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1 遠野幸紘の日常 ②
巷が金銀に飾り付けられたポインセチアの色に浮つき始める日の朝。
まったくイベント事には縁のない人生を送る幸紘は、代わり映えのしないいつもの朝を、癖の強い長い前髪をかき上げて連日の残業疲れに痛む頭を押さえてうーっと呻いた。
ベッドの枕元で白いケーブルに繋がれたスマートフォンを手に取る。その画面を見てさーっと血の気が引く音を耳の奥で聞いた。
「やってしまっ……た」
時間は午前五時二十分過ぎ。
アラームはいつも四時五〇分にセットしているはずだった。それが今朝は聞こえなかった。聞こえていたのかもしれないが、無意識に止めてしまったのか、無視している間に止まったのか、とにかく聞こえなかった。
「……最悪……」
ゆらっとベッドから立ち上がり、部屋の電気をつけて壁面に作り付けられたワードローブを開ける。扉についているひびの入った鏡に映る顔はただでさえ不健康な白さがさらに真っ青で、目を完全に隠した前髪の先にある肌の薄い部分が青黒く変色していた。
「うっわ……クマでてる」
前髪を上げて再度青い疲れのサインを眺める。色素の薄い自分の目と視線がぶつかった。
琥珀色、と一般的には言うらしい。幸紘には琥珀というより金に見えた。
幸紘は手荒く前髪をおろして鏡から目をそらすと、ワードローブにかけられた制服兼作業服を取り出した。
その暗がりで、肌の黒い老人みたいな子供が膝を抱えて座ったまま、幸紘の顔を見あげてにやりと笑った。
「あ゛……?」
ばたん、と幸紘は顔を顰めて勢いよく扉を閉める。
幸紘が『それ』と呼んでいるものだ。
幸紘の金の目だけが捉えられる人外異形の何かで、いつからか幸紘の世界にだけ存在する住人だ。「普通」の人には視認されない。事毎に幸紘の視界を横切り、擦り寄り、邪魔をする。扉を閉める程度の抵抗など無駄なのはよく知っている。
幸紘は作業机の椅子にどかっと座った。
机上に置かれたクロッキー帳と鉛筆を手に取ると、ものの十分もかからぬ間に紙の上に先ほどの黒い『それ』が多方向から描き写される。作業机の横にセットされたフラットヘッドスキャナに読み込ませ、あとはパソコンの3DCADにいつもの指示を出す。ソフトでの自動立体補正、四〇センチ角筐体の3Dプリンターへの出力という流れるような手順を経て、幸紘が身を整え制服に着替えるころには、0.4mmの積層ピッチで作られたとは思えないほど精巧な五センチ角サイズの、決してかわいくはないフィギュアが完成していた。
五センチに縮小された小人が、キーキーと何かを叫んでプリンターの扉を叩く。
「一生そこで鳴いてろ」
幸紘は鋭く命じてアンダーリムタイプのスクエアの黒縁眼鏡をかけると部屋を出た。
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