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プロローグ・砕けた祈り
◆◆◆◆◆◆
「ゼロス、あとちょっとだ。あとちょっとあるいたら、きゅうけいだぞ」
「あぶっ」
鬱蒼とした夜の森に子どもの声がした。
夜空に月が浮かんでいる筈なのに、分厚い雲と木々の枝葉に覆われて地上からは見えない。
イスラはゼロスを紐で結わえておんぶし、暗闇に覆われた森を黙々と歩いていた。
光魔法で足元を照らすも、心は今にも孤独という暗闇に飲み込まれてしまいそうだ。
でも、はっとしてイスラは首を横に振る。
孤独ではない。背中にはゼロスがいる。ブレイラとハウストもきっと自分たちを探してくれているはずだ。
イスラは歩みを再開し、深い森に小さな空間を見つけると今夜はここで休むことにした。
枯れ枝を集めて火炎魔法で火をつける。
焚火に火が灯り、辺りが炎の優しい光に照らされるとほっと安堵した。
でも大きな瞳にじわりと涙が滲む。
優しい光も、優しい温もりも、まるでブレイラに抱っこされている心地になったのだ。ここにブレイラはいないのに。
イスラは服の袖でぐいっと涙を拭った。そうだ、ここにブレイラはいない。ハウストもブレイラもどこでどうなっているか分からない。でもハウストがブレイラを守ってくれていると信じている。
「あーうー」
おんぶしているゼロスが手足をばたつかせた。
イスラは背中のゼロスをそっとおろす。
「どうした、おなかすいたのか?」
「あぶぶー」
「ごはん、ないんだ。あさまでガマンしろ。あさになったらとりをつかまえる」
朝になれば鳥が飛んでくるかもしれない。鳥の捕まえ方と捌き方はハウストに教わったことがある。簡単な調理法はブレイラが教えてくれた。
「ぶーっ」
「おこってもダメだっ。ないものはないんだ!」
イスラは強い口調で言い聞かせた。
するとゼロスは大きな瞳にみるみる涙をためていく。
「うぅっ、うええぇぇぇんっ!」
大きな声で泣きだしたゼロスにイスラまで悲しくなる。イスラだって泣きたい。
でも今は泣く時ではないはずなのだ。
「なくなっ。ないてもダメだ!」
「ひうぅ……、ぅっ、ちゅ、ちゅちゅちゅちゅちゅ」
ゼロスは小さな唇を引き結ぶと、今度はちゅちゅちゅちゅ、首から紐でかけた小さな麻袋を吸い始めた。
その姿にイスラはぎゅっと小さな拳を握り締める。
イスラの首にも同じ小さな麻袋がかけられていた。
二人の袋の中には、ブレイラの瞳と同じ色の石・祈り石の欠片。
ブレイラから贈られたペンダントには祈り石が嵌められていたが、今、石は無残にも砕けていた。
砕け散った石を掻き集めた二人は、こうして麻袋に入れて首からぶら下げ、肌身離さず持っているのである。
「ゼロス……、それ、おくちにいれちゃダメだろ?」
「あうー」
「ブレイラが、いつもだめだっていってた」
ゼロスはブレイラから贈られたペンダントをよく口に入れていた。
ペンダントをあむあむするゼロスに、「いけませんよ?」とブレイラが困ったように笑っていたのを覚えている。
困っているけど困ってなくて、瞳を甘く輝かせてイスラやゼロスを見つめて、とても綺麗な顔でブレイラは「いけませんよ?」と言うのだ。
「ゼロス、ねるぞ。あしたもあるくんだ」
「ばぶっ」
「あしたは、おんぶのときにかみひっぱるのダメだぞ?」
「ばぶっ」
ゼロスはイスラをじっと見つめていたが、ちゅちゅちゅちゅちゅ、今度は麻袋ではなく指を吸い始める。
少ししてゼロスがうとうとしはじめ、すやすやと眠っていった。
今夜はブレイラのちゅーがない。
でも今はがまんだ。
ブレイラは今どこにいて、今なにをしているだろう。ブレイラはハウストが守っていると信じている。だから、きっと無事のはず。
イスラは麻袋を握り締める。
『あなたが守られますように』
ブレイラの祈りが込められた祈り石。
目を閉じるとブレイラの姿が鮮明に浮かんだ。
ほんの数日前まで、たしかにブレイラはすぐ側にいた。温もりを感じる距離にーーーー。
「ゼロス、いくぞ!」
「あぶぶっ!」
イスラとゼロスは初めての世界にはしゃいでいた。
魔界でも精霊界でも人間界でもない世界。すべてが真新しくて空気すらも新鮮に感じる。
イスラはゼロスを抱っこし、初めて踏みしめる大地に感激して走り回っていた。
「イスラ、ゼロス、あんまり遠くへ行ってはいけません! 戻ってきなさい!」
その声に振り向くと、そこにはブレイラとハウストがいた。
心配そうな顔をしているブレイラと、鷹揚に笑っているハウスト。
「いいじゃないか」と言うハウストに「なにかあったらどうするんです!」とブレイラが言い返している。
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