82人が本棚に入れています
本棚に追加
第6話 冒険者さん、お侍に助けられる
────キャインッ!
木々の合間から陽光が差し込む静かな森の中、狼の甲高い悲鳴が木霊する。
眉間に矢を突き立てられた狼は水の上を漂うようにフラフラと少し歩くと、横倒しに転がってピクリとも動かなくなった。
敵が完全に沈黙したのを確信したのか、周囲の茂みから4人の男女が姿を現す。
「えーっと、これで何匹目でしたっけ?」
「5匹目だね。これで依頼の分は達成だけど……」
狼の生死を確かめるように杖でつつくパメラの問いかけに、フランツは浮かない顔で口ごもった。
「笑えるくらい"黒"ばっかだな。俺ら呪われてんじゃねぇか?」
「マウリよ、先週の幽霊退治の依頼で聖水をケチっておったじゃろう。呪われとるなら儂らではなく、お前さん一人じゃわい」
冒険者パーティー"荒野の守人"の一行は、森狼の討伐依頼を受けて魔の森を訪れていた。
そろそろ冬に向けた備えが始まるこの季節、低位の冒険者たちにとって森狼は格好の獲物となる。
防寒具の需要が増えるため、普段は大した値のつかない毛皮の買取額が今の時期だけは高騰するのだ。
黒、白、茶などの単色から、斑模様や縞模様。
個体によって多種多様な毛色を持っている森狼だが、ルクストラ教を国教とするファラス王国では女神が纏う純白の衣にあやかって白に近い毛並みが特に人気があり、高値で売れる。
貴族たちの間では誰よりも白いコートを着ることが一種のステータスになっているらしく、庶民にはとても理解出来ない感覚だが、毛皮一枚に平然と金貨100枚の値をつける者さえいるそうだ。
そういった事情もあり、毎年必ず数人は真っ白な毛皮を手に入れて一攫千金を成し遂げる冒険者が現れる。
魔の森では比較的浅い場所にも生息している上に、低位の者でも手軽に狩れる魔物という好条件も相まって、今年こそは自分がと夢見た者たちが鼻息を荒くして森に踏み込むのだ。
「まだ日も高いし、もう少し狩ろうか」
「そうですねぇ。せめて灰色を何匹か狩らないと今月のお家賃が払えないです」
「バルト、黒5匹だと金貨1枚くらいだったか?」
「金貨にゃあ届かんの。依頼の達成報酬と合わせても……せいぜい2日分の食費になるかどうかじゃな」
乱獲によって倒すよりも見つけることの方が難しい森狼だが、今日は森に入ってすぐ群れに遭遇できたので既に依頼は達成済みだ。
しかし、倒した5匹はどれも値段の安い黒の毛色ばかり。
運が良いのか悪いのか、女神様に弄ばれている気分になってくる。
荒野の守人は、はっきり言えば金に困っていた。
低位の冒険者パーティーにはありがちな話だが、装備の破損で金欠になり、稼ぐために無理をしてまた装備を壊すという悪循環に陥っているのだ。
これが止められないのは、いつかは高位冒険者になって単価の高い依頼が受けられると信じて疑わないから。
食うに困るほどではないが、そろそろ破産が視野に入っている状況だ。
フランツたちは毛皮が少しでも高く売れるようにと、普段よりも幾分か慎重に倒した狼を解体する。
作業をしながら顔を突き合わせて相談し、もう少し森の奥まで探索の範囲を広げることに決めた。
・・・・・・・・
「おい、見ろよ」
森狼を探して森深くを進む道中、マウリが複数の小鬼の足跡を見つけた。
「……フランツ、どれが足跡か分かりますか?」
「いや、正直全然分からない」
旅行小人はフランツやパメラのような人間よりも目端が利くため、マウリには弓士と兼任して斥候も務めてもらっている。
この地面をどう見れば魔物の種類や数が分かるのかさっぱり理解出来ないが……彼が言うのであればきっと間違いないのだろう。
小鬼は単体では弱く、武器さえあれば子供でも倒せる程度の魔物だ。
ただし、奴らは繁殖力が極めて高く、数が増えると集落を作り人や家畜を攫うという厄介な性質を持っている。
そのため、冒険者たちの間では"小鬼を見つけた場合は積極的に狩るべし"という不文律が存在していた。
「追うか?」
「そうだね。時間には余裕があるし、森狼を探しながら追おうか」
リーダーであるフランツの判断に、異議を唱える仲間は一人も居なかった。
・・・・・・・・・・
足跡を辿り始めてからしばらく、先行していたマウリが突然立ち止まり、右の拳をサッと顔の横に上げた。
"全員静止せよ"という意味の手信号だ。
フランツたちがその場で停止すると、マウリは引き攣った表情でゆっくりと右斜め前方を指差しながら、ジリジリとこちらに後ずさりを始める。
「…………?」
距離が遠いため、最初は何か複数の物体が木々の隙間を同じ方向に移動しているようにしか見えなかった。
体色からして小鬼か豚鬼の群れかと思ったが…よく見れば動いているのは複数ではなく、たった一体の巨大な魔物。
その正体を理解したフランツは、思わず目を見開いて息を飲んだ。
そんな、まさか……。
アレはもっと奥深くにいる魔物のはずだ。
「ひっ」
少し遅れて魔物の正体に気がついたパメラが掠れるような声で小さく悲鳴を上げた途端、耳を劈くほどの咆哮が響き渡る。
「ルオオオォォォォオオッッッッ!!!!」
「くそっ!パメラ、てめぇ馬鹿野郎!」
「ご、ごめんなさいっ!!」
「馬鹿な……!こんな場所に巨人じゃと!?」
「チッ!どうするフランツ!?」
フランツは胸に湧き上がる動揺を爪が手の平に食い込むほど強く拳を握り締めることで抑え、どう動くべきか頭を高速で回転させた。
巨人は強敵だ。途轍もない怪力に加えて無尽蔵の体力、更に極めて高い物理耐性を持っている。
魔術が弱点とされているが、パーティーでまともな魔術が使えるのはパメラだけ。
冒険者ギルドが定めた脅威度はCランク……とてもではないがEランクの自分たちが敵う相手ではない。
瞬く間にそう結論付けたものの、災難にも巨人との距離は20mもなく、相手は既に臨戦態勢に入ってしまっている。
全力で逃走したとしても、逃げ切れないのは目に見えていた。
「やるぞっ!!マウリは牽制、バルトと俺は壁役、パメラは魔術を準備しろ!倒し切ろうと思うな!撤退戦だ、隙を見て逃げるぞ!」
フランツの指示に反応してマウリの矢が放たれるが、巨人はそれを全く意に介すこともなく巨体に似合わない俊敏さで突っ込んで来る。
「──ッ!マウリ、足を狙え!」
巨人の突進をすれ違うように避けて片手剣で足を斬りつけるが、まるで岩を斬ったような感触だ。
まったく歯が立たない。
「畜生、なんて硬さだ……!」
手応えの無さに悪態を吐いていると、巨人は近くに落ちていた丸太を拾い上げ、その剛腕に任せてブンブンと振り回し始めた。
動作は鈍いが、一撃でもまともに食らったら終わりだ。
しかし、パメラの魔術だけが唯一有効な攻撃手段である以上、絶対に後衛に意識を向けさせる訳にはいかない。
「バルト、下がってパメラを守れ!俺が攻撃を引き付ける!マウリは弓を撃ち続けろ!」
フランツは効果が無いと知りながらも、巨人の体に片手剣を叩き込んだ。
耳のすぐ横を風きり音を立てて通り過ぎる丸太に足が竦みそうになるが、魔術が放てるようになるまでの時間を稼ぐにはこうするしかない。
何とか直撃を避けつつ、歯を食いしばって数合の攻撃を凌いでいたが────不意に地面から飛び出していた木の根に足を取られた。
「しまっ!!……ごはっ!」
「おい、大丈夫か!?」
「あぁっ!フランツが!!」
「パメラ!集中を乱すな!」
咄嗟に盾を構えて直撃だけは防いでいたが、殴り飛ばされて大木に叩きつけられた。
後頭部と背中を強打し、肺から空気が押し出される。
骨は無事なようだが、足に力が入らず声も出せない。
まずい、バルトだけじゃ前衛が持たない……!!
鍛冶人は人間に比べると遥かに頑丈な種族だが、それでも一人で巨人の猛攻を受け止めるのは不可能だ。
こうしている間にも盾役のバルトは何度も丸太を受け、今にも倒れそうな程ふらついている。
動けッ!動けよッ!!
フランツは言うことを聞かない自らの足を殴りつけ、何とか立ち上がろうと必死に藻掻くが、気持ちが焦るばかりで一向に足は動いてくれない。
そうこうしている内に巨人の大振りがまともに盾にぶつかり、ついにバルトが片膝を着いた。
クソッ、ここまでか……
せめて俺を喰っている間に仲間だけでも逃げてくれれば……
「おい!そこのアンタ、冒険者か!?」
フランツは絶望感で押し潰されて顔を伏せていたが、不意に聞こえたマウリの大声に目線を上げる。
マウリの視線の先に目を向けると、いつからそこに居たのか、茂みの奥に奇妙な男が立っていた。
この辺りでは見掛けない顔立ちだ。
剣は3本も身につけているが鎧は着ておらず、簡素な篭手と脛当だけを装備している。
魔の森に入るには些か軽装過ぎるように思えるが、駆け出し冒険者のような浮ついた雰囲気ではない。
珍しい黒髪を頭の後ろで結い上げており、これまた珍しい黒目は巨人をじっと見据えているが、何故かその瞳には好奇の色が宿っているように見える。
20代に差し掛かったくらいだろうか、随分と若そうだが、巨人を目前にして全く怯えた様子がない。
それどころか、整った顔に薄らと笑みさえ浮かべていた。
数度の問答の後、男は巨人の前に躍り出る。どうやら助力してくれるようだ。
ありがたい……!
前衛さえ耐えられればまだ希望はある。
パメラの魔術が決まれば絶対に巨人は怯むはずだ。
その隙に逃げ出してどこかに身を隠せばいい。
これも調和神の思し召しかと神に感謝を捧げたくなったが、フランツは男が次にとった行動を目にして凍りついた。
何を考えているのか、その男は巨人が振り上げている丸太の下にわざわざ自分から飛び込んだのだ。
馬鹿な。
一体何を────
「なっ……!おい、避けろ!潰されるぞ!!」
マウリが大声で呼び掛けているが、男は動こうとしない。
あろうことか、剣を頭上に持ち上げて防御の姿勢を取っている。
なんだよ、素人だったのか!?
頼む、どうか避けてくれ!
そんなフランツの祈りも虚しく、無常にも丸太は振り下ろされ、辺りに轟音が響く。
ああ……死んでしまった…………
そう思って再度絶望したのも束の間、嬉しそうにはしゃぐ声が聞こえてきた。
「ははは、見事だ!こんな剛力は初めてだ!!」
巨人の一撃を受けて……笑っている?
まさか、わざと攻撃を受けたとでも言うのか?
イカれてる────
男の行動にフランツが戦慄していると、彼は持っていた剣を巨人に向かって投げつけ、腰に差していた細い剣の柄に手をかけて姿勢を低くした。
ダメだ!
刺突剣みたいな細剣じゃ、あいつの攻撃は防げない!
次の瞬間、おかしなことが起きた。
男が疾風のような速度で巨人の横を駆け抜けたと思ったら、突然、巨人がピタリと動きを止めたのだ。
そして、数秒遅れて巨人の脇腹から大量の血が吹き出した。
「「「はぁ!?」」」
巨人の脇腹はいつの間にか大きく切り裂かれ、どう見ても背骨まで断ち斬られている。致命傷だ。
何だ、今のは……?風の魔術?
いや、身体強化の奇跡を使ったのか?
傷跡を見るにあの細剣で仕留めたのだろうが、剣を抜く動作さえ目で追えなかった。
ズズン──
巨人が崩れ落ちる重い音が辺りに響く。
フランツは、目の前で起きたことを理解しようと必死だった。仲間たちも皆、完全に固まってしまっている。
この男、一体何者なんだ────
最初のコメントを投稿しよう!