【真鍮とアイオライト】番外編1 夜歩く 

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 鈴とのデートは大抵夜だ。別にそう決めているわけじゃないけれど、夜の中を歩くのが、ふたりとも好きだ。  昼の光は、肩が触れるくらい近くを歩くことも、手をつなぐことも、肩に頭を預けることも、時々立ち止まってじっと顔を見たりすることも、そのままキスしたりすることも、許してくれない。  でも、そこでは、こうしたらダメなんてこと何も無い。  だから、ふたりとも夜が好きだ。  鈴の手を握って、寄り添って、鈴が吐いた吐息が白くなって、俺のと混ざり合って消えて行くのを見つめる。それが、ふたりの逢瀬だ。そんな時間がたまらないくらいに、好きだ。 『どしたの?』  俺の手を握ったまま、コートのポケットに突っ込んで、鈴が言う。低い声が、耳朶を擽る。すごく、心地いい。この声も好きだ。 『別に…』  コートのポケットの中の鈴の手を強く握る。そうすると、それよりも強い力で握り返された。長くて節の高い鈴の指。はじめて会ったときから、見惚れるくらいに好きだったし、今はもっと好きになってる。 『嘘つき』  ふと、耳元に鈴の唇が近づいて、囁く。耳にかかる吐息に、小さな吐息を漏らして首を竦めると、そのまま、頬に口付けられた。 『かわいいな』  そんな些細な仕草に、嬉しそうに鈴が笑う。その顔が、泣きたくなるほど好きだ。誰にも見せたくない。誰にもあげない。  俺だけに許された特権。  だけど、そんな恥ずかしいこと、言えない。言えるはずない。 『菫さんは、考え過ぎ』  鈴が今度は仕方ないな。っていう顔をする。  ああ。  その顔も好きだ。  俺が思ってることなんて、全部お見通しだって言うように、鈴の指先が、頬を撫でた。まるで、子供をあやしているみたいだ。  子供を扱いされるのが、気恥ずかしくて、その手から逃れる。けれど、コートに入ったままだった手をぐい。と引かれて、背中から抱きしめられて、腕の中に閉じ込められた。  きっと気づかれてる。本当は、子供扱いで甘やかされるのも、好きだ。  鈴が俺にくれるものはみんな好き。  彫刻みたいに綺麗な顔も。切れ長の目も。高い鼻も。薄い唇も。さらり。と、いい香りがする髪も。  細くて長い指も。腕も。高い場所にある肩も。腰も。長い脚も。  す。と、伸びた背も。絵になる仕草も。  優しさも。温もりも。矜持も。  束縛も。子供扱いも。過保護も。嫉妬も。それが、隠しきれずに俺に向けられることも。俺以外に向けららる冷徹さも。こうやって抱きしめる強引さも。  何もかも。  好きでないところなんてない。 『鈴。くるしい』  別に、鈴になら抱き潰されたって構わない。むしろ。そうしてほしい。  何にも考えられなくなるくらいに、めちゃくちゃに溺れさせてほしい。 『はなし…』  それなのに、どうして言葉は裏腹なのだろう。折角の綺麗な夜なのに、抱きしめてくれるのは、鈴の腕なのに。素直になれない自分は、嫌いだ。 『離さないよ。菫さんは。俺のだ』  鈴の腕に力がこもる。本当にこのまま抱き潰されてしまいたい。  見上げる夜は暗い。そして、どこまでも沈んで、澄んで、美しい。だから、夜が好きだ。  鈴と0距離でいられる今が愛おしい。  絶対に。絶対に。ぜったいに失くしたくない。 『もう。危険なことなんて。しないから。いつか、来るかもしれない、未来より。俺を見て?』  まるで祝詞のように聞こえる鈴の声。低くて、甘くて、優しくて、指先が震える。 『ごめん。心配させて、ごめん。でも。菫さんには。危険に、近づいてほしくなくて』  震える指先を春の手が包み込むと、今度は喉の奥が熱くなった。それから、次に、視線の先のオリオン座が滲む。 『…もっと。だいじに。してよ』  呟くと、頬に何かが零れ落ちる感触。一瞬だけ、オリオンは鮮明になって、また、滲む。  俺に危険がないように。いつも、鈴が先回りして守ってくれているのは知っている。  でも、本当は望まない方法で俺を守っている鈴が、俺のためになら簡単に全部を投げ出そうとする鈴が、俺は嫌いだ。 『菫さん』  俺の首筋に、鈴の吐息。温かい。鈴がそこにる証。その温かさが大好きで、大切で、愛おしい。 『お願いだから。鈴』  俺の胸の前で交差した鈴の腕を抱きしめる。この人を失ったら、多分、今度こそ、何もなくなってしまう。 『だいすきなんだ。俺に、来ないはずの未来のことなんて、考えさせるな』  何度も、零れ落ちる雫が頬を濡らして、冷たい。  けれど、言葉が終わらないうちに、鈴のほうに向きを変えられて、口を塞がれた。とん。と、背が板壁に触れる。いつの間にか壁際に追い詰められていた。けれど、そんなこと、考えられない。どうでもいい。 『…ん』  鈴の唇の温かさとか、柔らかさとか。俺の中なんて、すぐにそんなものでいっぱいになって。世界の全部が鈴だけになって。溺れて、沈んでいく。 『…ああ。菫。なんて顔してんだよ。も。帰せない』  だから、そんな、鈴の熱情に甘えるしかなかった。  ここでちゃんと言わないと、きっと、鈴はまた、鈴の大切なものを俺のために無駄遣いするんだろう。そうして、そんなことを繰り返して、絶対に来てほしくない未来が、来てしまうかもしれない。  けれど、それがわかっていても、鈴は変わらないし、そんな鈴の頑なさを憎みながら、同時に愛している。  鈴が、そうなるのは、俺のためだけだと、実感できるのが堪らなく幸せだから。  本当は、俺のためにだけ、純度と温度の高い青い炎を燈す、鈴の瞳をいつまでも見ていたいから。 『いいよ。鈴の。そばに。いたい。いさせて。ずっと』  だから、壊れそうになるほどの罪悪感は心の奥底に押し込めて、鈴の望むものを与えらえる自分になる。  きっと、この暗い夜だけは、それを許してくれる。  空に輝くオリオン座が、手の届きそうな澄んだ暗い夜の出来事だった。
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