はい、森狼5頭の討伐依頼ですね。それでは、こちらが今回の報酬です。お確かめください」
ディアナと呼ばれた受付は何やら紙を取り出して目を通した後、討伐証明の数を数えて何枚かの硬貨をフランツに手渡した。
冒険者とギルドの関係は説明を聞いていたが、想像していたよりもずっと簡潔なやり取りだ。
もしあれが只の狗の耳だったとして、あの受付にその見分けがつくのかは疑問が残る。
何処にでも悪知恵を働かせる者は居るものだが、ああ見えて熟練の目利きなのだろうか。
「それと……実は魔の森を探索中に巨人と遭遇したんです。討伐したので、そちらの手続きもお願いできますか?」
「えぇ!?よ、よくご無事でしたね。巨人はCランクの魔物ですよ!」
えらく驚いているが、あれはそんなに珍しい魔物だったのか?
"Cランク"とはどういう意味だ。
フランツたちは流暢な日本語を話す割に、時たま妙な単語を口にすることがある。
この辺りのお国言葉のようなものかもしれない。
「いや、俺たちは手も足も出なかったですよ。正直言って殺される寸前でした。ほら、彼に助けられたんです」
そう言ってこちらに目を向けるので、黒須も窓口に歩み寄った。
近くで見ると、窓口の者は皆揃いの装束を身に付けている。
白の上に黒を重ね着する手の凝ったもので、街の者たちと比べても上等そうな着物だ。
首元に紐で作ったような飾りを付け、髪にも……──!?
「彼、国外から来た旅人なんですけど、巨人を一撃で倒すような凄腕ですよ。今回は彼の冒険者登録もお願いしたいんです」
「それは…凄いですね。ようこそ冒険者ギルドへ!私は受付担当のディアナです。よろしくお願いします」
「…………………」
「あ、あの……?」
ディアナは丁寧な挨拶をしてくれたが、黒須は全く別のことに気を取られており、挨拶を返すどころではなかった。
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