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三
施設での仕事内容は、単純なようで複雑であった。施設を利用する障害者にはそれぞれ個性があり、障害の度合いも違う。そしてややこしいのが、食べ物に対するアレルギーや、常服している薬などが、ひとりひとり違うということであった。もちろん私は仕事としてそれらを記憶しなければならない。
我ながら懸念していたいわゆるシモの世話には、私は意外なほど適応した。大便にまみれた尻を前にすると、汚いと思うよりも、早く清潔にしなければ、という思いが先に立った。
施設の利用者については、残念ながら詳述はできない。当然だろう。雇用契約を結ぶにあたり、私は守秘義務のサインをしている。
ただ、利用者のなかには、一日中ベッドの上でもぞもぞするだけ、食事のときだけ起き上がり、食事が終わるとまたベッドに倒れてもぞもぞし始めるという人が少なくない。
この施設は、建前では「身体障害者の方に、施設内で生活していただくとともに、それぞれの能力に応じた必要な訓練を実施し、社会復帰を目指します」という美辞麗句が弄されているが、施設を出て職を得、自活できるようになる利用者は皆無らしい。この施設が終の住処となる障害者もいるようだ。
私はそんな彼らを、植物のようだとは思わなかったが、正直に言って、「虫のようだ」とは思った。ベッドの上で左右に揺れながらシーツにシワを作るだけの生物を、ほかの何に例えることが適うだろうか。
しかし、つい最近まで半額の惣菜を買う以外は部屋で引きこもっていたこの私の身が、彼らと比較していかほどの差異があるのか、なんとも心許ない。
利用者については守秘義務があるので書けないが、施設で働く同僚(というか私にとっては諸先輩方になる)については書いても差し支えないと思われる。
このような職場で働く人間は主に大きくふたつに分かれるようだ。こころざしを持って福祉の仕事に取り組みたいという高いモチベーションを持った聖人君子のような人間、そしてもう一方は、特別なスキルを持たない、もしくは訳ありの事情のため良い待遇の職種は望めず、仕方なしに安月給の仕事をイヤイヤこなす人間。もちろん私は後者だった。
日々の仕事のうち、意欲的な人間がその八割がたをこなし、意欲のない人間が残り二割をだらだらとやっているような状況が常態化していた。
ふつうの職場なら、前者から後者へ不満が爆発しそうなものだが、前者は先ほど述べたように聖人君子であるため、奇怪な平衡が成立している。
要するに、施設の利用者も施設で働く介護者も、そのうちの大部分が社会の不良在庫で、聖人君子たちの善意に乗っかってるのである。
また、これは私にとっては予想外であったのだが、施設は書類をベースにしていろんな物事が進むということだった。
利用者が外出する場合や、施設内での必要物を購入する場合など、職員が「外出届」や「購入伺い」という書類をパソコンで作成印刷して署名捺印し、介護主任や施設長の印鑑をもらって、ようやく実現するという運びとなる。
現場仕事というものは、(事業所にもよるのだろうが)口約束をベースに動くところが多く、私が勤務していた製造業も、緊急に要することになった原材料や工具などは電話で発注し即座に納品してもらったりしていた。また下請けに出す仕事は、いちいち契約書を作っていればそれだけで作業が膨大となるため、納期とおおまかな支払い条件だけを口頭で提示して請け負ってもらうということが多かった。
なので、施設の利用者のたった三十分の外出について、書類を作成せねばならないというのは、煩わしくもあり、また非効率にも思えた。
そしてさらに面倒くさいことに、利用者の保有する現金の出納については未だに手書きの帳簿が使われており、手を動かせない利用者の代理として職員がボールペンで書かねばならないことになっている。
帳簿は、修正液を使うことは認められておらず、書き損じたときは、定規で二重線を引き、訂正印を押さなければならない。
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