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「ほら、風邪ひくから、使えよ」
冬の海沿いを歩いていると、時折り、肌を刺すような風が、制服のスカートを揺らしていく。いつの間に追いついたのか、聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきたと同時に使っていたマフラーをかけてくれた。
「大ちゃんは、いいの? 寒くない?」
「寒くないっ! 鍛えてるから!」
肩を竦めているあたり、寒さを我慢しているのがわかる。首にかけてくれたマフラーをくるっと回すと、大の家の柔軟剤の香りがした。
「昨日、かぁちゃんが洗ったばっかだから、綺麗だぞ?」
「うぅん、そうじゃないの。大ちゃんちの香りだって思って」
「……よくわからんけど、ほら、しっかり巻いとけ」
立ち止まった大が、マフラーを飛ばないように括り付けてくれる。
「あったかい」
「ん、よかった」
駅までのあいだ、静かに足並みを揃えて歩く。背の高い大は私に合わせて歩くには、窮屈だっただろう。静かに隣を歩くだけで、私の方はドキドキとしていた。
……大ちゃん、優しくしてくれるけど、好きな人、いるのかな?
チラッと見上げると、首周りを寒そうにしている。マフラーを返そうかと何度も声をかけようとしてやめた。優しさに甘えていたい……、ずるい私は、気づかないフリをして黙って歩いた。
「……あのさ、」
急に話しかけられて、大の方を見上げた。その顔は、何を意味しているかわからず、不安が胸に広がる。
「……どう、したの?」
「いや、いいや。また、今度いうよ」
「そう」
「駅だ。反対側なんだよな?」
「えっ?」
言いかけた言葉の続きを考えていて、話を聞いていなかったので、驚いてしまった。
「家が、反対方向なんだなと思って」
「そうだね」
途切れる会話。もっと、私が弾むような話をできれば、ベンチに座ってもう少し話をできたかもしれない。
駅に着いたとき、電車の発車時間を確認したら、もう直ぐ、駅に着くようだった。
「……ここまでかな? 電車来るからら、ここで。また、明日ね?」
いつもなら、「おうっ! またな!」と返ってくるのに、今日にかぎってそうではなかった。
「俺の方はまだ、時間あるから、そっち、見送りに行くわ」
「えっ? でも……」
「いいんだよ。ほら、急がないと、電車」
促されるようにホームに向かい、電車を待つ。ホームにいるのは、私たちと同じ学校の学生ばかり。隣に並び、電車が止まるために前を通過していくのを見つめる。車窓に映る姿に借りたマフラーのことを思い出し、返そうと結び目に手をかける。
「そのまましていけよ。寒いだろ?」
「でも、大ちゃんも……」
「大丈夫。俺は、寒くないから」
電車が停まり、ドアが開く。私は乗り込むために足を運んだ。
「明日、返すね!」
「……またな」
プシューの音とともにドアが閉まり、電車が発車する。
ドアの向こう、手を振る大に私も小さく手を振ってお別れの挨拶をした。
貸してもらったマフラーを握り、二人での帰り道を思い返した。
いつもと変わらない大の様子ではあったのに、駅に着いたときのなんとも言えない不安が胸を占める。
「何か、悩みごとがあったのかな?」
『大ちゃん、マフラーをありがとう』
家に着いてからメッセージを送れば、すぐに返事が返ってきた。
『たいしたことしてないから。マフラーも返すのはいつでもいい』
『わかった』と返事を打てば、もう返事は来ない。既読と書かれたのを見て、私はスマホをベッドに投げ出した。借りたマフラーをハンガーにかけ、それを見つめる。
どこにでも売ってそうな変哲もないマフラーだ。ただ、大のマフラーだということを考えれば、特別なもののように見えた。
「大ちゃんって、どこの大学に受かったのかなぁ? 受かったとは聞いていたけど、どことは言ってなかったよね? 私は地元離れるけど、大ちゃんもなのかなぁ?」
『メッセージが届きました』
滅多にならない着信に驚き、ベッドで光っているスマホを見れば、大からのものだ。さっき、終わったはずのやり取りが、続いていたことに驚いた。
『明日、時間とれる?』
「明日? 『特に予定はないよ! どうかした?』」
……なんだろう? 今日、何か言いかけていたことかなぁ?
すぐに返事が来て、私の家の近くの公園で約束をした。
改まった約束は、初めてする。高校の同級生で、去年、転校してきた大。隣の席になったので、学校のことを教えたり、授業の進み具合を話したりと、人見知りの私でも気さくに話してくれる大のことがいつの間にか好きになっていた。
快活な大はすぐにクラスの人気者になり、少し近寄りがたくなってしまったけど、教室で、廊下で、帰り道で話すこともある。
連絡先は、転校初日にわからないことがあったら困るからと聞かれたので教えたのだった。ほとんど連絡することはなかったけど、たまに、メッセージが来ることがある。
クラスの誰と遊びに行くから一緒にどうか? とか、おいしいお菓子がとか、今晩の面白テレビの話が、定期的に送られてきた。『そっか』くらいしか返せない私は、すぐに、やり取りが終わってしまう。クラスの女の子たちならと、メッセージが来た日は、よく考えては落ち込んだ。
◇
翌日、学校では普段通りで、授業も終わって帰る。12月のこの時期、受験生には大事なときだと言っても、クリスマスくらいは……と、大を誘っているクラスの女の子が玉砕していた。
それを遠目に見て、私は先に駅へ向かう。
「待って!」
教室から私を追いかけてきたのか、息を切らしている大。「同じ場所に行くんだから!」と、拗ねたように昨日と同じく隣を歩き始めた。
「昨日のメッセージ……」
「あぁ、それな。なんていうか、ちょっと夏希には、話しておきたいことがあってだな……その、って、こんなところで話させるつもりか?」
「……ダメ、なの?」
「あぁ、もう少しだけ、時間をくれ」
「わかった」
そのときに渡そうかな?
昨日借りたマフラーは、大とは反対側に持っていた紙袋に入っていた。
公園に着くまで、殆ど会話らしい会話もせず、電車に乗り歩く。夕方と言っても、冬至が近いので、日が暮れるのも早く、オレンジ色の空をブランコに座りながら、眺めていた。
なかなか話始めない大をひたすら待つと、何か決めたのか「よしっ」と言って、私の前に立つ。夕日が遮られたことで、ぼんやりしていた私は気が付いた。
「……あのさ」
「ん?」
「話が……」
「うん。何の話?」
「……俺、大学は海外に行くことにしたんだ。留学先、決まって」
「……留学?」
「あぁ、年明けから向こうへ行くことになった。半年くらいは語学を勉強してから、入学になるから」
「……そっか。大学、決まったって言ってたもんね?」
「そう。元々、向こうに住んでたからな。日本語しか話してなかったから、語学はてんでダメだんだけどさ」
「初めて聞いた」
「初めて言ったから」
無感動そうに「へぇー」と言えば、なんとも微妙な表情を向けてくる。
「初めて言ったんだけど?」
「うん、聞いたよ?」
「他に何かないのかなぁ?」
「……うん、そうだな、寂しい?」
「そう、それね! それも言って欲しかったけど、ちょっと、違うかなぁ……?」
何かを期待していたような大に今度は私が微妙な表情を向ける。なんて言って欲しかったのかわからない。私は、大学生になっても、大とたまには連絡を取ったりできるのかなぁ? とか、思っていたから。私の心の中の気持ちは、言わないつもりだから。
「……ここでひとつ、告白します」
クリっと、回れ右をした大の背中を見つめた。次の言葉に、耳を疑ってしまう。
「遠く離れるんだけど、もしよかったら、俺と遠恋してくれない、かな?」
「……遠恋?」
言葉の意味が分からなかった。さっき、大は私のことを『女の子として好きだ』と言った。それだけでも、驚いたのに、次は遠恋をしてくれという。
「俺、大学を決めたのは、こっちに転校して来る前だった。将来の夢だけは、どうしてもチャレンジしたくて。でも、同時に譲れないものができたんだ。俺の我儘だからさ……」
大の言っている言葉が耳に入ってこない。……私のことを好き?
こちらに向き直っている。夕日で染まっているのか、赤い頬を見ていた。何も話さない私に不安そうで、「大丈夫?」と覗き込んできた。
私自身、何をしたのか、よくわかっていなかった。
借りていたマフラーを取り出し、大の首へかけた。とても驚いていて、見開かれた目を見つめ、マフラーの両方をグッと引き寄せ目を閉じた。
触れる唇。寒い冬だというのに、とてもあたたかい。
「――っ!」
唇からとんでもなく驚いているのが伝わってきた。
私も驚いているよ。
思考のうまく回っていない私の頭は、処理を仕切れなくて誤作動をしたようだ。マフラーから手を離し、距離をとる。微笑んだら、真っ赤な顔の大に今度は大笑いしてしまった。
「遠恋、大変かな?」
「……、たぶん」
「メールする?」
「テレビ電話もする」
「私も行ってみたいな……」
「夏休みにおいでよ! 案内する」
「たまには、帰ってくる?」
「……それは、わからないけど、なるべく、休みは帰るように……」
「あぁ、やっぱり、いいよ! 私がそっちに行きたい」
「喜んで」
「……応援するよ、大ちゃんの夢」
大の大きな手をギュっと握ると、とても冷たかった。ブランコごと抱きしめられ、耳元で「ありがとう」と囁く。
「あったかいね」
大が言ったその言葉に私は頷く。抱きしめられているからというのもあるけど、想いが通じたことで、心の中からあたたかい。
これから先、遠く離れることになる私たち。嬉しい気持ちと戸惑いもあるけど、二人で頑張ろうと真冬の公園で約束をする。
返したはずのマフラーは、そのまま、大によって私の首へとかけられた。
◇
「来たよ!」
「迎えに行こうと思っていたのに、もう……? 荷物、大丈夫だった?」
「ほとんど送ったから、しばらく着る服とか、日用品だけかな?」
大きなスーツケースを玄関まで運ぶ。大が一人で住んでいた叔父の家には、もう何度も足を運んでいたから、道順もわかっていた。荷物をリビングに運びながら、久しぶりに会う大が少しそわそわしているようにみえる。
「仕事、こっちで決めてよかったのか?」
「一緒に住むことも含め、何度も話し合ったじゃない? これから、どうぞ、よろしくお願いします」
「こちらこそ。それより、大学に行って、変わったよな……」
「どういうふうに?」
「……可愛くなった」
「……それは、大ちゃんによく見えるように、努力をしたからかな?」
「それは、嬉しいな。じゃあ、就職もしたわけだし、こっちの男性陣、夏希みたいな可愛い女の子には、ガンガン攻めてくるから、魔法のアイテムを授けよう!」
「ちょっと待ってて」と寝室へ入って行く。荷ほどきをしようと屈みこんだところへ戻ってきた。
「夏希」
「どうしたの?」
照れたような顔をして、私の前に膝をついて座る。
「……左手出して」
ポケットから取り出した指環を私の左薬指にはめてくれる。すかさず、自身も左手を出して、もうひとつの指環を私に渡してくる。
「結婚式みたいね?」
「もう少ししたら……、予約だけさせておいて」
「もちろんよ!」と微笑んだら、抱きしめキスをされた。大のあのマフラーを首から外した。「懐かしいな」と言いながら、大は手に取り「夏希の家の匂いだ」というので、「懐かしいね」と笑いあった。
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