夢のまた夢

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 蓼食う虫も好き好きで人の好みは色々で大雑把に言ってほっそり系とぽっちゃり系に分かれるが、ほとんどの女が細くなりたがっているように男はほっそり系の女を好むのが主流である。その上で女の良し悪しを決めるにはまず顔で判断する。マスクでもしていない限り露わになっているし、なんと言っても見た目で一番目に付いて重要な部分は言うまでもなく顔だからだ。しかし、顔だけ良くても駄目だから他の部分も判断材料になるが、手以外は大抵隠れているから具体的に確かめることは出来ない。しかし、今はインターネットで様々な女の裸体を見ることが出来、乳房の形一つとっても千差万別であることが分かる。そう、僕はインターネット上で男たちを刺激し挑発し煽情し悩殺しようとする女たちのことを言っているのである。  中にはほんの切れ端程度の焼豚しか入ってないのに大きな焼豚が入っているかのように印刷された冷凍ラーメンのパッケージみたいに大きめに修正した乳房のフェイク画像を載せたAVパッケージを目にしたりして、こんな場合にも虚偽が罷り通る世のあくどさを痛感するが、昔、好きだったアイドルのビキニ姿もバンバン見れるから当時未知だったスタイルの良し悪しも分かり、なんだ、こんなペチャパイだったのかとかこんなに脚太かったのかとかこんなずんどうだったのかとか思ったりしてがっかりする。  で、顔だけでは判断出来ないものだなあ、やっぱり、おっぱいの形や大きさとか腰のくびれや盛り上がりとかお尻の丸味や張りとか脚の長さや細さとかが問題になって来るなあとつくづく思う。  そして目が微に入り細を穿って乳首と乳輪の色や大きさや形までが問題になって来て三十二相揃った女でないと、満足出来なくなる。  その条件を見事にクリアーし、ルックスもスタイルもプロポーションも抜群で色っぽさも大人っぽさもかっこよさもかわいさも兼ね備えた女。それが不世出の女優、早乙女愛であった。当時(彼女の全盛期25歳前後、丁度僕が中学高校の頃1981年から1986年)は全然見れなかった物がインターネットで見れるようになってから彼女の素晴らしさがやっと分かった。彼女のヌードを見ると、他のヌードとは一線を画す精神性と言うか、内面から滲み出る圧倒的な存在感と女としての重みがあり、その顔立ちは至って端正であり、ボディだけに絞って見ても今のナイスバディな女に勝るとも劣らず素晴らしいが、当時、ズバ抜けてナイスバディだったのだから、それを何でもっと生かそうとしなかったのか、グラビアアイドルみたいにイメージビデオでも撮れば、そのパイオニアになれたのになあと思うと、残念でならず、演技派と呼ばれ、一つのシーンだけでもタダッコみたいな顔になったかと思うとお色気ムンムンな顔になり、可愛らしいロリロリな顔になったかと思うと大人のイッツクールな顔になるといった具合に百面相を持つ程、表情が多彩で真に迫った演技力も素晴らしく声も甘くしっとりとして外見のイメージもぴったりだから峰不二子の声優をやれば、もっともっと人気が出ただろうなあと思っても残念でならず、実写でも1981年に公開された北斎漫画のお直役に何故、早乙女愛を抜擢しなかったのか、何故、貧乳の女優にやらしたのか、折角、日本映画史上稀に見る素晴らしいルックスとスタイルを兼ね備えた早乙女愛という至宝級の女優がいたのに、日本映画史上最大の失策だ!早乙女愛がやっていれば、カンヌ国際映画祭でも早乙女愛の妖艶美官能美で話題が持ちきりになり、海外でも上映の運びとなって早乙女愛が国際的映画スターになれた筈なのにと思った日には残念至極となり、他にもあの役をやっていれば、もっともっと人気が出ただろうにと思うことも多々あり、実際、正当に評価されなかった為にその演技力や美貌やナイスバディに見合った人気を得られず配役に恵まれず報われなかった世紀の隠れ名女優!と言うべきか、そんな文句のつけようがないいい女の亭主になりたいなあと僕は切に思うのである。  インターネットがなければ早乙女愛を好きになることはなかった、それどころか過ぎ去った時と共に忘れ去ってしまっていたに違いなく正にインターネットは僕にとってエポックメイキングなものだったが、どう願おうと人の勝手だし、憚りながら自分のような審美眼を持っていれば、こう願うのは理の当然だ。  が、世の大半の男性は、インターネットがありながら理想の女を追っかけることなく好きな女を選ぶ場合、矢張りまず顔で選び、運良くパートナーに出来たとしても、その女を知れば知る程、他の部分に欠点を多々見出すことになるだろうが、そんなに複数の女と付き合える訳じゃないから他の女と充分比べられないし、顔が好きなら大目に見れるからか、痘痕も靨に見えるからか、欠点も良く見えたり甘受出来たりするもので(逆に襤褸が目につき過ぎて嫌になる場合もあるが)多くを望まなくなる。  浮気する男は別だが、そうして満足する。それでいいのだろう。何故なら早乙女愛のような完璧に近い女を求めても無理ゲーだし、一般の男には高嶺の花もいい所で到底、手が届かないからだ。  僕なんか底辺も底辺だから風俗の女や初めて告白した女は別としても碌な女に出会えず多少顔がマシな女の何人かにアタックして駄目で何人かのブスに言い寄られて振った遍歴しか持たない惨めな男だし、年も年だから余りにも身に余る大それた夢を語ったまでである。が、そもそもIT化画一化が進み、精神的文化的劣化が進み、若い女が出っ歯になる傾向が進む現代日本に於いて早乙女愛のような突出していい女は求める可くもなく、ほんとド底辺で二進も三進もいかない親爺の癖になまじ審美眼を持ち、理想が高く、この年になって要約、女の美の何たるかが分かったもんだから途方もないことを思ったりする。ま、語るに落ちるで、これ以上、詳らかに披瀝するのはよしてここらで擱筆する。
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