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煙草
いつもの席に腰を落ち着けて、深いため息をついた。
大丈夫、セールも今週で終わる。
そしたら少し楽になる。
今日津城を目に焼き付けたら、また頑張れる。
「もう…そろそろかな」
ふんわりと、香乃の唇に微笑みが乗って。
その目が楽しげに外に向けられる。
今日のシャツは何色だろうか?
何度か津城をここから見つめて、やっと確認できた。
目を凝らして、その僅かな時間に何度もじっと見て。
左耳にある、あのピアスを。
まだ、香乃の欠片がそこにあった。
香乃が重くても、付けていられる限り津城の時計を痛む手首に巻くのと同じに、津城も耳に不釣り合いなピアスを、乗せている。
それだけが、香乃を支え立たせていた。
津城はいつもと同じ車で現れた。
そしていつもの様にゆっくり歩道におりて。
同じ流れで左の歩道を一瞥する。
そこからボタンを留めて歩き出す筈だった。
……津城が視線を流したまま、足を止めた。
「……え?」
香乃は津城の視線を追って、はっと息を飲んだ。
津城の乗って来た車から、二台分ほど離れた後ろに路上駐車場の車が並んで二台。
…その後ろに、香乃に着いてきていた白のワンボックスが停まって居たのだ。
前の二台でナンバーは隠れている。
でも、乗った組員の顔は津城のよく知る人物だ。
…今朝、津城が采配した組員なのだから。
勝手に会いに来て、津城はどう思うだろう。
なんの為に離れているのかと、怒る。
しかも、事務所の横に…来ているのだから。
そんな大それたことを、するタイプじゃないと思って居たはずだ。
……がっかりされる。
でも、もう遅い。
津城がスーツの胸ポケットに手を入れた。
携帯だろう。
それであの車で待機している組員に確認を取ったら、終わりだ。
ここから離れなくては、スツールを下りて店の奥に引っ込めば津城の視界からは外れる。
でも意味はあるのだろうか。
ここに居ると、組員は知っているだろう。
けれど、津城が胸ポケットから出したのは携帯では無かった。
…煙草だった。
車の後方のガードパイプまで数歩進んだ津城は、組員数名が待機するその前で、ゆっくりそれに腰を下ろした。
長い足の踵を片方、ガードパイプにかけて煙草を口にくわえた。
色気のある手が風から火をまもって、ふっと最初の煙が短く吐き出された。
煙草の箱とライターをポケットに戻した手がパンツのポケットに突っ込まれる。
もう一度吸い込んだ煙草と腕を足の間に垂らした津城が、ゆっくり左右に視線を流す。
気だるげに、一服の最中に何気なく街を見るその体で…ゆっくり並びの店やビルを見て。
二階に気づかないでと、結局その場を動けずに。
視線を津城から離せずにいた。
その流れで香乃を確認出来なかった津城がまた腕を上げフィルターをくわえた。
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