2.日常

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2.日常

 世羅先生という医師が今日、クローンの定期検診にいらっしゃる。 彼は俺たちを生み出した人間ていうところの親であり、クローン穏健派の代表だ。 「やあやあ、クローンの諸君。 元気してる?」 窓を破って入ってくる白衣の男、それが世羅先生だ。 「修繕費もバカにならないので普通にドアから入ってきてください。」 「アオキ君は相変わらず堅物だねぇ。 そんなんだからイシカワちゃんに振り向いてもらえないんだよこのこの〜。」 俺のつむじを指で突いてウザ絡みをしてくる世羅先生。 そんな先生に医務室へ案内する。   「別にイシカワは関係ないじゃないですか。」 ウザ絡みしている手を払うと彼の丸メガネの奥の翡翠色の瞳がスッと細まれる。 俺はこの目が苦手だ。 獲物を狙う鷹のようなこの目が。 「…そうだねぇ。 君にとっては部下だものね。 さ、診察を始めるからそこに座って。」 素直に丸椅子に座る。 体に触れて丁重に診察されて何も異常はないと世羅先生は微笑む。 「さ、もう仕事に戻っていいよ。 アオキ君は健康優良児で助かる。 イシカワちゃんを呼んできてくれるかい?」 「…ありがとうございます。」 俺は何となくこの人の笑みが胡散臭いといつも思う。 事務室に向かうと大方の掃除を終えたイシカワが煤まみれで笑っている。 『…アオキ君はどんな大人になりたいの?』 イシカワを見ていると見知らぬ女性と影が重なり、知りもしない記憶が思い起こされた。 「所長?どうしました?」 「あ、いや。健康診断だぞ。」 顔を覗き込んできたイシカワの頬をやや乱暴にハンカチで拭う。 「もう、痛いです所長!」 「煤まみれで先生に行くなよ失礼だろ。」 急に目眩を覚えて頭を抑える俺をイシカワは見逃さなかった。   「具合、悪いんですか?」 「いや、検査では異常はなかったから心配するな。」 目眩の後、誰かに手を引かれてロープウェイに乗ろうよと誘われる。 そんなありえない記憶が脳裏に流れる。 イシカワを見送って仕事に取り掛かることにした。   間    私、イシカワにはこの体の元となった人間の記憶がある。 名前は確か、石川奈々。 神奈川県在住の女子大生で近所に住んでた冴えない幼馴染のことが大好きだった。 でも、先の天災によって全てを失った。 この記憶のことは世羅先生には言ってない。 悟られたら多分、スクラップにされちゃう。 何となくあの人の瞳は冷たく、品定めする様な感じがあるのだ。 「イシカワちゃん? 診察終わったよ?」 ニコニコと優しい笑みを浮かべる世羅先生。 「あ、ごめんなさい。 ちょっと片付けで疲れてるみたいです。」 「ならいいけど…もし、眠れないとか寝ても疲れが取れないという時にはこれを飲むといいよ。」 コトリと茶色の小瓶をデスクの上に置く先生。 スクリューキャップで中身は傾けると液体なのか水音がする。 「これは…何です?」 私が怪しむと世羅先生は笑顔で答えた。 「薬剤開発部の新薬でね。 戦闘後のストレスを緩和するための栄養剤だ。 勿論、テスト済みで副作用はない。 君達を前線に駆り出すのは非常に心苦しいことだと僕は考えている。 だからこそ、せめてもの労いとして開発したものだから受け取ってくれるかい?」 そう熱弁する彼の手前、受け取らずにはいられなかった。 「ありがとうございます。 でも、私たちは戦うために生まれてきたんですから。」 そうだ、遺伝子レベルで人間には逆らうな人間のために戦えと改良されてきたのだ。 今更、別の人生なんて望む選択肢すらない。 「殊勝な考えだね。 でも時には息抜きを考えてみてもいいんじゃないかな? 例えばアオキ君を誘ってここに行くとか?」 そう言って世羅先生は2枚のチケットを見せる。 それは人間が住む地区にある人間御用達のテーマパークのチケットだった。   「そんな、ここを離れるわけにはいきません。」 「僕の一声で配置転換もできるし、激戦区の兵士のメンタルケアは僕の仕事だからね。」 ウィンクをする先生。 普通の女性ならコロッと惚れてしまうほど顔が整っている。 だが、私はこの体の元になった女性より、幼馴染が誰なのかを知りたいのだ。 「…考えさせてください。 私はアオキ所長とどうにかなりたいわけじゃないですし、そもそもこんなテーマパークに行って何になるんですか。 クローン差別はなくなってないのですよ? 差別の目に晒されながら楽しむ事なんてできません!!」 叩きつけるようにいうと世羅先生は困ったように笑う。 「不快にさせたのならごめん。 でも誤解しないで欲しい。 ここのテーマパークはクローン差別をするような営業はしていないし、何より差別反対派の僕の友人が経営者なんだ。」 「…その言葉、信じますよ。 わかりましたアオキ所長も疲れているみたいだしダメ元で誘って見ます。」 「グッドラック、いい報告を待ってるよ。」 渋々、チケットを受け取って部屋を出ていく。 その後ろを真顔で世羅先生が見てることにも気が付かず。   『報告   神奈川県支部 所長 アオキ バイタル:異常なし   記憶:正常の範疇   神奈川県支部 副所長 イシカワ バイタル:異常なし 記憶:不明   備考:アオキはそろそろ廃棄予定。 イシカワはあと一年で廃棄予定。 記憶に関してカウンセリングの必要性アリ。』   【To be continued】
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