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「媛は、名前を知ってるんですか? あいつ、の」
「知ってる。といっても人の神としての名前、だがな」
隙間程度開けられた格子戸の間から紫煙が揺らめく。
「教えては、もらえませんか?」
「名を知りたければ知恵比べだ、小僧。それにその名前をあいつは嫌ってるからな。俺も呼ばない。神様とお前に呼ばせているなら、それでいいだろう。俺たちもそれで。今後はお前の神様とでも呼ぼう」
「自分の名前じゃないから、って神様は言ってました」
「誤魔化したな」
「違うんですか?」
「因果が逆だ。嫌いだから、その名を認めないんだよ」
「どうして?」
「言わない」
「なんで?」
「それを知ってどうする? 知らなくてもいいことなんて、世の中にゃあ山ほどあるだろう。お前は人よりも見えすぎる目をもってどれだけ幸せになれた? 違うだろう。見えなくてもいいものまで見て、むしろ不幸だったじゃないか。あいつはお前にそういう余計なことを背負わせたくないだけだ」
「俺に……関係するんですか?」
「内緒」
ふーっと格子の隙間から紫煙がたなびいて、パタン、と閉まる。
幸紘は煙草を咥えたまま紫煙を燻らせて視線を遠くに向ける。我を失った幸紘に、涙を浮かべる神様の顔を思い出して、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
空き缶の中に煙草を投げ入れる。底に残った液体からジュッと音がした。
「鏡池、行ってきます」
幸紘は立ち上がり、缶をジーンズのポケットへ仕舞った。格子戸がまた隙間程度開いて、白い手がひらひらと掌を振る。
「俺が謝ってたって言っといて。俺は殴られたこと、もう怒ってないから」
格子の中から瀬織津媛が言った。幸紘は軽く頭を下げると、とんとんとん、と階段を降りていった。
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