59人が本棚に入れています
本棚に追加
5 祭りの後 ③
鏡池に向かう道すがら、八津山の麓に幸紘は目をやった。大祭の日の地震によって麓が土砂崩れを起こしたらしく、土色の山肌が見えていた。昨日投入されたいくつかの重機が見える。来週の頭から早速応急処置的な緊急小規模工事が行われるらしい。もともと過疎化気味な地域の上、禁足地というのもあって周辺の人的被害は皆無だ。だから実は放っておいてもいい。浩三も禁足地であるのを理由に重機が入るのを渋ったが、周辺の水田地や河川への影響、景観、土地の管理や災害防止上の問題からそういうわけにもいかなかった。数日後には土壌改良材の投入か法面保護のコンクリートブロックが施工される予定だった。
歩く幸紘の肩にパーツが分割された土偶のような『それ』がまとわりついてくる。
「あ、眼鏡忘れてた」
となると次々に『それ』らに集られるのを目にしなくてはならないのは間違いなく、幸紘は足早に先を進んだ。
獣害防護柵を開けて中に入る。無数の『それ』らはふわふわと漂っていたが、残念そうな雰囲気を残して去って行った。
あれはいったい何なのだろう、と幸紘はちらりと振り返る。
大祭の時、『それ』らは獣性に支配された幸紘の血肉になった。瀬織津媛や神様は『それ』を精と言った。精とは何か。前々から聞こうと思いながら、祭りに関わる筋トレや練習に気をとられてすっかり忘れていた。
幸紘は石段を登る。三月に入ってすぐに降った雪が積もって足下から底冷えした。空は曇って天の階は見えず、木立を通り抜ける冷たい風が容赦なく幸紘の頬を撫で、長い前髪を揺らす。まるで神域の主に拒絶されているようだった。
大祭に参加する前の幸紘なら確実に心が折れて引き返していた。だが今は、一歩一歩悪い足場を踏みしめながら先を目指した。
木立に囲まれて澄み切った水を満々とたたえる大きな淵が山の中に現れる。光がないせいで水底どころかどこまでが見える範囲なのかもわからないほど暗い。幸紘はその縁にしゃがみ込んでじっと中を覗いていた。
気配がある。なぜか幸紘にはわかる。神様はここにいた。
「怒ってます?」
水の中へ幸紘は問いかける。返事はない。ただ池に湛えられた水がゆらっと違う動きを見せる。何かが動いていた。正体の知れない黒い生き物の影を水の中に見た。幸紘は目を凝らすけれども薄暗くてはっきりとした姿はわからない。それが動いている。描く軌跡がだんだんと水面近くまで上がってくる。魚影であるのは間違いなかった。それは幸紘の姿を認めると恐れることもなく、むしろ急旋回で近づいて水面へと上がってきた。
最初のコメントを投稿しよう!