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 そんな私がもう少し生きてみようと思うようになったのは、とにもかくにも職を得られたからだ。  いつものように午後八時を過ぎてからゾンビのように起き上がり、スーパーの半額惣菜を買い求めに行ったときに、大将に再会して職を紹介されたのである。  私がまだ病む前のころ、日々身体の底に溜まった疲れとストレスを投げ捨てに近所の個人経営の居酒屋に行くことを週一回の習慣としていた。その居酒屋の、私の親ほどの年齢の大将と、顔見知りとなり顔馴染みとなり、それなりに私生活の内側も互いに知るようになっていた。  スーパーでひさしぶりに再会した大将が私に言うには、市のはずれにある身体障害者用施設にて、介護職員を募集しているという。(ちなみにその日は日曜日だったので大将の居酒屋は休業日だった。) 「かなり人手不足で困ってるようだ。君もまだ若いのに、いつまでも無職では勿体ない。給料はそんなによくないけど、どうだろう」大将はそんなことを言った。  のちに知ることになったのだが、その障害者用施設の施設長と大将とは、苗字は違うが従兄弟という関係ということだった。   間もなく私は、大将に紹介されるがまま障害者施設を訪れ、そして採否を決める面接へと移行した。  私を雇用するか否かの決定権は施設長ではなく、上部組織である社会福祉法人の人間にあるようすであった。  私は採用された。空白期間のある履歴書についても、特に何も問われることはなかった。どうやら、本当に人手が足りていないらしい。  面接に関しては特筆すべきことはなかった。私に提示された給料は、前の会社のそれとくらべ、三分の一ほどのものであった。もちろんそれは以前の私が高給取りであったことを意味するものではない。介護職というものが安月給であることは噂では知っていたが、実際に具体的な金額を知るに及び、それが噂を凌ぐものであると私は知った。  不平は言うまい。それが私の現在の市場価値なのだ。  私はいわば、社会の不良在庫である。製造業では、「在庫は罪」であるというスローガンがたまに唱えられる。在庫は少なければ少ないほどよい、それを実現するために、ジャストインタイム方式などの手法が発明され、生産性向上のために活用されている。
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