煙草

2/4
前へ
/48ページ
次へ
津城は俯いた。 そのままゆっくり煙草をふかす。 良かった…もしかしたら組員の顔、確認出来なかったのかも。 香乃の身体から少しだけ、力が抜けた。 でも、香乃は忘れていたのだ。 『秋人さん、何で後ろから見てるの…わかるんですか?』 あの縁側で、いつか訊いた答えはこうだった。 『香乃は、見られてる気がして顔を上げたら相手と目が合った事無いか?』 『あー、ありますね』 『人の視線ってのはねぇ…そこに想いが乗れば重さがあるんだ…殺意でも、好奇心でも、慈愛でも。それに、香乃の視線は俺には特別だ…気付かないわけが無い』 香乃の想いが乗った視線に…自分が気付かないわけが無い。 津城はそう言ってあの時微笑った。 津城がじっと足元を見たまま数秒動きをとめた。 そばの組員が吸い終わりかと、携帯灰皿を差し出したがそのままで。 ゆっくり津城の頭が動き、そのまま顎が上向いた。 ばち、と視線が合った…気がした。 迷いなくすっ、と左斜め上を見上げた。 一直線に、津城は香乃を見上げたのだ。 オーバーサイズのパーカーに、スリムパンツ。 目深に被ったキャップで、香乃の顔は鼻の辺りまで影になっているはずで。 香乃はそのままキャップのつばの隙間から津城と、多分目を合わせて息を詰めていた。 津城の表情は動いていない。 香乃だと気付いたのかも分からななかった。 でも。 津城はゆっくり空を見上げ、煙を吸い込んで……深く長く吐いた。 ポケットの左手が外に出て、視線をまたこちらに流した津城が腕をあげ……伸びた項の髪ごと首の後ろを揉んだ。 そしてそのまま、自然な仕草で左の耳朶に触れ…確かめるように撫ぜて。 それからその手を下ろした津城は、構えていた組員の灰皿に腕を伸ばして煙草を受け止めさせた。 まだ、ここにあるぞと言われた気がした。 香乃を想う心が、ここにあるぞと津城は示したのだ。 それに気付いた香乃は、握って固まったままのカップをソーサーに戻し自分の左手首を掴んだ。 咄嗟に掴んだ手首にも、同じ様に心が乗っているよ。ここにあるよと時計に触れた。 香乃だと、それで津城は確実に分かっただろう。 津城は表情を変えはしなかった。 ゆっくり立ち上がり視線を前に戻して歩いていく。 待機していた組員は誰一人、津城の視線を追ってこちらを見なかった。 それくらい自然に、ただ街並みを見て煙草を一本吸っただけの素振りで。 …津城は香乃に、まだ想っているのだと伝えて去って行った。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!

940人が本棚に入れています
本棚に追加