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春佳を呼ぶその声は、未だ夢のなかのものかと思うほどにくすぐったいものだった。
眠りから覚めて間もない光は部屋のなかとはいえ眩しく、反射的に一度固く目を閉じる。
そして再び、片目ずつゆっくりと開くと恋しい顔がそこにあった。
「――おはよう、春佳ちゃん」
同じベッドの上。傍らの覗き込むような位置から、怜が少しとろんとした瞳で微笑んでいる。もとより柔らかく高めの声が甘く感じられるのは、昨夜の彼が見せた顔とのギャップに、春佳の方が酔っているせいかもしれない。
「……おはようございます」
動揺を隠しながら応じる春佳。
目に入る光の色は、夜が明けているものであることだけは確かだったが、今いるのが見慣れた場所ではないせいで普段以上に時間を把握しづらい。
「もしかして私、寝坊してしまいましたか……?」
特別早朝に出発しなければいけない予定はなかった。チェックアウト時間さえ越えなければ余裕だろうと思って眠りに就いたのだが、些か油断し過ぎたか。
少々ひやりとしつつ、春佳は尋ねる。
「ううん、まだ七時過ぎたばかり」
枕元のスマホを手に取り、ロック画面に表示された時刻をちらりと提示しながら、怜は言う。
「でも起きる前に、春佳ちゃんとお喋りしたくなっちゃった。チェックアウトして解散っていうのも、ちょっと寂しいじゃん」
ごく自然な流れで抱きついてくるその様は、まるで幼い子どもが甘える時の仕草のようでもあった。
「私も……怜さんとお話ししたいです」
朝からこれほど近い距離で接触することに戸惑いを感じるものの、一方の感情としてはこそばゆい嬉しさがこみ上げ、それを受け入れて春佳からも怜の腕にしがみつく。
「……昨日はありがとうございました」
「こちらこそ。僕もすごく嬉しかった」
礼を述べる春佳の頬に、怜はそう言って軽く口づけを落とす。
「身体も負担かかったでしょうに……受け入れてくれて、ありがとうね」
「……痛かったですけど、それ以上に幸せでした。怜さんと……繋がることができたのが」
一晩経った今もなお、下肢にじんわりとした痛みが残っている。そこにある感覚は、彼を受け入れた名残でもあった。快も苦も混ざり合った体感を愛おしみながら、春佳は足をぎゅっと閉じる。
「怜さんに、女にしていただきました」
「うわあ、春佳ちゃんはもう……朝からそんなこと言っちゃう?」
「…………すみません、はしたなかったですね」
浮ついて緩んだ心で口走った言葉は、正直な気持ちとはいえあまりにも露骨だったと今更気づく。
怜は笑いを堪えながら眉を寄せていた。
「いや……いいんだけどね。そういう大胆な春佳ちゃんも、僕は大歓迎なんだけどさ。ただその言動によって、意図せぬ形で僕が変な気を起こしたら、困るのは君だからね?」
怜の言う“変な気”が意味するところへイメージを膨らませたばかりに、春佳の内心が良からぬ疼きを覚えた。
――変な気、起こしてくださっても構わないのに……
思わず本音が頭をもたげてしまうのを、慌てて振り払う。
素直に気持ちを伝えた方が良いとはいっても、これはいくら何でも度が過ぎるだろう。流石の怜も呆れてしまうかもしれない。
その胸の内の動揺は、知らず知らずのうちに顔に出ていたようだ。
「――まあでも、心配しないで。どんな君でも、嫌いになったりはしないから」
こちらの心を読んだかのような言葉かけに驚く春佳。然るべき反応もできず、怜にしがみついてきまり悪さを誤魔化し、致し方なくてその胸に顔をうずめてやり過ごす。
初めは「どうしたの?」と戸惑う怜だったが、何となく察してくれたのか、それ以上の説明を求めるようなことはしない。
その代わりに気が済むまで髪の毛を梳くように撫でるのが、彼らしい優しさだった。
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