魔界の実は煮詰めた柿で代用できる

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 私が住むことになった古民家は数年前まで90歳のおばあちゃんが住んでいたということだった。外観は日本家屋と呼ばれる様式で、日本の四季に合わせて夏は涼しく冬は暖かく過ごせる構造というよく解らぬ説明をグスタンディヌスにされた。いかにも数年前まで90歳のおばあちゃんが住んでいたのであろう質素な内観であることだけは理解できた。玄関は磨りガラスの引き戸タイプ。しっかりとディスクシリンダーの鍵で施錠できるようになっているが、こんなもの私の小指一つで壊せてしまう。玄関の左脇の小窓は開閉できるのかと疑うほどサッシが錆び付いてる。これはもう窓ではなく半透明の壁だ。2階へ上がる階段はギシギシ軋み、角度が直角のように感じるほど急なものだ。まるで梯子を登っている感覚になる。玄関の先には5メートルほどの長い廊下があり左側は和室、右側は背の高い窓が並んでいるのでよく言えば開放的だが私には寒々しく感じられた。  グスタンディヌスの配慮で和室にテレビとパソコンを設置してくれていたので退屈しのぎできるようにはなっていたが、このだだっ広い部屋に一人で生活するのも寂しいものである。しかも1階はあと床の間、風呂場、無駄に広い台所があり2階には大きな和室が一部屋に、光を完全に遮った暗く狭い何に使うのかよくわからない空間が一つ。この古民家に私一人でいると非常に寒々しい。広大な宇宙の片隅に私一人取り残されたような気分だ。  ひとまずこのだだっ広い和室をよく見ておくことにしよう。  ここは12畳ほどある上に、天井がやたらと高い。もの寂しさをより感じさせる要因にもなっている。ジャグリングで遊べるほどの高さだが一人暮らしで12畳もいらない。この部屋をどう工夫すれば過ごしやすい空間を演出できるのだ?零下50℃から100℃まで耐えうる鋼の体を持つ私にはこの地域の気温など屁でもない。しかし空間の物寂しさは耐え難い。思っていた以上に過酷な生活になるのではないだろうか。 《10年後》  古民家近くを流れる川はさらさらと優しい音を奏でている。川の水は透明で澄んでいるため底がはっきりと見え小さな魚が泳いでいる。少し離れた小学校からは子供たちの声が聞こえてくる。その子供たちの声に負けまいと蝉の鳴き声が360度全方位から聞こえ頭蓋骨に響く。
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