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歩く、という行為は意外と周りが見えて、車の中では感じられなかった情報を五感で感じる事が出来た。ウグイスの鳴き声は想像以上に高く、風は皮膚(幽霊だけど)を冷たく刺し、少女は疲労からペットボトルに入った飲料水をがぶ飲みしている。
「世界って意外と綺麗だったんだな」
「何の話ッスか?」
「いや、人の群れに飲み込まれると世界が汚物まみれに見えてしまうけれど、地球も案外悪いもんじゃ無いなって」
「死ぬ前に分かってれば良かったッスね」
「確かに」と曖昧な笑みを返そうとして、ふと僕は彼女の事を思い出した。
彼女は、この歪んだ世界で唯一のオアシスだった。優しくて強くて、僕の鬱じみた思考を甘く溶かしてくれた。
「しあわせだねえ」
しあわせ。彼女の舌っ足らずな言葉の代表格で、僕の仕事が上手く行かない時でもこの言葉を耳から摂取するだけで精神が安定した。
毎日好きになって、心が弾む。
心が弾んで、毎日好きになる。
もう一度だけその言葉が聞けるなら、どれだけ困難な道程が待っていても耐えられる。
幽霊が幸福を得ようとするなんて、馬鹿げているのかも知れないが。
「村上さん〜。待って下さいッス〜!」
「早く歩かないと間に合わないだろ?」
幽霊なのに地に足がついて、こうして地面を踏みしめられるのはある意味得難い経験だ。
本当なら轢死体になってこうして思考する時間も与えられなかったのだ。隣の少女も意外と取っ付きやすい性格で助かる。死んだ後に恵まれるなんて、皮肉でしかないけれど。
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