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夕陽氷ループ
──だって柊有の居ない世界なんて、考えてみたこともなかったからさ。あの時柊有が閉じ込められた氷をすぐに凍らせておけば良かったなんて今更悔やんでみたところで、もう柊有は何処にも居ない。
──夕陽が本当に焼けるなんて知らなかったんだ。ただの気象現象だろ、なんて当時の俺は学んだ知識だけの世界に生きていたから、想像出来るわけもなかった。そう、白瀬は跡形も無く燃え尽きた。
「おい、白瀬。起きろ。もう夕方だぞ」
肩を無遠慮に揺すられて、白瀬は、んあっとノートから顔を上げた。緩んだ口元から涎がつうと垂れてノートに染みを作る。「夕飯、食ってくだろ?」
白瀬の頭が一瞬バグる。なんでおれは柊有の部屋にいて柊有と喋ってんだ?
柊有は夕陽色に染まった氷の中でだんだんと溶けて無くなっていったはずだ。白瀬はぼんやりと部屋の中を見渡す。
(ん? なんだそれ。夢、か?)
白瀬は学校帰りに柊有の部屋へ来て一緒に宿題をやっていた筈が、途中で居眠りをしてしまったのだと理解した。なんだか変な夢を見たような気もするが、夢というのは数秒経つごとに記憶が曖昧になるものだ。現に、白瀬の脳内にあったさきほどのビジュアルは既に消えかかっていた。
にやにやと笑っている柊有の視線に、白瀬は慌てて口元を制服の袖で拭った。言われてみれば腹の虫が空腹を主張している。開いたままたいして進んでいないノートをパタンと閉じた。「うん、食う」
その言葉を聞いた柊有は、珍しく嬉しそうな表情を浮かべた。
「俺が作ったんだ、今日」
柊有の家は両親共働きで帰宅が遅い。米を炊く、味噌汁を作る、は小学生の頃に体得済みだ。現在料理部に入っている柊有は、レパートリーの幅を広げるのにハマっている。新作「鶏とレンコンの甘酢あん」を白瀬に食べてもらいたいと思ったのが、自宅に誘った本当の理由だ。
「飯ももうすぐで炊けるからさ」
「すげぇな。完璧じゃん、柊有」
白瀬が心の底から感心したような声を上げた。他人を妬むことを知らなそうな、白瀬の純粋なところが好きなのか嫌いなのか自分でもあやふやなんだ、と柊有は思う。
カーテンの隙間から夕陽が差し込み、食卓を彩っている。
柊有の後を付いて一階のダイニングルームに降りてきた白瀬は、「うお、すっげぇ豪華」とはしゃいだ。柊有の自信作だと言う鶏とレンコンの甘酢あんが大皿にたっぷりと盛られ、隣の小皿では分厚く黄色い卵焼きが存在を主張している。
「今、飯よそうな」
「おれ何したらいい?」
「別になんもねぇよ、座ってな。あ、麦茶入れて。冷蔵庫にあるから。氷はその下」
「オッケー」
柊有の指示通りに麦茶を入れた白瀬は、二人分のグラスをテーブルに置く。カラン、と中の氷がぶつかり合って音を立てた。
「白瀬、量こんくらいでいい?」
炊飯器から振り返った柊有の目に、燃えている白瀬が映った。燃えている。差し込む夕陽に焼かれている。既に半分以上焼け落ちた白瀬の姿に、柊有はなす術もなかった。
「しら、せっ!」
ガチャン、と茶碗が床に落ちて割れた。
慌てる柊有の姿に、白瀬もまた泣きそうな顔で手を伸ばしていた。
キッチンカウンターでご飯をよそっていた筈の柊有が、グラスの氷がカランと言った瞬間に閉じ込められてしまったのだ、氷の塊に。
透明で分厚い壁のような氷の向こうには、いくら手を伸ばしても届かない。
二人はふわりと湯気の立つ食卓を挟み、互いが消えてなくなるのを見つめ続けた。
「……おい、しゅーう。おっきろー。襲っちゃうぞぉ?」
脇をくすぐられている。柊有は、白瀬のやつ相変わらずやることが幼いな、と思いながら、ゆっくりと微睡みから覚めた。
了
※イラストはイベント主催様に作っていただきました。
#ものの怪たちの宴 #夢は大きく
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