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「春佳ちゃん、お酒は嫌い?」
「いえ、そもそも飲んだことがないんです。親に禁止されていて……」
「ん? 二十歳は過ぎてるんだよね……?」
少々警戒するような怜の問いに、春佳は頷く。今年の三月に二十歳の誕生日を迎えていた。
「うちの親は……特に母は、所謂過干渉なタイプでして」
その一言で事足りるはずが、話し始めるとつい言葉が止まらなくなってしまう春佳。それは積もり積もっている鬱屈した諸事情でもあった。
「子どもの頃から何かと禁止事項の多い家だったんです。服装も趣味も、遊びも友達関係も、母が気に入らないものは何もかも取り上げられていました」
春佳の髪はショートカット――といえば聞こえはいいが、まるで男児のような短髪だ。幼い頃から髪の毛を伸ばすことが許されず維持している姿である。他にも私服は全て母親の買ったものしか許されなかったり、バイトの給料で買った化粧品を根こそぎ捨てられたりと、どうも他の家庭とは異なることが自分の家で起きていることを、春佳は自覚していた。二十歳を過ぎてなお飲酒を禁止されているのも、その延長線上のことだと思っている。
これらのことを気がつくと春佳は怜相手に打ち明けていたが、初対面の人にするべき話ではないと、はたと思い至る。
「――すみません。こんなこと聞かされても、困りますよね」
「全然平気ー。僕、割と色んな話に耐性ある方だから」
踏み込むでもなく突き放すでもない怜の飄々とした態度は、思った以上に春佳を安堵させた。
「だけど、そんな親御さんが今日のことをよく許してくれたね」
「……母には、女の友達の家に泊まると言っています」
小学校の高学年になる辺りの頃から、母親は春佳に異性との交流を極端に禁じるようになった。その意向もあって中学、高校、大学はいずれも女子校だが、友人づてに他校の男子と知り合うことも稀にあった。それが母に知れると、毎回激しくなじられていたのである。
「へえ。君、意外と強かな面もあるんだね」
グラスを傾けながらくすりと笑う怜。
「――ということは、同級生の子に頼まれて参加したと言いつつ、実は結構期待して臨んだ感じ?」
怜の視線はまるでこちらの胸の内を見透かすようだった。隠していた心のなかの不浄を見つけられたことに、春佳の顔に熱がこもる。
額に滲んできた汗を指で拭いつつ、如何ともしがたい思いで白状する。
「…………お恥ずかしい話ですが、こんな私でも一丁前に憧れているんです。その……男の人とお話ししたり、仲良くしたりすることに。周りの女の子達には、お付き合いされている方とかもいたりして、すごく楽しそうだなあって……」
母には「恥知らず」と扱下ろされてきた欲求だ。だから、これは本来口にするべきではない気持ちなのだろう、と春佳は後ろめたく思い、そんな自分の顔を手でを覆った。
すると。
「正直に言えてえらいね、可愛いよ」
怜がそう言いながら、やんわりと春佳の手首を掴み、羞恥心に歪む顔を露わにして覗き込む。
「今夜は春佳ちゃんの憧れ、ちょっとだけ叶えてあげたいな――僕でよかったら、だけどね」
耳元を擽る怜の声は甘かった。
相手は酒に酔っているし、遊び目的かもしれないし――そんな物分かりの良い思考には目を背ける。
その後の春佳はもう、何を言われても打ち靡く以外の反応を示さなかった。
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