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 恭親には一時、一般の高校に通っていた時期があって、金村信介はそのときのクラスメイトだった。金村はガタイも声も大きく、クラスの支配権を握っている生徒のひとりだった。対して恭親はというと、暗い表情に加えて他人とほぼ喋らなかったので、速攻で金村たちからターゲット認定されていた。それだけならまだ(かわ)しようもあったのだが、悪かったのは恭親に呪念が見えているということだった。  他の生徒たちは皆、祓い屋とは何の関係もない一般人だった。したがって、校舎にうじゃうじゃ蔓延(はびこ)っている呪念の姿も見えていなかった。しかし恭親は生来怯えがちな性格もあって、無視をするということができなかった。呪念がそばを通る度にビクビクと反応してしまって、それが他の生徒からすれば何もない空間にリアクションしているように見えていたのである。  あいつ、キモくねえ?  拍車がかかるのにもそう時間はかからなかった。恭親は無為な高校生活をこなすだけだった。それからも色々あって、最後には中退することにした。  十七歳のときのことである。 「えっとお、なんか最近、ヘンなこと多いんですよね。なんか具体的に言えって言われるとムズかしいんですけど。うーん、たとえば、机に置いてた食器が勝手に落ちて割れたりとか。しかも一回とかじゃないんですよね、何回もあって。でもやっぱ大きいのは、信介が怪我したことかなあ。派手にこけたワケでもないのに、骨折れるくらいの怪我になっちゃって。病院の先生もなんでこんな折れ方してんのかわかんないって言ってたし。あ、あと、車もぶつけられたんですよね。骨折するけっこー前なんですけど。ショッピングモールの駐車場出ようとしてたら、なんかほんと急に車が突っ込んできて。それで信介めっちゃ切れてました。買ったばっかの新車どうしてくれんだって。そんで、車修理に出して、戻ってきたと思ったら今度は信介が怪我でしょ? なんかあたし、気持ち悪くなっちゃって」  部屋で浦井の説明を聞きながら、恭親はすでに疲れていた。あのあとも散々、お祓いしたい浦井と恭親を軽んじて祓いの効力など信じない金村のやり合いがあって、今ようやく腰を落ち着けたところだった。最終的には、浦井が代金全額を負担するからと主張して、金村も折れた形になった。それでもずっと、ソファから恭親を見下した目を寄越している。嘲笑の色が混じっていた。 (それはそうだ。昔(いじ)めていた相手が、何をできるようにもなっていないだろうと、こういう奴らならそう思うのが真っ当だ)  恭親はこめかみに手を当てて、かすかに溜め息をついた。そして部屋の隅へ目をやった。  最初から気にはなっていたが、金村に憑いている呪念が、そこに佇んでいるのである。中型犬くらいの大きさだった。そこまで力は強くないようだが、(たち)は悪そうだった。体中に口がついていて、開いた唇のそれぞれから並びの悪い歯がのぞいている。垂れた唾液が体を濡らし、ぬらぬらと鈍く光っていた。  恭親はさっと視線を逸らした。 (こういう、金村みたいな奴は、対人トラブルも起こしやすい。ひとつひとつは大事(おおごと)にならなくても、軋轢が積み重なればああなる)  恭親は膝上に肘を乗せた格好で、両手を組んだ。さて、どう口上を述べたものか、と悩ましかった。浦井がこちらを覗きこんでくる。 「やっぱ、なんか憑いてるんですかねえ?」 「……ええ、そうですね」  恭親が頷くと、金村が噴き出した。明らかに馬鹿にしている。ソファにふんぞり返って、恭親に絡んできた。 「テキトー言ってんじゃねえぞ、天玄院。まだ霊感ゴッコしてんのかよ、中二病こじらせすぎだろ。マジ受けるわ」 「ちょっともう、信介は黙っててよ。ちゃんとお祓いしてもらうんだからね」  浦井が立ち上がって恭親と金村のあいだに割り込むような形になった。恭親はそこで、少し不可解に思った。金村も「はあ?」と眉根を寄せる。  二人とも、浦井の熱心さに過度なものを感じていた。 「おい京夏お前、そんなん信じるようなオンナじゃなかっただろがよ。どうしたってんだよ、今日」 「別に。あたしがお金払うんだから、ちゃんとやってもらいたいって思って普通でしょ」  そう言って、恭親が腰かけている椅子のそばに座り込む。恭親は無意識に少し身を引いて浦井から距離をとった。金村が舌打ちする。 「だから、コイツはウソ言って金とってるだけの詐欺ヤローなんだよ。おい、天玄院、お前もチョーシ乗ってんじゃねえぞ。キモ野郎が。京夏はこう言ってっけどよ、金なんか払わねえからな」  女の前で面子を保ちたいのか、金村が急激に恭親へ絡み始めた。恭親は嫌気が差してきた。未だに、恫喝で相手を操作できると思っているのだこの男は、と考えると、投げやりな気持ちにもなった。また部屋の隅の呪念に視線をやる。醜く口々を歪めて、ゲラゲラ笑っていた。欠けた歯先に濁った金色が混じっているのが見えた。 「……金村、お前、最近――そうだな、三週間前くらいか、金銭トラブルがあっただろう」  恭親はボソボソと突きつけた。金村のほうをうかがうと、驚愕している表情が目に入った。浦井も手で口元を押さえている。恭親は続けた。 「相手は、そうだな。お前より目上の人間だな。職場の先輩とか、年上の知り合いとかだろう。お前のほうが金を借りていたが、三週間前、返す返さないで揉めたはずだ。それで結局、返さないまま話を強引に終わらせたんじゃないか? 違うか?」  シン……と沈黙が落ちた。金村の顔色が、みるみる赤黒くなっていく。屈辱の色だな、と思ったのと同時に、金村は忌々しげに吐き捨てた。 「てめえ、コソコソ調べやがって、探偵かなんか雇ってんだろが、どうせここ来る前に調べてたんだろ! 占い当てたみてえにしてやがるけどよ……」 「えー、すごーい!」  浦井が遮って拍手をした。座ったまま、体を跳ねさせて恭親に寄ってくる。 「当たりです、もーほんとあのとき大変でしたあ。あの先輩、うちまで来るし……」 「京夏! てめえ信じてんじゃねえよ、こんなんインチキだどうせ」 「なによ、信介のほうがバカでしょ。天玄院さん、うち来るまでアンタがいること知らなかったんだし、事前に調べられるわけないじゃん」  ふん、と浦井が鼻を鳴らす。金村はぶるぶると拳を震わせていたが、やがて片足で乱暴に立ち上がると、「ションベン」と言って部屋を出ていった。  バタン、と扉を閉める音が大きく響く。浦井は溜め息をついた。 「もー、マジでガキっぽい。いやんなっちゃう」 「そうですか」  恭親は額に手を当てて俯いた。疲れた、と思った。やり返してやったという爽快感はなかった。  すると、間を置かずに浦井が恭親の膝へ手を触れてきた。 「!」  恭親は反射的に背筋を伸ばして起き上がった。上目に見つめてくる浦井と視線が合った。口角をにやつかせて、恭親へ寄りかかる。 「えー、天玄院さんカワイイ。女の子なれしてないんですかあ」  ぞわぞわとみぞおちが震えた。冷や汗が噴き出る。恭親はさっと目線を走らせて、緋影を探した。藁にもすがるとはまさにこのことだった。  しかしいつの間にいなくなったのか、緋影の姿は見えなかった。 (こんなときに限って……)  恭親は唇を引き締めた。浦井がまた膝を撫でてくる。極度の緊張感が恭親を襲った。 「天玄院さん、ほんとスゴイですねえ。色んなことわかっちゃうんだ? 背も高いしぃ、顔もよく見たらイケメンですよねえ。カゲがあるっていうやつ? 彼女とかいるんですか?」  その瞬間、廊下のほうから金村が出てくる音がした。浦井がぱっと体を離す。恭親は硬直したままだったが、金村が部屋に入ってきたのに合わせて、安堵の息をついた。  本当に早く帰りたい、という思いだけが重たく残された。  右足をかばいながら歩いてきて、無言のまま金村がどっかとソファに腰を下ろす。恭親はまた呪念に目をやった。相変わらず、部屋の隅で蠢いている。緋影もまだ戻ってきていない。  恭親は細く息を吐いた。 (……あれくらいなら、俺でも祓えるか?……)  す、と呪念に向かって恭親は手を伸ばした。あさっての方向へ意識を向け始めた恭親を、浦井が首をかしげて見つめる。金村も怪訝そうだ。しかし恭親にはもうどうでも良かった。 (さっさと帰ろう)  ぐっと指先に呪力を集中させる。沸騰した薬缶に指を触れさせたときのように、激烈な熱感がこもり始めた。それに合わせて呪念が激しく身をよじる。叫び声を上げて大きく口を開くたび、言い様のない臭気が鼻をついた。恭親の額に汗が滲む。もう一息力を込めると、呪念はギャアア、ギャアア、と耳障りな断末魔を響かせて、どろどろに溶けていった。最後、床に染みた残骸から蒸気が立ち昇っていたが、少し待てばそれもやがて消えた。 「……祓いました。帰ります」  ふらふらと立ち上がり、恭親は言った。体が風邪を引いて発熱したときのようにだるかった。寒気と熱感が両存している。  部屋の扉に向かう恭親を追って、浦井も立ち上がった。 「え? え? スゴイ、今除霊やってたってことですか? えー言ってくださいよお、もっとちゃんと見たかったなあ。あ、そうだお金! 持ってきますねえ、ちょっと待ってください」 「は? おい待て天玄院!」  金村と浦井が同時に喋り、恭親はうんざりと振り返った。また言い合いをしている二人が視界に入った。 「天玄院てめえ、ワケわかんねえこと言ってホラ吹いてんじゃねえぞ! ひとのオンナひっかけやがってよお。オイ京夏、てめえもだ、金なんか払ってんじゃねえ、だいたいてめえ、こんな陰キャ野郎に色目使ってんじゃねえぞ、バレてっからな! アバズレが」 「はああ? マジ意味わかんない、バカじゃないの? あ、天玄院さん、お代ってこれくらいで良かったですか?」 「おい京夏!」  騒ぎ立てる室内の様子は恭親の目に地獄絵図だった。財布を手に寄ってくる浦井に、結構です、と告げようとしたとき、ベランダの外に違和感を感じて、恭親は動きを止めた。  そして目を見開く。 「……」 「?」  突然不自然に固まった恭親の姿に気づいて、金村と浦井も静かになった。ベランダを凝視している恭親につられてそちらへ目をやる。  しかし何も異常はなかった。 「……依頼料は結構です。これで失礼いたします」  早口に言うと、恭親は俊敏に踵を返して三◯四号室をあとにした。室内には、不可解な出て行き方をした来客に、ぽかんと口を開いたままの住人二人が残された。
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