6.逡イ、巡ラス

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~~~~  ダイニングキッチンと一体になっているリビングは、怜が前回訪れた時と全くといって良いほど変わらない様相でそこにあった。  それは丹念に手入れして保っているというよりも、殆ど使っていないから変化のしようがないという具合に見える。  住人である春佳も、 「埃っぽかったら、すみません。一応軽く掃除するようにはしてるんですけど」  と言いながら、怜をその空間へ通した。続けて「でも、使っていない場所に埃が溜まるのって、何だか納得いかないですよね」と冗談めかしながら。  実際のところ、部屋の埃や汚れに関しては、春佳が気兼ねしているほど気になるものではなかった。もとより物が少なく、生活感が薄い家だからかもしれない。 「以前から母しか使っていなかったので、何のためにあるリビングなんだかって感じですけどね。家族で食卓を囲んだ記憶もいつのことやらですし」  それでもキッチンのことはひと通り把握しているのだといい、戸棚を開け閉めしながら怜に調理器具や食器の場所を伝える春佳。  明らかな鼻声であるにもかかわらず、意気揚々と「お手伝いさせてください」と申し出る彼女を制してソファーに座らせ、怜はガスコンロの前に立って鍋に湯を沸かす。もう一つ、それよりも小さい方手鍋も借りてかけつゆも作る。 「とりあえず椎茸と長ねぎを入れて、最後に卵を乗せるつもりだけど、食べられそう? 抜いて欲しい食材とかある」 「全部食べます。怜さんの手料理なら、私、何でも食べます……っ」  カウンター越しに怜が尋ねると、春佳が目を輝かせてこちらを見た。 「ははっ、そこまで構えられると何だかハードル上がっちゃうなあ。手料理っていうほど立派なものじゃないし」  一人暮らしをしていた頃、疲れた時などに自炊の手を抜いてしばしば作っていたものだ。麺つゆと適当な具材を一緒に煮込んでうどんにぶっかけるだけの、レシピらしいレシピもない料理だ。  具入りのつゆを少し長めに煮込んだが、それでも十五分少々で完成した。  春佳に教えてもらった戸棚を開けると、黒いシックなデザインのどんぶりが重ねてあるのが見えたので、それを二つ拝借する。暫く使っていない器だから少し洗った方が良い、と春佳が言うので指示に従い、それからうどんとつゆを盛りつけた。  ローテーブルへ出来上がった食事を運び、怜も床に座る。ソファーとテーブルの間には微妙な距離があって食事がとりづらいようで、春佳も向かい合う形で結局床に座った。  どちらからともなく、胸の前で手を合わせる仕草と「いただきます」という声を揃え、二人それぞれ箸を持つ。 「怜さん、美味しいです……! ねぎと椎茸の旨味が出たつゆと卵で食べるうどん、とても優しい味がします。幸せです……っ」 「まあ、簡単かつ素朴な料理だけど、喜んでもらえたなら僕も嬉しいよ」  怜も箸で卵を崩して絡めながらうどんを二本ほど掴み、ゆっくりと啜る。  実家では主に母親が食事を作るため、怜が自炊する機会もめっきり減り、このうどんを食べるのも久しぶりだった。しょっちゅう食べていた頃は、何の珍しさもない分かり切った味だと思っていたが、春佳が漏らした「優しい」という言葉が、出汁の味とともに腹に沁みていくのを感じる。こちらまでもが、引いてもいない風邪が治るような思いになって、ふっと笑みがこぼれる。
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