アイデンティティを探して

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アイデンティティを探して

 自分が何者であるか。僕にとってそれは、一生知らないまま死んでいこうとさえ思っていたフレーズだ。    小学生の頃から、いや集団生活の始まる幼稚園の頃からだったと思う。    僕は他の級友とは一歩離れた存在だった。無意味なお遊戯に参加することもなかったし、とんとんまえをしなくても前後の距離感は測れた。一度書いた漢字は反復練習をしなくても覚えられたし、先生の指示のその先、真意を汲み取れば子供らしくないと気味悪がられた。    級友の子供じみた遊びに付き合う気はなく、家に帰って辞書を読んでいた方がよほど楽しいと言ったら下校時にいじめられた。すぐに仕返ししてやったら、危険行為だと先生や相手の親から注意をされ、母親を困らせてしまったこともある。   自分のせいで誰かを困らせるのは本意ではないから、それ以降僕はクラスのほとんどの人間と関わらないようにした。唯一、僕と似たスタンスで行動していた級友一人と友人関係を築けたくらいだ。  全国統一テストの成績が良かったという理由で私立中学への進学を進められ、僕は地元から離れた中学校へ通学することになった。   些細な不満はあったけれど、確かに話の噛み合う仲間同士というのは気楽だったし、何より授業の進め方が僕の気に入った。得意な科目はどんどん先に進めて良いし、苦手な科目は自習で補える。クラスの中で能力の差は開いていくけれど、それは自己責任。僕は誰に気兼ねすることなくトップを走り続けた。   付属の高校にそのまま進学した。そこで、ある人物を好きになる。人と人とは到底解り合えるものではないから、無理をしなくても良いとその人は朗らかに笑った。誰とグループを組むわけでもなく、かといって誰と仲が悪いわけでもない。その人の悪口を言う者はいないし、その人も誰かの悪口を言ったりなどしない。まるで無風地帯のような、中立国のような存在。そんな在り方に僕は好感を持ったのだ。やがてその好感は、その人と接触したいという意味合いの好きに変わっていった。恋愛感情というやつだ。   ここで疑問が生じた。その人と僕とは身体性が同じなのだ。恋愛というのは性別の違う者同士で成立するものだとマンガやアニメ、ドラマは言っていた。ということは、身体性が同じだと恋愛は不可能なのだろうか。そもそも性別とはなんだ。  僕の身体性は女性だといつの間にか刷り込まれていたけれど、それは誰が決めたのか。何らかのルールにのっとって自分の性別が決まるならそれはまあいい。恋愛をするにあたって、性別は必要なのか。   一度湧いた疑問はどんどん膨らむばかりで、まるで答えが見出せない。性別を考えずに恋愛をしようとしている僕は、一体何者なんだ。   その人とは結局私大進学クラス、国公立大学進学クラスに分かれたことにより、疎遠になってしまった。授業のコマ数も選択する教科も全く違うので、顔を合わせることすら滅多になくなってしまったのだ。たまに部活の用事でその人のいるクラスに顔を出した時に挨拶するだけの間柄で、高校生活は終わりを迎えた。   恋愛とはなんぞや。社会に出てからそれはますます不鮮明なものとなった。次に好きになったのは、身体的に異性つまり男性だったのだ。僕は自分のことがすっかり分からなくなっていた。性別のない恋愛、なんだそれは。   社会に出れば、日本独特の慣習が待ち構えている。合コン、ナンパ、「可愛い系の女の子がいいんだって」というリクエストに向いていたらしい自分の容姿は、そういった集まりに重宝された。僕自身もうわべの楽しさで気を紛わせていた向きもある。   自分がマイノリティ指向なのかもしれない、という疑問を箱に入れて蓋をしたのは、その頃からだった。  ──ここまで書いて、私は大きく伸びをした。書いた、ではないな。パソコンに入力をして保存をした、が正しい。マメに保存をするのは、モノカキの基本のキです。   モノカキと言っても端くれ中の端くれだ。収入源となる仕事をしつつ、空いた時間で小説投稿サイトに作品を上げて、いいねやコメントに喜ぶ日々。だけどそんな毎日が、今楽しくて仕方ない。  書くことを始めるまで、私は自分が何者であるかじっくり考えようとしていなかったな。なんだろう、書き始めてから視界が開けてきたような気がする。 アイデンティティ、ほかならぬ自分そのもの。ほかの何者でもない、自分という主体性と素直に向き合ってみる。人間関係を無理に構築しなくてもよい、あるがままで生きていく。そんな生き方にシフトできたのは、「書く」ことを始めたからかもしれない。  知らないまま死んでいかなくてよかったなんて思いながら、私は外の空気を吸いにベランダへ足を踏み出した。  朝五時。外は明るく清々しい。
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