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第三話 看板に偽りあり
ここは横浜市の外れにある「くわしい探偵社」である。お客さんが来ないので、社長兼探偵員の小夜子さんは今日もすることがない。
郵便受けに大手の探偵事務所の広告が入っていた。
その広告チラシには【秘密厳守・安心価格】の文字が大きく書かれている。当社の特徴は、尾行と撮影、聞き込み調査が得意。弁護士も無料で紹介とある。基本料金は、探偵二名、調査八時間、機材費、報告費込みで一日6万円からとなっていた。妥当な金額だ。しかし、この他にオプションや追加調査が加わると、とうてい、これでは収まらなくなる。広告の記載を鵜呑みにしてはならない。誇大広告ではないとしても、看板に偽りありだ。
同業者の広告ともなると見過ごすことはできない。周辺一帯にポスティングされているだろうから、このままでは、ただでさえ少ないお客さんを奪われてしまう。そこで、パソコンで、くわしい探偵社のチラシを作成し、配って回ることにした。これまで、小夜子さんの探偵社では、広告といえばネット上に「くわしい探偵社ブログ」のサイトを開いているくらいだった。それも無料ブログを利用している。チラシを作って自分でポスティングするのも、無料ブログ同様、お金の掛からない宣伝方法だ。
チラシ作りの参考にしようと、大手の探偵事務所の広告を見ていたら【求人募集(経験者優遇)】の文字が目に入った。
経験者優遇なら、電話してみようか・・・だが、ライバル企業に就職するなどもっての外だ。雑念を払ってパソコンの前に坐りなおした。
初めに、【くわしい探偵社は、安心してご利用いただけます】と打ち込んだ。出だしはまずまずの調子だ。
次に【美人探偵がお待ちしております】と書いた。美人探偵は看板に偽りなし、本人が言うのだから間違いない。すっぴんと化粧した顔が別人なのは、誰にもありがちなことだ。その後の、お待ちしているはどこか変だ、これでは水商売になってしまう。もっとも、小夜子さんはキャバクラでアルバイトをしているからゼンゼン外れではなかった。
【美人探偵の特徴は浮気です】・・・浮気の後に調査の二文字が抜けている。修正しようとしたところで、入り口のドアがノックされた。
そうだった。お客さんは来そうもないと思ったので化粧はしていない。ほぼすっぴんである。知り合いだったら、「あんた誰?」「別人」と言われそうだ。これでは美人探偵に偽りありだ。
小夜子さんは顔を見られないように下を俯きながらドアを細目に開けた。
「道路看板です。今年の分を掲載しましたので、広告費をお願いいたします」
依頼者ではなく広告費の集金だった。アゴ髭を生やした四十歳くらいの男だ。
「広告なんか出しましたっけ」
広告と言われても、小夜子さんにはどこにも広告など出した覚えはなかった。すると、広告会社の人はドアの隙間からA4クリアファイルを見せた。そこには四角い看板の写真があった。それで思い出した、相鉄線の駅前とか交差点などに設置されている道路と商店が描き込まれた看板のことだった。
「こちらの探偵社様は墓地の横の看板に掲載してあります。一年毎の更新なので、制作料三千円になります」
「そうでした、そうでした」
確か去年の今ごろ広告会社が来て支払った覚えがある。そのときは実物の看板を持ってきた。周辺の道路と店舗を描き込んであるのだが、四角形の看板に無理に収めようとして、かえって分かりにくかった。今回は二度目なので看板はなくて写真だけのようだ。
小夜子さんは三千円を渡し領収証を受け取った。
それから一週間、小夜子さんは久しぶりに充実した探偵業をおこなっていた。横浜市内の大手の調査事務所から仕事の依頼を受けたのだ。その事務所は主に企業の調査をしていて、これまでにも何度か仕事を手伝ったことがあった。
今回は尾行の手伝いだった。一緒に尾行するパートナーは調査事務所の進藤正也さんだった。イケメンの彼とカップルを装っての見張りだ。
尾行初日は、横浜の山下公園の近くのホテルで対象者を見張った。山下公園には氷川丸が停泊している。氷川丸は観光船で、中にはレストランもあるはずだ。しっかり係留してあって船として航行することはできない。
氷川丸を見ていて、クルーズ船に乗ってロマンチックな雰囲気に浸りたいなどと、妄想に駆られた。
「進藤さん、尾行の交代要員が来たら、氷川丸に行ってもいいですか」
「ええ、どうぞ。僕はこの後、対象者の自宅を見張ることになっているんです」
あっさりフラれてしまった。彼は社員なので休む暇もなく次の現場が待っているのだ。たまには仕事のことなんか忘れればいいのにと思った。
尾行は三日続き、最後は何事もなく別れた。日当の給料を清算してもらったときは、何だか手切れ金を渡されたみたいで残念だった。
進藤さんの尾行の手伝いを終えて、また暇な日常に戻った。尾行中は、ギャルメイク、人妻風メイクなどをして変装したのだが、今日はノーメイクのすっぴんだ。
こういうときに限って来客がある。その悪い予感が当たった。ドアがノックされた。出てみると、道路看板の集金だと言った。それならつい最近、集金に来たばかりだ。さすがにそれは覚えていた。同じ業者が二度来るとは思えない、おそらく、集金先の店舗を間違えたのだろう。
「おたく、先週も来ませんでしたか、領収証、まだ取ってありますよ」
「おや、ここにも来ていましたか」
「はあ」
「私はこの看板を持って集金に回っています」
と、1メートルほどの大きさの看板を示した。
「その男は看板を見せましたか」
「ええと、見せられたのはクリアファイルに入った写真でした」
「やっぱり、そうですか。その業者は偽物なんです」
「偽物!」
「偽の業者がいるんですよ。この看板の写真を見せて、自分の会社が広告を担当していると言って信用させ、お金を騙し取っていくんです」
「三千円払ったんですけど・・・じゃあ、あれは何だったんですか」
「詐欺です」
何ということだ。まんまと騙されてしまった。
「当社とはまったく関係がない偽物業者なんです。手前どもは、新道路案内社という会社ですので、今後は詐欺には注意してください」
新道路案内社の男はそう言って髪の毛の薄くなった頭を撫でた。
小夜子さんは、その業者にも三千円を払う羽目になってしまった。
先週来た業者から受け取った領収証を探した。領収証はまだ机に出しっぱなしになっていた。そこには、会社名が道路看板実業となっていた。今とは別の会社だった。次に、一年前の領収証を調べたところ、こちらには、新道路案内社の社印が押してあった。さきほど来た会社と同じだった。今の業者、新道路案内社が本物で、先週、集金に来た道路看板実業は偽物だったのだ。
偽の業者に騙され、広告費を二度、合計六千円も払ってしまった。
探偵ともあろうものが、詐欺に引っかかってしまうとは・・・
小夜子さんは、探偵業の名誉にかけて偽物広告会社を掴まえてやるぞと決心した。
さっそく周辺の店舗に聞き込みに行った。すると、中華料理店、パン屋、金物屋が同じような被害に遭っていたことが判明した。中華料理店のオジサンは思い出すまでにかなり時間が掛り、パン屋は一人で忙しそうだった。念のため領収証を見せてもらった。領収証は二枚あって、一枚は正規の業者、新道路案内社、もう一枚は、偽の業者の会社名、道路看板実業のハンコが押されていた。
「あんたに言われて思い出した、そういえば二回払ったんだ。もうちょっと早く教えてくれればよかったのに。今度来たら鍋の底で引っ叩いてやる」
金物屋のオジサンが言った。お年寄りなので少し記憶が曖昧になっている。この周辺の道路看板は金物屋の路地の脇に取り付けてあった。看板の右隅には【新道路案内社】の銘板が貼ってあった。金物屋さんは高齢なので、つい、目と鼻の先にあるのに気が付かなかったようだ。
「おたくも騙されたの」
「いえ、私は頼まれて調べているんです」
小夜子さんは探偵なのに騙されたと知られてはみっともないので、頼まれていると誤魔化しておいた。
店を出て、「ああ、バレたかも」と独り言を言った。考えてみれば被害額は三千円だ、それを取り戻すために探偵に頼むわけがない。それでは騙し取られた金額以上に費用が掛かってしまう。詐欺師はそこに付け込んだのだろう、三千円なら諦めるかもしれないと踏んでいるのだ。
聞き込みを続けると、ある傾向が浮かんできた。偽の業者が来た店と来なかった店があったのだ。コーヒー店、ブティック、フラワーショップなどには詐欺の被害はなかった。
さらに、一定の地域だけに詐欺の被害が集中していたことも分かった。県道を挟んで、こちらの商店は被害があったが、あちら側には偽の業者は来ていなかった。おそらく、詐欺に遭った地区は、一年前に正規の業者が集金に来たのだろう。ちょうど一年経ったころだったので、更新時期だと思い込んで騙されたのに違いない。ということは、あの偽の業者は何らかの方法で看板の更新時期を知っていたことになる。
その翌日も調査を続けたかったが、キャバクラのアルバイトが入っていたので聞き込みはできなかった。
小夜子さんは、キャバクラ「ファイナル」ではかなり濃い目に化粧している。キャバクラでは探偵とは別人になれる。それに、キャバ嬢には若い子もいて、小夜子さんはしっかりメイクしないと負けそうになってしまう。
中にはアイドルとして活動しながらキャバクラ勤めをしている子もいる。そんなことでは不祥事が明るみになって、アイドルをクビになってしまうのではと心配した。だが、その反対で、現役キャバ嬢のアイドルであることを売り物にしているとのことだった。国民的アイドルグループとは違って地下アイドルはいろいろ苦労が多いらしい。
小夜子さんは、お馴染みさんに口説かれて、それなら奥さんと離婚してよねとか、いつもながらの接客をしていた。そのお馴染みさんが帰るので入り口まで見送った。店の奥が、キャアキャアと盛り上がっていた。アイドルキャバ嬢の夏希ちゃんと女子大生バイトの子が二人のお客の接待をしている・・・
夏希ちゃんたちの席に座っている二人連れに見覚えがあった。忘れもしない、つい先日、探偵社に広告料を集金に来た新道路案内社の人だった。髪の毛の薄い特徴をしっかり覚えている。そして、その隣にいるのは、道路看板実業と名乗って広告料を騙し取っていった男ではないか。アゴ髭が生えた顔を見間違うことはない。
正規の広告業者と偽の業者が一緒に酒を飲んでいる。本物と詐欺師が仲良く並んでキャバクラで遊んでいるのだった。
これは一体どういうことだ・・・そうか、と閃いた。
正規の業者と偽物、すなわち、新道路案内社と道路看板実業はグルだったのだ。二人で示し合わせて詐欺を働いていたのだ。
その手口を推測した。
本物の業者、新道路案内社が道路看板を作り、広告料を集金して回る。その一年後、タイミングを見計らって偽物の道路看板実業が、新道路案内社よりも先に広告料を集金するという仕組みだ。いつ、どこへ集金に行けばいいのかなどの情報は本物が偽物に教えているのだろう。
そういえば、騙されて二度支払ってしまったのは、忙しいパン屋や、お年寄りが経営している金物屋、中華料理店だった。高齢者は騙しやすかったのだ。コーヒー店、ブティック、フラワーショップなどは経営者や店員が若かったので、去年のことを覚えていていると思ったのだろう。
小夜子さんは高齢でもないし忙しくもないのにまんまと詐欺に引っかかってしまった。
口惜しい。許せない。
警察に連絡しようと思ったが、店内で騒ぎ立てると、他のお客様に迷惑がかかる。それなら、写真を撮れないだろうかと考えた。二人が揃っているところなら犯罪の証拠写真になるはずだ。
そのとき、バイトの女子大生が席を立って別のテーブルに行った。いいチャンスだ。小夜子さんが、ボーイさんに「あの二人はお得意さんなの」と訊くと、初めての客という答えだった。小夜子さんは、ボーイさんに目配せして詐欺師のテーブルに付いた。
「あら、こちらのお二人、初めてかしら、これからもご贔屓にね」
「若い子がいいんだよ、どこいっちゃったんだ女子大生は」
新道路案内社が小夜子さんを見て言った。
悪かったわねと思ったが、そこは顔には出さず、小夜子さんはニッコリ笑った。
隣に座っても正体を気付かれていないようだ。なにしろ、この二人と会ったときはすっぴんだったが、今日は濃厚メイクだ。まさか同一人物だとは思いもしないだろう。
「どんなお仕事なの」
「広告関係さ。○○社を知っているだろう、オリンピックのPRを手掛けた会社だよ」
偽の業者のアゴ髭男がしらじらしい嘘を付いた。
「よく見ると、このお姉さんも可愛いよな、どうだい、今夜あたり」
今度は大胆にも誘ってきた。
「あーら、残念、キャバクラが終わったら、コンビニの深夜勤務があるのよ」
適当なことを言ってはぐらかした。
誰があんたみたいな男と・・・それより警察に突き出してあげるわ。
「えー、コンビニも行ってるんですか、たしか、小夜子さんは・・・たん」
事情を知らない夏希ちゃんが本当のことを喋りそうになった。小夜子さんはすかさずスマホを取りだした。
「それじゃあ、ツーショットタイム」
小夜子さんはスマホを夏希ちゃんに渡し、二、三枚撮ってと頼んだ。素知らぬ顔で、新道路案内社と道路看板実業の二人の間に座る。ツーショットならぬスリーショットだ。
「はい、ピース」
スマホを確認すると証拠写真が完璧に写っていた。
小夜子さんは証拠写真を持って警察署に行った。すると、警察でも看板詐欺の事件を把握していて、捜査を始めたところだった。
そして数日後、新道路案内社と道路看板実業の二人は逮捕された。小夜子さんの写した写真が有力な手掛かりになったのは言うまでもない。
しかし、小夜子さん自身が被害者だったので、喜んでいいのやら、なんとも微妙だった。詐欺に引っかかった探偵社では格好がつかない。それに、あの二人は詐欺で手に入れたお金をキャバクラに支払ったのだから、回りまわって給料として受け取るわけだ。これではスッキリしない感じがする。
ともあれ、二人が騙した金物屋、パン屋、中華料理店などには三千円が戻ってきた。もちろん、小夜子さんの探偵社にも騙し取られたお金が返ってきた。
今回は探偵らしいことをした、世間のために役に立ったと、小夜子さんは自分で自分を褒めた。
そういえば、探偵社の掲載された看板をじっくり見ていなかった。小夜子さんは、お寺の墓地の裏手、あまり人通りの少ないところに看板があるのを見つけた。
「あれ・・・何よ、これ」
看板には「くわしい探偵社」ではなく【くやしい探偵社】と書かれてあったのだ。
「くやしい・・・看板に偽りありだわ」
・第三話 終わり
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