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「お味噌汁と、何がいいですか?…卵と…お魚にしますか?」
お弁当を作る仕事をしたんですよ?
レパートリーも増えました。
そんな風に言葉を並べて、香乃の横顔は微笑む。
「……うん、そうだなぁ…」
組員を一日も欠かさず香乃につけた津城が、知らないはずもないのだけれど。
「あ、お茶だけ先に…」
感動か、それとも会えてほっとしたからか。
指が細かく震えてしまって、香乃はきゅっとケトルを握る。
「……香乃」
「は、い?」
津城に顔を向けられない。
強くなったんだと、大丈夫だったと見せたい。
泣いたりなんかしたくないのに。
「緑茶と、あとほうじ茶がありますよ?」
ご飯の前にコーヒーじゃあれですもんね?と、
水を入れて、火にかけようとして。
「……香乃、おいで」
あの家で、モズを呼ぶより優しい声に名前を呼ばれて決壊した。
ボロ、と涙が零れて。
剥がす様にケトルから手を離した。
そのまま顔を覆った。
津城が立ち上がる気配と、近づく足音。
少しだけ細くなった香乃の肩を、津城が引き寄せて抱いた。
「……待たせて、ごめん」
いつもの津城の、ゆったりした物言いでは無く。
その声も何だか幼くて。
そっと胸に包む様に抱かれて、力が抜けた。
「…ひとりにして、ごめんな」
囁いた唇が、涙を止めたくて閉じた瞼に口付けた。
泣いていいよと許しをもらったみたいで、香乃はしゃくりあげた。
「大丈夫、っ、ほんとに…大丈夫、だった、からっ」
「…うん」
「私、ちゃんと、」
「うん」
津城は香乃の言葉を待たずに顎を掬いあげた。
優しく啄んで、何度もキスをした。
「香乃、逢いたかった…ずっと」
香乃の涙の雫を吸い取って、津城が囁いた。
津城の好きな味噌汁を食べさせたかったのだけど。
津城は腕の中に香乃を閉じ込めて離さなかった。
首を巡らせれば全て見渡せる小さな部屋で、明るい部屋の小さなテーブルとソファーの隙間で津城は香乃を抱いた。
あやす様な優しい触れ方で、でも離れていた時間を肌から取り戻しているみたいに隙間なく…可能な限り広く触れていてくれた。
これまでの行為は目を閉じて、その感覚に揺蕩う時間だったけれど。
今は津城を見ていたかった。
どうしても感覚に飲み込まれて、目を閉じてしまうのだけれど。
それでも必死に目を開けて津城の顔を見ようとする香乃と。
それが全て見えていて、愛おしげに溶ける様に微笑む津城。
細い紐の先に結び付けていて、その先の大切な物が外れていないかと不安に苛まれていた時間。
紐が長すぎて、それが本当にそこにあるのかと不安に思いながら。
それでもその重さと、感覚を思い出しながら大丈夫だと思おうとして…その紐を離さずにいた。
ちゃんと結ばれていた。
中身も風化していなかった。
ひとりではなく、二人で。
互いの体温でその箱の縁を温めて開きながら、見つめ合っていた。
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