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1話 再会
ぶるぶると細かく震えながら、巨大な粘性のある塊が蠢いている。
家一軒分程もあるそれは暗い茶褐色で、薄っすらと内部が透けていた。
人か、野生動物か。消化途中の何かの残骸が漂っているのが見える。
「あなた達は下がっていてちょうだい」
後ろで緊張気味に見守っている護衛騎士達にそう告げると、スライムを追い込んだ場所に仕掛けていた術を発動させる。
「これで終わりよ」
ボッと火柱が上がり、嫌な臭いをさせながらスライムは魔法の炎に包まれて炭になって行った。
「お、おお!刃の通らないスライムがあっという間に…」
「初めて見たが、魔法というのは凄いな」
騎士達の驚嘆する声が聞こえるが、元来、他人に興味はないし馴れ合うつもりはない。依頼も片付けたのだし、関わらないようさっさとその場を離れようと思った時だった。
「危ない!」
耳元で声が上がり、同時に疾風のように脇を通り過ぎた誰かが、今まさに私に飛び掛かろうとしていた手の平程のスライムを叩き落す。
燃やされる直前に分裂していたのか。スライムは小さくても顔に張り付かれれば窒息する危険もある。
久しぶりの魔獣討伐で気が緩んでいたのかもしれない。
「…ありがとう、助かったわ」
叩き落されたスライムを魔法の炎で燃やし尽くしてから、私は助けてくれた騎士に向き直った。
騎士はまだ若く、金色の太陽のような髪、空のように澄んだ青い目をした、背の高い男だった。
随分整った容姿をしている。それに、どことなく見覚えがあると思って見ていると、騎士の方も私をじっと見つめていた。
いや、見つめている、というような生易しいものではない。信じられないものを見た時のように、目を見開いて凝視している。
かと思ったら、騎士は急に私に抱き着いて来た。
「!?」
「―――シャル!やっぱり、シャルナだよね!?フードで判り辛かったけど、声を聞いた時からそうじゃないかと思ってたんだ!俺の事、覚えてくれてる!?」
私をシャルと愛称で呼び、それに、あの子と同じ金の髪と青い瞳。
もしかして――――
「まさか、ユーゴ…なの?」
思わず呟くと、見違えるほど大きく育ったかつての養い子、ユーゴは嬉しそうにますます私を抱き締めた。
「そうだよ!ああ、やっと会えた!もう絶対に離さないからね!結婚しよう!」
「け?結婚!?な、何を言ってるの!というか、離しなさい、人違いよ!」
呆気に取られてこっちを見ている騎士達に我に返った私は、慌ててユーゴを押し返すと、
「あっ、待って!シャルッ――――!!」
その場で『転移』して結界内の自分の家に戻った。
落ち着く薬草の匂いが染み付いた居間の壁にもたれて、ずるずると座り込む。
「…立派に成長して…本当に騎士になれたのね…」
もう17年も前のある日の事だ。
この竜双樹の森の外れで薬草を採取していた私は、木の陰に、高熱でぐったりと横たわるユーゴを見つけた。
5才位だろうか。ボロボロの布切れを身に纏っただけで、手も足も異常に細かった。足首に鎖が付いていたから、奴隷商にでも捕まっていたのかもしれない。
流行病に罹ったので捨てられたのだろう。
見つけた時、少し躊躇った。
流行病自体は、私にとっては簡単に治せるものだ。
だが、ここでこの子供を連れ帰って病を治したとしても、その後またどこかへ放り出すのは無責任だろう。
かと言って、そのまま育てるという面倒は背負い込みたくない。
私は生まれながらの魔女で、20歳の時、師匠だった母から魔女としての力を引き継いだ。
そしてその時から特殊な魔法式を使って、自身に流れる『時』を止めている。魔導の探求にはいくら時があっても足りないからだ。
結婚して子供を産んで、なんて普通の人生に憧れた事などない。そんな事より、禁術の一つでも解明出来た方がよっぽど嬉しい。
だが、子供を抱え込んでしまえば、探求だけに没頭する訳にはいかないだろう。
だったら今ここで何もせず、生き延びるも死ぬも、自然のままに放置する方がいいのではないか。
そう逡巡して子供を見つめていた時、気配を感じたのか子供がうっすら目を開けた。
枯れ枝のような手を伸ばして「助けて…」と呟いた子供の空色の瞳と、私の赤い瞳が合ったその瞬間、私は躊躇いを捨て、この子を家に連れて帰ると決めたのだった。
「子供と暮らすのがあんなに大変だとは思わなかったわ」
養い子との騒がしくも楽しかった日々を思い出して苦笑した私は、首を振って立ち上がると、体を清めるために浴室へ向かった。
再会したのは驚きだったし、何か戯言を叫んでいたけれど、もう二度と会う事はない。
ユーゴの時は短い。
私の事など忘れて、似合いの相手と幸せな人生を送ってくれればそれで良い。
そう、思ったのに。
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