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2話 求婚
その日の日暮れ、いつものように、こじんまりした台所で夕食を作っていた時だった。
トントン、とまるでノックのように、誰かが意図を持って結界に触れているのを感じて、ハッとする。
まさか、ユーゴだろうか。
でもそんな筈はない。15歳になったユーゴを半ば追い出すように、寄宿舎のある学校に送り出してから、ユーゴがここに来れないよう、『迷い』の魔法で道を隠し、結界を張っていたのだから。
「そういえば…」
思考を巡らす内に、思い出す。
小さい頃、森で迷わないように『追跡』の魔法を教えた事があった。対象に印を付けて、その痕を追う魔法だ。
急いで居間の壁に掛けたローブを調べて、頭を抱える。
「…やられたわ」
見事に、そこには『追跡』の魔法で付けられた痕が残っていた。
だが、まだ結界がある。会わなければいいだけだ。そうすればいずれ諦めるだろう…そう思ったのだが甘かった。
ギッ、ギギィ…
「!?嘘でしょ」
張り巡らせた結界の一部が、あり得ない力で引きちぎられそうになっているのを感じて、私は天を仰ぐとすぐにそこに『跳んだ』。
「やめなさい!結界を力任せに破ろうとしないで!この脳筋騎士!」
私がその場に転移すると、ユーゴはパッと顔を輝かせ、子犬のように抱き着いて来た。
「ちょ、ちょっと」
「やっぱりシャルだ!全然変わってない!嬉しいよ、やっとやっと会えた!ねえ、俺の事覚えてるよね?」
体を離し、慈しむように両手で私の顔に触れるユーゴは、改めて見ても最後に見た時とは別人のように思えた。
金糸のように輝く髪に青い瞳。すらりと伸びた長身に、この国の栄えある騎士団の制服をまとって立つその姿は、誰もが見惚れるような美丈夫だ。
だけど、やっぱりその瞳にはあの頃のユーゴの面影があった。
「…忘れる訳ないじゃない。ユーゴ、大きくなったわね。それに立派になって見違えたわ」
仕方なく認めると、ユーゴは心底嬉しそうに破顔した。
「良かったあ!人違いなんて言うから俺の事忘れたのかと思って、心配になっちゃった。じゃあ改めて…」
そう言うと、ユーゴは懐から何か小さな箱を取り出す。
「シャル…シャルナ。俺、ちゃんと騎士になったよ。だから俺と、結婚して下さい!」
パカッと開けられた箱の中には、銀の指輪が入っていた。
「け、結婚…」
こめかみを押さえて苦悩している私をよそに、ユーゴは答えを待つように、キラキラした瞳で一心に私を見つめている。
「ユーゴ。もうここには来ちゃダメ。誰か他にいい人を見つけて、王都で幸せに暮らしなさい」
ため息混じりに諭すと、ユーゴはムッとした顔をする。
「何それ?昔からずっと言ってるでしょ!俺が結婚したいのはシャルだけだって。そもそも俺が騎士団に入ったのも、シャルを守れるくらい強い男になりたかったからなんだからね!それなのにやっと騎士になっても、迷いの魔法と結界で拒絶されて、悲しかったんだよ。こうやって再会出来たのは運命でしかないよ。だからお願い、結婚して?」
確かにあの頃も、事あるごとにユーゴはそんな事を言っていた。
内心呆れながらも、私も変わらない答えを出す。
「昔から言ってるでしょ。外見が老化しないだけで、本当は私、あなたのおばあちゃん位の歳よって。あなたはちゃんと同じ歳頃の子と結婚しなさい」
私の事を慕ってくれるユーゴは可愛いけれど、それは子供を愛しいと思う気持ちで、恋とは違う。
まあ本当の所は恋だの愛だの、語れるような経験は何一つないのだが、何となくはるか年上の矜持から、ユーゴには偉そうな事を言ってしまう。
だけどユーゴは私の手をぎゅっと握ると、べそべそと泣き落としにかかった。
「嫌だよ、俺、シャル以外の女の人なんて絶対好きになれない!離れてた間だって、誰にも惹かれたりしなかったよ。シャルが何歳だって全然関係ない、ねえ、お願い。もう二度と俺を拒絶しないで。本当は一日でも早く結婚したいけど、その気になるまで待つから、せめてこうやって会いに来るのは許してよ」
「う…」
そんな、捨てられた犬みたいな目で見られると、どうにも無碍に出来ない。
こんなに立派な大人の男に成長したのに、縋りつくような青い瞳があんまり哀しそうで、拾った当時の小さな姿とダブってしまう。
ああ、もう。
こうなったらもう私には拒絶なんて出来やしない。
「…分かったわよ。会いに来るのは許すわ。だけど今度から結界を無理やり破ろうなんてせずに、声を掛けてよね?」
仕方なくそう言うと、ユーゴは満面の笑みで頷いた。
「うん、もちろん!嬉しいよシャル。大好き」
「はぁ。まあいいわ。それじゃいらっしゃい。ちょうど夕食が出来たところよ」
「やった。久しぶりにシャルの手料理が食べられる!」
大きな図体でにこにこ笑うユーゴは、15才のあの頃と同じに見えた。
何となく微笑ましくなって、私はユーゴと、ユーゴの連れて来た馬を範囲に入れると家まで『転移』した。
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