7.焦リ燥グ

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 そんな春佳を、彼は更に刺激する。 「どうして目を反らすの? 僕のこと、ちゃんと見て」  ふっと笑いながら立ち上がって(おもむろ)に椅子の後ろに回り込み、春佳を背中から抱き締める怜。そうしたかと思うと右手で顎と頬を包むように優しく固定し、左側から覗き込む自分の方へやんわりと傾けるのだった。 「わあ……っ、れ、怜さん……?」  半ば強引に顔を合わせる形と相成って、近い距離で視線を交わす。濃茶色の瞳が、レンズの奥から潜熱を訴えていることに気づくも、春佳はどうしようもなくなる。  答える言葉を探しているうちに、唇を奪われる。何となくそうされそうだと、雰囲気が示していたものの、機転の利いた反応には及ばない。嬉しさと気恥ずかしさと戸惑いがごった煮になったような感情は、相変わらず洗練されない。 「ど、どうなさったんですか……びっくりするじゃないですか……っ」 「はぁ……」  唇こそ離れたものの顔を近づけたまま、凭れるように絡みつきながら、怜は悩ましそうに溜息を吐いた。 「だって、三週間ぶりだよ? こうやって春佳ちゃんに触れるの」  前回会ったのは、怜が春佳を見舞いに来てくれた時のことだった。その際は風邪を移すといけないと思ったので、近い距離での接触は控えていたのである。  したがって会うのは二週間ぶりだが、怜の言うとおり、肌に触れるのは三週間ぶりのことになる。  怜の所作がいつもより落ち着きがないように見えるのは、だからなのか。 「あぁ、可愛い……春佳ちゃん。この三週間、春佳ちゃんのこと、抱きたくてしょうがなかった……」  素直を通り越して、あまりにも直情的な彼の希求。  何か言葉を返すよりも先に、その手が春佳のカットソーの下から忍び込み、するりと肌を弄った。 「ま、待ってください、怜さん……! まだ準備が……っ」  飲み物もまだ残っているし、シャワーも浴びていない。そもそも、ここはベッドでもない。  あらゆるブレーキが掛かった春佳の意思は、怜の手に抵抗を示す。  怜は元々スキンシップを多く求める傾向があり、二人きりの場面では少々大胆な接し方をされる機会はこれまでもあった。しかし、今日の求め方はその時よりも更に力強く、悪くいえば冷静さを欠いた振る舞いにも見える。 「ふふっ……春佳ちゃんは、恥ずかしがり屋さんだね」  こちらのそんな反応を見てもなお怜は動揺することなく、どこか浮ついた調子で頬を緩めるばかりだった。  春佳に手を払われると渋々ながら服のなかから腕を抜いたものの、執拗なボディタッチをやめることはない。 「じゃあ準備ができるまで待つ……だから、しよう?」  誘いの言葉自体はいつもとそれほど変わりはない。  しかし、間違いなく何かがしっくりこない感じを、春佳は察知していた。  駄目押しで再度「今日はどうしたんですか」と違和感を指摘するが、怜からは「久しぶりだからかな」という答えしか返ってこず、春佳のなかに生じた引っかかりとは微妙にずれている感じがする。  とはいえ、それを解消するまで問い詰める気概はない。  しっくりこない“何か”について説明できるだけの言葉も持ち合わせておらず、春佳は自分の思考を敢えて有耶無耶にし、べたべたと抱きつきながら強請る怜の誘いに、ただ頷くしかないのだった。
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