世知辛い時代よのぅ

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前から気になっていた大友宗麟の資料館っちゅうか、南蛮交流館に行ってみた。 ここ。大友宗麟が贅の限りを尽くして作った、庭園跡が出てきたところで。いかに、全盛期の大友宗麟が金持ちやったかという証拠にもなった場所。 というわけで、まずは旧・久大線の線路上を歩きながら、資料館に向かう。 6137b6cc-6975-4f97-88b4-e9642773ee9f d9afe85f-e9e5-4190-8da4-1891b2b748a5(* ̄∇ ̄)……………。 個人的に。あくまで個人の主観ですが。 大分に、そういう意図がないのはわかってはいる。いるが!! どうしても、この入り口が 『働いたら楽園やでーと嘘つきまくった、ポーランドの負の世界遺産の入り口』 (* ̄∇ ̄)それに見えて仕方ねぇ← これ、くぐったらいきなりデスゲームとか始まらねぇだろうな、をい。
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