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結局ホテルには一晩泊まり、チェックアウトをしたのは次の日の朝八時前だった。
互いに不体裁を晒す結果になった後ではあったが、その頃にはすっかり夜も更けていた。解散しようにもチェックイン後の如何ともしがたい状況であったことに加え、春佳のなかで怜に対する警戒心はすっかり薄れていたので、そのまま留まって宿泊することを受け入れた次第だ。
一つしかないダブルベッドで寝るしかなかったが、怜は「絶対変なことしないから」と念押しした上で可能な限り距離を取って横になってくれた。そのため、初対面の男と寝床を共にするという非常に奇妙なシチュエーションにもかかわらず、春佳は翌朝まで安眠することができたのであった。
帰り際に最寄り駅のなかのコーヒーショップで朝食を取った後、怜はバスプールまで春佳を見送ってくれた。
発車時間までは十五分ほどあり、春佳の乗りたい行先の停車場に他の利用客はまだ並んでいなかった。
別れ際、怜は春佳に名刺を手渡した。本来仕事で用いているもののようだ。そこには勤務先の会社のロゴや所在地、連絡先の他に、ボールペンで怜個人の電話番号が手書きされている。
「別に疚しい意図はないから、持って行ってよ」
前置きして怜は言う。
「連絡ちょうだいなんて強いるつもりもないし。ただ、縁の一つだと思ってさ。今じゃないいつか、何年後でも、必要になった時に思い出したらかけてくればいいよ」
「必要になった時……?」
「ほら、壺を売る相手を探している場合とか」
「何で私が変なビジネスに引っかかっている前提なんですか!」
冗談にひとしきり突っ込みつつも、春佳も怜とともに笑った。
名刺を受け取り、互いに礼と別れの挨拶を交わした後、怜は駅構内へと戻っていった。彼は電車で帰宅するつもりらしい。
その背中が見えなくなるまで見送った後、手元に残った名刺を財布のなかへしまった。然るべき入れ物を持っていなかったため、取り急ぎの保管場所である。
カード類を収納するポケットの保険証の裏に隠すように思い出をしまい、春佳は自らをその場所へと運ぶバスを待つ覚悟を決めたのだった。
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