9話 sideユーゴ 急転

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9話 sideユーゴ 急転

泣き疲れた顔で眠る、何よりも愛してやまない存在。 シャルナの黒くて艶やかな髪をそっと掬い上げてキスを落とし、俺はそっとシャルの部屋の扉を閉めて家を出た。 「しー…静かに」 外に繋いでいた愛馬を(なだ)め、まだ夜が明けきらなくて薄暗い森を出る。 王都の宿舎までの道のりを駆けながら、昨夜の事を思い返していた。 シャルが提案を受け入れてくれた時、俺は有頂天になった。 これで俺たちの関係が進むかもしれない、って期待でいっぱいだったんだ。 だけど、シャルは俺とは全然違う事を考えてた。 キスした後、シャルが辛そうにしているのに気付いて、冷水を浴びせられたみたいになって、問い(ただ)した。 そしたら…シャルは最初から俺を受け入れるつもりなんか、なかったって分かった。 体だけなら繋がれただろう。 だけど、そんなの意味がない。シャルの心が手に入らなければ。でもどうやったってシャルは俺を拒絶するつもりだったって分かって…胸が痛くて辛くて。 シャルはせめて最後くらい一緒に寝ましょうって言ったけど、そんなの到底無理で。 昔の自分の部屋に行ったけど、どうしたって眠れなくて、結局こんな夜も明けきらない内にシャルの家を出て来てしまった。 「くそっ…!どうして!何でなんだ!」 魔女であるって事が、どうしてそんなに障害になるんだよ? 年を取らないとか、普通の家庭を作れないとか、そんな事どうだっていいじゃないか。 俺は子供が欲しい訳でも、普通の家庭を作りたい訳でもない。 ただ、シャルとずっと一緒に居たいだけなんだ。 その為なら、もし何かが障害として立ちはだかって来たって、果敢に立ち向かって見せる。 普通の人生なんて、望んでなんかいない。 なのに、シャルは俺に『普通の人生』ってやつを無理やり押し付けて、俺を置いて一人で行こうとしてる。 冗談じゃない。 シャルがどんなに俺を置いて行こうとしたって、しつこく食らいついてやる。絶対に離してなんかやらない。 「…そうだよ、決めた」 いつの間にか馬を止めていた俺は、気持ちを新たに手綱を引いた。 昨夜の俺は、情けないけど打ちのめされ過ぎて、シャルに何も言えなかった。 だからこれから戻って俺の気持ちを、あらいざらい全部ぶちまけてやる。 そう思った時。 空気がピリッとしたかと思うと、森の中からバラバラと5人ほどの人間が出て来た。 ボロボロのローブを身に(まと)い、各々、片手剣や短剣を手に握っている。 野盗の類かと思ったが、妙に動きに統率が取れていて何かが違うと思った。 「何の用だ?」 俺も剣を引き抜きながら問うが、奴らは何も言わずに襲い掛かって来た。 「くっ」 やっぱりこいつら、野盗に見せかけてるけど違う。 一体、何の目的なんだ? 騎士団には所属しているものの、俺は階級も低く、特別な情報を持っている訳でもないのに。 だけどそんな事考えてる暇なんかない。仮にも騎士団で日々鍛えてるんだ、やられてたまるか。 人数では圧倒的に不利だったが、相手はどうやら俺を本気で殺すつもりはないみたいだった。それにこっちは騎乗している。馬の機動力を活かして何とか、4人を戦闘不能にした時だった。 「おい!ユーゴ!こっちを見ろ!」 聞き覚えのある声に思わず視線を向けると、そこにはリノがいた。 小柄でフードを頭から被った女を羽交い絞めにしていて、女は口を塞がれてもがいている。 「お前の女を殺されたくなきゃ、大人しくしな!」 「!?」 そんな訳ない、シャルは結界の中だ。 自分から出て来ない限り、こんな事になる筈がない。 だけど、もし俺がいなくなった事に気付いたシャルが結界の外に出ていたら―――そう思うと、暗いのも相まって、あれがシャルじゃないとは断言できなかった。 思わず、一瞬躊躇(ちゅうちょ)してしまった。 そして、戦況においてはその一瞬の躊躇が命取りになる。 「しまっ…!」 馬をやられ、地面に叩きつけられながら見たのは、ニヤニヤと笑いながら俺に近付いて来るリノと、後ろでフードを跳ね除けて憮然とした顔をしている、知らない女だった。 クソッやっぱり、シャルじゃなかった。 憤りと安堵、両方を感じながらリノに怒鳴る。 「おい!どういうつもりだ!?何が目的なんだよ!」 リノは俺に剣を突きつけながら言った。 「お前は人質だよ。竜双樹(りゅうそうじゅ)の魔女をおびき出すためのな。それまでは生かしといてやるから、せいぜい大人しくしとくんだな」 「…!」 何か固いもので頭を殴られ急速に世界が霞む。 …ごめん、シャル。 やっぱり俺、シャルに迷惑掛けた。 ☆☆☆ ぼんやりと意識が戻って来ると、俺は黴臭(かびくさ)くて暗い石牢の中にいた。 両手首、両足首、おまけに首にも、長い鎖の付いた鉄枷が嵌められている。 殴られた頭がズキズキ痛んだが、さっと周りを見回すと地下のようだった。鉄格子の向こうには、汚いローブを纏った見張りらしい男が一人、俺に背を向けて立っている。 鍵は、男の向こうの石階段の壁か… 黙ったまま状況を確認していると、複数の人間が階段を降りて来る気配がした。 「…頭を殴っただと?死んでおらぬだろうな?交渉が済むまでは生かしておく必要があるのだぞ」 「大丈夫ですよ、ちゃんと生きてます。それより約束は守って貰えるんですよね?」 「その男が無事か確認出来ればな」 降りて来たのは、魔導師のローブを纏った年老いた男とリノだった。 「ふむ、まあ一応生きてはおるようだな」 俺と目が合うと、そいつはそう言ってリノを振り返った。 「良いだろう、約束通りお前を近衛騎士に昇格させてやろう。ここから先は(わし)がやる。お前達は皆、席を外せ」 「分かりました。それじゃ、これからもよろしくお願いしますよ」 リノはそう言うと俺を見てニヤリと笑い、さっさと階段を上がって行った。見張りの男も会釈して去って行く。 響く足音が遠ざかって行くと、老魔導師は俺に向き直った。 「時間が惜しい。さっさと答えて貰おう。お前と『竜双樹の魔女』はどんな関係なのだ?」 こいつは誰だ、何が目的なんだ? だけど、シャルには指一本触れさせやしない。 「…はぁ?誰の事だ?俺には、そんな大層な名前の知り合いなんかいないけど、誰かと勘違いしてるんじゃないの?」 そううそぶくと、老魔導師は険しい顔で黙って何かを唱えた。 途端、首の枷がビリッとして耐え難い痛みが走る。 「っぐぅ!」 「下らぬ嘘は止めるのだな。お前が竜双樹の森の結界を越えて、頻繁に()の魔女と会っているのは分かっておるのだ。さっさと答えよ」 「し、知らない…ぅぐ!」 絞り出した言葉も、すぐに呻き声に変わる。 でも、こんな苦痛なんかどうだっていい、死んだって言うもんか。 「ううむ…どれだけしぶといのだ」 何度それを繰り返したのか意識が朦朧(もうろう)として来た頃、老魔導師は苛々した様子で吐き捨てた。 「もういい。どちらにせよ、お前があの女と関わりがあるのは間違いないのだ。さっさと彼の魔女を呼び出してくれよう」 「く…ぅ…」 くそ…シャルの負担になんかなりたくないのに…駄目だ…意識が、もう… 老魔導師がテーブルの上の呼び鈴を鳴らす音が、どんどん遠くなって行った。
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